事件の匂いを感じた例の騒動↓
不明の小2男児保護、家族と再会 6日ぶり「水で過ごした」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016060301001057.html?ref=rank
まずは試し読み…じゃなく、無事だった結果に安堵しつつ
余計な事件を妄想してしまった事を詫びておこう。
…正直スマンかった。
(と言いつつ、大事になる所業は不味いだろ?と小声でツッコみながら)
>北海道七飯町の林道で行方不明になっていた北斗市の小学2年、田野岡大和君(7)が
>3日朝、鹿部町の陸上自衛隊駒ケ岳演習場内で保護された。
>5月28日に行方不明になってから6日ぶり。
>「水を飲んで過ごした」と話しており、目立った外傷はなかった。
>搬送先の函館市内の病院で、両親や姉と再会した。
…人生、一寸先が闇とも言われる。
何が起きるかが分からない現代社会。
それは普通の生活や、エンターテイメント的な世界でも変わりは無い。
1994年6月3日・日本武道館。あの日も確か金曜日。
1990年代の好景気に沸く全日本プロレス・日本武道館大会。
ファンクスやブッチャーを動員しても赤字が続いた全日本プロレス。
カブキの台頭で、初めての黒字を計上した…なんて、与太話が飛び交う全日本プロレス。
SWS騒動で屋台骨がグラついた90年代初頭の全日本プロレス。
天龍同盟の激しいプロレスを受け継いだ三沢・川田。
いい意味で愚直に受け継いだが故、本家の天龍から多方面からの攻撃。
「今の全日本は、俺と輪島と長州が作ったようなモノ」と言われる始末だが
その解りやすい伝承劇を見せた…その結果、大入り満員なのも事実。
前年の1993年7月29日の日本武道館。
ギリギリまで粘る川田利明の息の根を止めたのは、三沢の投げっぱなしジャーマン。
そこまでやらなければ、納得しないプロレス。過激というには切ないプロレス。
…その結果が“四天王プロレス”と評され、彼らを色んな角度から縛りつける。
1994年6月3日の三沢光晴も、切ない結果を用意していた。
ジャストミート福沢の声が響く例のアレ
「殺人…殺人タイガードライバー!!」
…無事で良かったとはいえ、顔出ししてしまった父親の今後はどうなることやら。
自分も完全にタイトルからズレてしまいましたが、当時の四天王プロレスについては、週プロで見るくらいで、長げぇとまたこれ?としか見ていませんでした…バリバリの新日派は馳&ライガー同様にジャストミート実況は耐えられなかったはず。入場だけで魅せるムタとは正に対極。
たらればですが、小橋だけは短い時間で一撃勝ちとかを見せたら緩急も出来たんでしょうけど、ここはブッカーのセンス次第ですね。
今にして思うと内容は新日ジュニアに近い感じもあるんですよねぇ。越えられない壁を無理くりイジるみたいな。
数年後、丸藤とケンタが簡単に壁を破ったのも、なんだか皮肉な気がします。
新日ファンが見ると圧倒的にウィリアムス&ゲーリーの方が魅力的なんですよねぇ。
例の幼子の件は…忘れておきましょう。
…四天王プロレス。
昔ながらの全日なら“小さい”の一言で切られる彼ら。
スーパーヘビーに対抗するための手筈が
あの所業なのでは?と、勝手に勘繰っています。
…そう考えれば、内容が新日ジュニアに似てるのは
必然なのかもしれませんね。
…後、数年だけ鶴田が健在だったら
違う展開もあったような気がしたのはナイショです。