一口馬主日記

一口出資している馬達や仲間内POGの雑感等

トゥザグローリーの引退③

2014年12月30日 | 出資馬メモリー
~有馬記念~
強行ローテでの出走となった有馬は超豪華メンバー。ローカル重賞を勝ったばかりの
グローリーには流石に荷が重いと思っていましたし、実際、人気もブービーとほぼ無印
状態。しかし、レースはそんな自分の弱気を払拭する素晴らしい力走で、後のドバイ
WCを勝つヴィクトワールピサ、歴史的名牝ブエナビスタとタイム差無しの3着。この
2頭は後から考えても、この時期が全盛期だったと思いますし、そんな名馬達と互角に
戦えたというのは名誉なこと。自分では負けレースではありますけどグローリーのベスト
レースはこの有馬だと思っていますし、今、見直してもこれだけの走りが出来る馬で
G1を勝てなかったのかと思うと、悔しい気持ちがこみ上げてきます。


能力は間違いなくG1級と確信させてくれた有馬記念

~京都記念から日経賞~
年明けは京都記念からのスタートとなった。G1馬が複数頭出走する豪華G2だったが、
有馬記念の走りが評価されて堂々1番人気。それに応える堂々とした走りでアッサリと
優勝。池江先生に最後の重賞タイトルをプレゼントし、花道を飾ってくれた。元々の
出資動機が池江先生と最後のダービーを夢見たいという気持ちだった訳で、それは
叶わなかったけど、記念の勝利を飾ってくれたことは感無量だった。しかし、そこから
グローリーの歯車が狂い始めた。2月末で池江先生が定年となったことで、グローリーは
池江息子厩舎に転厩。調教師は勿論のこと、調教助手は池江助手、厩務員は市川さんと、
日本屈指のチームに面倒みて貰っていたが、それが変わることはグローリーの馬生に
とって間違いなくマイナスだったと思う。仕方ないこととはいえ、転厩先が違ったらという
思いは今でもある。転厩後、天皇賞を目標にステップは日経賞に決まったが、その直後に
東日本大震災が起こり、競馬開催も大幅な変更があった。日経賞も当初、実施時期未定
となり、個人的には天皇賞を目指すなら、阪神大賞典をと思ったが、こちらは同厩の
トーセンジョーダンがおり、使い分けの問題か、頑なに日程未定の日経賞に固執。もう
この段階でこの厩舎は駄目だと思った訳ですわ。結果的に日経賞の日程はその後、
まもなく決まり、ローズキングダム、ペルーサ相手に圧巻の競馬を見せて重賞連勝を
決めてくれたが、今思えばこれは元々の池江厩舎での貯金で勝った感じなのかもしれない。


ローズキングダム、ペルーサを子供扱い。このままG1未勝利に終わるとは夢にも
思っていなかった…

~天皇賞・春から宝塚記念~
1番人気で挑んだ天皇賞は直前で福永騎手が騎乗停止になり、四位騎手に乗り変わる
アクシデントがあったが、とにかく有馬記念からの充実振りが素晴らしかったし、そんなの
関係ねぇ~とかなりの自信があった。距離不安も言われていたが、日経賞で超スロー
ペースで折り合ったことから、問題なくクリアしてくれると思っていた。しかし、レースは
1周目の1~2コーナーからガンガン掛かり、正面スタンド前では先頭に立つほど。その
後も向う正面では捲ってくる馬もいたりと、全く息の入らない展開となってしまい、直線は
ズルズル後退して惨敗。勝ちしか考えていなかっただけに、これはかなりショックだった…。
レース後もダメージが残り、宝塚記念も使うかどうかという状態だったが、強行出走して
再び大惨敗。池江厩舎はG1に多頭数出しするのが趣味か?と思うほど固執しており、
思えばこの時もそれに振り回された感じ。休ませる勇気があれば、また違った将来が
あったと思う。この時あたりから暑さの弱いということがクローズアップされ始めたが、
多少、そういう面はあるだろうけど、基本的には池江息子の惨敗に対する隠れ蓑だったと
今でも思っている。


天皇賞、宝塚と惨敗を喫し、あの強さはなんだったんだろうと…。

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