アーカイブ『市民派アート活動の軌跡』

「アートNPO推進ネットワーク通信」
小冊子「アート市民たち」

5『絵はぼくを思索に誘う』(AS会誌掲載)

2016年04月06日 | 冊子『アート市民たち』
5、大倉さんのコメント“深い静謐感”に感謝 

 今回のコレクション展リーフレットへの大倉さんのコメントは大変嬉しいものであった。「・・山下さんの絵画コレクションに触れるのは初めて・・。・・感じる印象を言葉にすれば、“深い静謐感 ”とも言うべきものが共通して感じられる。個々の作り手の声である絵が繋がり、重なって、それらを見、感じたもうひとりの“見手 ”の感性がホログラムのように浮かび上がる。テーマでなく個人の目で、心で集められたコレクションの味わいだと思う。」

 私のコレクションに流れるものを深い静謐感と感じていただいたことは嬉しいことである。しかし、それ以上に嬉しいのは、どの作品にも “見手 ”つまり私の感性が共通して感じられると評価していただいたことである。確かに私のコレクションには、既に評価の定まっている物故作家の作品を蒐集するとか、特定作家の作品を体系的に蒐集するなどのテーマはない。著名作家の人気作品が市場に出ようが、画廊主から流行作家のものを勧められようが飛びつくことはないし、オークションで割安作品を探すこともない。有名作家か無名作家かに関わらず、或いは人がどう評価しようが影響されることはない。一貫しているのは、私の心に響く作品であるかどうかだけである。だから、大倉さんから「心で集めれたコレクションの味わいだと思う」と評していただいたことは、実に嬉しい。

 展覧会リーフレットに『好きな絵に囲まれ思索する、至福のひととき』と書いたが、私にとっての絵画コレクションとは “心の贅沢と知的な冒険 ”であり、 “人生探求の旅 ”なのかも知れない。好きな絵も表面的な美しさより、知的で深い精神性を感じさせる絵に魅かれる。ルオー作品など、まさにそういう絵の一つ。絵の見方も目に見えるものを見るというより、絵全体をつつむ空気を感じたり、その背後に流れるものを見ることを楽しみにしている。そして、“絵を見る ”とは“絵を読む ”こと、“絵を読む ”とは“思索すること ”、更に言うなら“本当の自分と向き合うこと ”であり、“人間や人生について考えること ”に他ならないと思うのである。だから、私のコレクションは、私の生きざま、人生観、感性が滲み、反映したものである訳で、私の人生そのものである。仮に私のコレクションに価値があるとするなら、私という人間が見えるということなのかもしれない。


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