taraの日常

好きなものいろいろ

とりあえず明日は

2008-03-16 23:13:41 | 日常
また、とんでもない1週間が始まるヨカーーーン!最近みんな、あまりのバカバカしさと忙しさでとってもハイ!でもでも今週火曜日は何があっても、日生劇場に行きます。だってステージ席ですもの。さとしと踊ってくるワヨ!
画像は先週いろいろなところからいただいた可愛いものたち。傑作(!)は、とある意外な男の子から貰ったマキシムのチョコ!だったんだけど…食べちゃったので残念ながら画像なし。くまさんのマシュマロ…可愛すぎて袋破けましぇん。

さよなら駒場校③

2008-03-16 22:51:43 | 日常
最後に…この画像だけはアップしとこうかなと思って。もうほとんど使われていないと思われるW館地下の奥にはGチュータールームと校長室(ほとんどテストゼミ置き場と化していた)と男子休憩所(週プロ常設)と女子更衣室と警備員室があったのです。その奥まったところで発見したこの掲示!わかるヒトだけわかって下さい。かめぞうです!他にもかえるのいち(一緒にタイ旅行に行った)ピーチ君(金沢出張に同行)とか爆笑キャラが駒場にはいたのよ。この写真送りたい人がいるんだけど、その人は個人メール持ってないのですって。携帯の写真を写真屋さんに持っていけば普通の写真にすることってできるの?知っている人は教えてちょうだいな。

さよなら駒場校②

2008-03-16 15:53:17 | 日常
さよなら駒場校第2弾。3/8は駒場校93年W1クラスの同窓会(92年でいいんだよね?おばちゃん最近記憶があやふや…)(93年でした。あわてて修正)このグループは予備校卒業後15年に渡って交流の続いているわたしにとっては奇跡の宝石のようなグループ。いまやみんな3×歳になり、それぞれの人生をそれぞれに生きている。私がはじめて18歳の君達と会った年齢をもう皆は超えてしまったのか~。感無量。
改装があって教授室や教務課は随分様変わりしてしまったけれど、ホームクラスだった教室は昔のまま。教授室に集まって昔話に花を咲かせているときは、あまり感じなかったけれど、221教室に入って席に座ったら、なんだかみんな18歳に戻っていたのがほほえましかった。あの頃は若くって世間知らずでナマイキだったぞ!みんな(笑)。わたしも教室では、たぶん30歳のあの頃に戻っていたかもしれない。30代になったばかりで、まだまだトンガって仕事してたあの頃。今の会社での私の評価を聞いたらみんな笑うかしら?
去年生まれたお子を連れての参加もあり、221教室の机に座らせての写真撮影。この子が18歳になるとき…その写真をみて河合塾駒場校ってところがあったということを記憶に残してくれるといいな。その時私は6×歳…どこでなにをしているのだろう?結局わたしは子どもを持てなかったけれど、子どもを持つというのはそういうこと。わたしが見られない未来を見ることができるということだ。素敵な未来になるといいな、そしていろんな体験ができるといいね。
写真はNくんが撮ってくれてた写真を使わせてもらいました。夕日がまぶしかった坂道、ドルトンスクールへのお迎えの高級車に浪人の子達はよく轢かれそうになってた。アカデミー教室に採点会議用のお茶セットやお弁当を台車で運んだことも懐かしい思い出の坂道。

さよなら駒場校①

2008-03-16 15:14:55 | 日常
ブログにはあまり固有名詞は出さないようにしてたけど。わたしのお勤め先だった学校が閉鎖になるというので、3/6にはさよならパーティ、3/8にはさよなら同窓会と河合塾駒場校に行ってきた。
わたしが駒場校に通勤していたのは92年から95年、ようやくチューター業務というものがなにかということがわかってきた頃。池袋のころはあまりに塾生が多くて、なにか言い方は悪いけれど「捌く」という感じがどこかにあった。池袋の後半、ハイ国文・東大文と少人数クラス(といっても100人はいたけど)を持ってやっと生徒一人ひとりの指導という感覚が掴めてきた。駒場に異動して、教務業務<チューター業務という雰囲気に驚いた。池袋ではとにかくやることが多すぎて、どう考えても教務業務>チューター業務だったしね。ちなみにうろ覚えながら、河合塾で私が持ったクラスを列挙しときます。…相当怪しいけど。ウチのクラスにいた子達、私を覚えていますか~?私は元気です。チューターはもうやっていないけど、別の会社で元気にやっていますよ。
<千駄ヶ谷>85WE<池袋>86WL・87WK・88WL・89NW・90KV・91LV<駒場>92W2・93W1・94W2・95W1<千葉>96WX・97LKSK・98LKSK(?千葉は相当怪しい)(ココは元塾生から指摘があって修正しました…)
ということで、第1弾は3/6、講師&職員のさよならパーティ。わたしは教授室・講師報酬・駒場に来ては小論文・論述系の仕事をしていたので、講師の皆さんとのお付合いはかなり密接だった。今思い出しても、懐かしすぎる池袋校での「大川先生番」「古藤先生番」。両先生とも気難しかしいと言われていて、怒鳴られたこともあったけど、言っていることや教務に求めていることは一本筋が通っていた。我侭に思える要求も、とにかく毎回毎回塾生に対して最高の講義をするために!なのである。だからこちらもそれを理解して対応すればいい。大川先生は鬼門の方になってしまい、古藤先生もご勇退された。お2人から得たものは私のココロの奥底でいつまでも仕事の基本として大切にしている核になっている。
6日は懐かしい先生方に沢山会えた。ほぼ10年ぶりだけど、相変わらず若々しくお元気そうでなにより。職員さんたちもホントに変わっていなかった。…しかし…職員(特に偉くなっている職員たち)はもう少し変わってもいいのではないかな~とかちょっと思ってしまった。みんな学校法人という世界にどっぷり浸かりすぎなのではないだろうか。世の中はどんどん変化している、コワイくらい。一度外の世界に出てみると、この変わり映えのなさというのもちょっとどうなんだろうと思ってしまう。転職したこと、正直後悔したこともあったけど…外に出たことは無駄ではなかった。人生は後戻りできない、常に進んでいくしかないのか。