惨劇といっていいだろう。
家々は火に包まれ、そこかしこから逃げ惑う女たちの悲鳴が聞こえてくる。
男たちはもちろん、真っ先に殺された。兵士たちには、男を手篭めにする趣味はないというわけだ。
女たちの悲鳴は、夫を殺された悲しみだとか、息子を殺された悲しみだとか、恐ろしい兵士たちに対する恐怖だとか、あるいは自分のまたぐらに押し入ってくる男への嫌悪など様々だ。多くの女はそれらの全てを同時に体感することになってしまう。
火事は激しく、消火しようとする人間もいない。
ただ燃やされるままになっている家のごうごうという音と女たちの悲鳴は哀しみのハーモニーをかなで、一種荘厳というべきか、それはどこか神秘的なほど、日常という空間から切り離されていた。
その場所で、白いひげをたくわえた老人はいつものように、冷静だった。あごから長く伸びたひげに手をやって、考え事をしていた。
火がまずい。ということを思っていた。
誰がつけたかは、追及しても仕方ない。女を犯すことに夢中になっている男が、ろうそくの倒れているのに気がつかなかったのかもしれない。馬鹿な兵士が、戦勝と略奪の興奮に踊らされて放火してまわったのかもしれない。
理由はどうでもいい。とにかく、火はまずかった。
どんなに貧相でも、ここは家であり、家である以上は人が住んでいたのだ。どんなに飢えているようでも、人が住んでいる限りは麦の一粒もないということはない。わら束の寝床でも、土の上に直接寝るよりはましだろう。雨が降れば、雨漏りはするかもしれない。だが、雨の中でただ突っ立っているよりは何倍も快適に違いない。
小さい村だが、老人はここで部隊の補給と一時滞在をするつもりだった。
だから、火はまずい。
食べるものもなく、男たちは、寒い中を腹を空かせて、鉄の重い鎧をつけて歩いてきたのだ。三日も、寝ずの強行軍だった。
三日歩いたら、そこに村があった。あるのを知っていたから、歩いてきた。
何かを食べなければ、人間は生きていけない。運の悪いことに、老人の部隊の歩いてきた森の中には、食べられるようなものはなかった。動物たちはもちろん、大勢の人間の気配に恐れをなして、真っ先に消えうせてしまった。
だから、三日間ほとんど何も食べてない。
男たちは当然飢えていて、空腹なのは当たり前なのだが、女にも飢えていた。こちらは一ヶ月も匂いさえかいでいない。
しかし、すきっ腹を抱えて元気なことだ、と老人は思わずにはいられない。
あいつらと来たら、ろくに飯も食わずに女を襲いだしたのだ。
この村につくまで、半ば死んだような顔をしてふらふらとしていたものが、女を見た途端、戦場にいるときよりも力強く駆け出した。
その様子を思い出して、普段は笑わない老人の口の端が、小さく笑う形につりあがった。
苦笑する老人の周囲は赤く燃え上がり、苦りきった笑みを場違いだと非難しているようにも思われる。
ここは熱い。火事が広がって、灰色の鎧が、オレンジに燃え上がっている。
兜に押し込められて蒸れた頭から、汗の筋がつう、としたった。
兵隊と、女と、火事と飢え。そういえば、老人もまだ何も食べていない。何か食べるものを。そう思ったときに、聞こえてきたのだった。
声、とは少し違う。鳴き声だ。
おぎゃあ。
そう聞こえた。
老人は気にせずに、焼けてる家から、今のうちに食べ物でも探しておこうと思った。
今さら火は消せないだろうが、せめて食べ物は少しくらい、探しておかなければならない。男たちが女を犯すのに夢中になっているうちに、全てが燃え尽きてしまわないとも限らない。だから、自分の食べる分くらいは探しておこう。
聞こえてきたものは気にもせず、歩き出そうとした瞬間。
ずん、と足が重かった。
重かったような気がしたが、もともと老人は鎧を着込んでいる。全身鉄まみれなのだから、重いのが当然だ。三日の強行軍の疲れが、ほんのわずか立ち止まった瞬間に押し寄せてきたのだと思った。
疲労に年齢を感じながら、再び一歩を踏み出した。やはり妙に重い。足の動きにあわせて、小さな塊が飛び上がった。
赤ん坊だった。
老人の足に、しがみついていた。赤ん坊にしては、恐るべき腕力というべきだろう。 老人の足の動きにあわせて、びょんと跳ね上がってから、地面に落下する。落ちた瞬間、
「ぎゃぷ」
苦情をいうようにうめいた。
邪魔なので、足を振って振りほどこうと試みた。
ところが、赤ん坊は老人の足にしっかりしがみついて離さない。
ぶんぶんと振り回して、そのたびに地面に激突しながらも腕を離さない。あまりに邪魔なので、地面に落ちたところを踏み潰した。
赤ん坊は、
「げぷ」
再びうめいたが、手は老人の足にしがみついたままだった。
その様を、老人は少しの間眺めていた。
二、三度足に力を入れてみた。足をぐいと押すたびに「げぷ」というようにうめく。三度目に踏み込むと、嘔吐しながら「ごぷ」と、いやな鳴き声をあげた。しかし、赤ん坊は手を離さない。
「赤子」
わずかに興味がわき、老人は口を開いた。
「名はなんという」
赤ん坊にするべき質問ではなかった。相手は鳴くことは出来るが、まだ言葉を喋ることのできる生物ではない。
「ふむ」
喋ることはできないが、持ち物を示すことは出来た。
老人にしがみついているのとは逆の手で、赤ん坊は汚れたぬいぐるみを掲げて見せた。背中に、文字が刺繍してある。
「サヤ」
老人がその文字を読むと、赤ん坊はにわかに嬉しそうにぎゃあ、と鳴いた。それだ。それが自分の名前だと、誇示しているかのようでもあった。
踏みつけていた赤ん坊を、老人は荷物を持つようにして持ち上げた。股に手を当てて、
「女か」
男なら、育てば大した戦士になるかもしれないと思ったのだが。女では仕方ない。
あらためて投げ捨てようと思ったが、
「赤子」
赤ん坊は、老人の足をつかんでいたときのように、老人の白ひげを強く握りしめていた。
ひきはなそうとすると、かなり痛い。老人が手を離しても、すべりやすいだろうはずの老人のひげをつかんで、振り子のようにゆれている。
老人は再び興味を抱いた。
「生きたいか」
いまだ言葉を理解しない生物にはわからないであろう質問をすると、赤ん坊は一声鳴いた。
「おぎゃあ」
老人が何を考えていたかは、誰も知らない。
元から、何を考えているかわからない大将ということで通っていた。が、今回ばかりは、長年付き従ってきた屈強な男たちも、本当にわからないと思った。
「育てる」
炎の中からフラリと戻ってくるや、老人はいった。胸に赤ん坊を抱いていた。
この、血と涙が流れてはいても、明らかに人よりは薄いだろう老人が。
周囲は理解に苦しんだが、老人の意見に反対しようとするものは誰もいなかった。老人は、誰よりも地位が高かったし、誰よりも戦場をくぐっていたし、誰よりも強かった。判断を誤ったこともなかったし、それどころか、老人の部隊の誰ひとりとして、大きな戦争小さな小競り合い個人的なけんかに至るまで、老人が負けたところを見たことがなかった。
だから、誰一人として老人に反対したことのある人間はいなかったし、このときも変わらなかった。
サヤという名の赤ん坊は、こうして老人に育てられることになった。
老人は、赤ん坊を連れて戦場に出るようになった。戦場といっても、切り合いの中まで連れていくのだ。けれど、老人は相変わらず誰よりも偉かったし、赤ん坊を抱えながらも負けなかったし、どうしたものかと皆が思っても、大変とっつきにくかったので、表立って苦情をいってくるものはいなかった。放っておいても老人も赤ん坊も怪我をしなかったので、その必要もなかった。
戦争は続く。
後に百年戦争と呼ばれるほど、この戦争は続いた。
だから、赤ん坊が少女になるころ、まだ戦争は続いていた。
戦争の中で、老人の部隊には、変化があった。
部隊の顔ぶれが変わったということと、赤ん坊が少女に成長したこと。あと変わったことといえば、なんといっても老人だった。
子供を育てている間に、それまで押さえつけていた人間の血が、理性の堤防を越えてあふれ出してきたかのように思われた。
その堤防はよほどの重圧を支え続けていたのだろう。ひとたび人情があふれだすと、堤防は根元から粉々になったかのようだった。
「サヤ、疲れたか」
行軍するときは、おぶってやった。おぶる時に痛くないようにと、鎧を脱いでしまう。
「サヤ、眠くないか」
徹夜の行軍時などは、当然のようにおぶって歩く。
「サヤ、辛くないか」
風邪をひけば、一晩中付き添うようになった。行軍する必要のあるときは、布団ごと板にのせて歩いた。
「サヤ、腹減ったか」
自分の食べる分まで、サヤが腹を空かせていれば分けてやった。
「肉食いてえ」
サヤも、軍隊育ちで荒れ果てている言葉で、思う存分老人に甘えた。
老人が恐ろしくタフなおかげで、サヤが邪魔になるというようなことは、少なかった。
サヤも体力はあるほうで、重荷を背負わせたりしなければ、軍隊の強行軍に自分の足でついてくる。ただ、老人が不思議なほど親ばかで、夜になると無理やり寝かせつけた。
「大将は、優しくなった」
とは、もっぱらの評判で、サヤに対して優しいのは誰に目にも明らかだが、どうやら部下に対する愛情にも目覚めたかに思われた。以前は、老人が常に発するぴりぴりした空気のために、睡眠時ですら心が休まらなかったものだが、今はどうだ。父の抱擁を思わせる空気を、老人は持つようになった。
軍隊はどちらかといえば家庭的な雰囲気を持つようになり、どこからも見放されて、最後に傭兵になるしかなかった荒くれどもも、最後の安住の地として、この部隊を愛するようになっていった。
この話は、このあたりからはじまる。
少女は十四才。老人の年齢は誰も知らない。
百年戦争の終わる二年ほど前、雨の戦場から、物語は動き出す。
家々は火に包まれ、そこかしこから逃げ惑う女たちの悲鳴が聞こえてくる。
男たちはもちろん、真っ先に殺された。兵士たちには、男を手篭めにする趣味はないというわけだ。
女たちの悲鳴は、夫を殺された悲しみだとか、息子を殺された悲しみだとか、恐ろしい兵士たちに対する恐怖だとか、あるいは自分のまたぐらに押し入ってくる男への嫌悪など様々だ。多くの女はそれらの全てを同時に体感することになってしまう。
火事は激しく、消火しようとする人間もいない。
ただ燃やされるままになっている家のごうごうという音と女たちの悲鳴は哀しみのハーモニーをかなで、一種荘厳というべきか、それはどこか神秘的なほど、日常という空間から切り離されていた。
その場所で、白いひげをたくわえた老人はいつものように、冷静だった。あごから長く伸びたひげに手をやって、考え事をしていた。
火がまずい。ということを思っていた。
誰がつけたかは、追及しても仕方ない。女を犯すことに夢中になっている男が、ろうそくの倒れているのに気がつかなかったのかもしれない。馬鹿な兵士が、戦勝と略奪の興奮に踊らされて放火してまわったのかもしれない。
理由はどうでもいい。とにかく、火はまずかった。
どんなに貧相でも、ここは家であり、家である以上は人が住んでいたのだ。どんなに飢えているようでも、人が住んでいる限りは麦の一粒もないということはない。わら束の寝床でも、土の上に直接寝るよりはましだろう。雨が降れば、雨漏りはするかもしれない。だが、雨の中でただ突っ立っているよりは何倍も快適に違いない。
小さい村だが、老人はここで部隊の補給と一時滞在をするつもりだった。
だから、火はまずい。
食べるものもなく、男たちは、寒い中を腹を空かせて、鉄の重い鎧をつけて歩いてきたのだ。三日も、寝ずの強行軍だった。
三日歩いたら、そこに村があった。あるのを知っていたから、歩いてきた。
何かを食べなければ、人間は生きていけない。運の悪いことに、老人の部隊の歩いてきた森の中には、食べられるようなものはなかった。動物たちはもちろん、大勢の人間の気配に恐れをなして、真っ先に消えうせてしまった。
だから、三日間ほとんど何も食べてない。
男たちは当然飢えていて、空腹なのは当たり前なのだが、女にも飢えていた。こちらは一ヶ月も匂いさえかいでいない。
しかし、すきっ腹を抱えて元気なことだ、と老人は思わずにはいられない。
あいつらと来たら、ろくに飯も食わずに女を襲いだしたのだ。
この村につくまで、半ば死んだような顔をしてふらふらとしていたものが、女を見た途端、戦場にいるときよりも力強く駆け出した。
その様子を思い出して、普段は笑わない老人の口の端が、小さく笑う形につりあがった。
苦笑する老人の周囲は赤く燃え上がり、苦りきった笑みを場違いだと非難しているようにも思われる。
ここは熱い。火事が広がって、灰色の鎧が、オレンジに燃え上がっている。
兜に押し込められて蒸れた頭から、汗の筋がつう、としたった。
兵隊と、女と、火事と飢え。そういえば、老人もまだ何も食べていない。何か食べるものを。そう思ったときに、聞こえてきたのだった。
声、とは少し違う。鳴き声だ。
おぎゃあ。
そう聞こえた。
老人は気にせずに、焼けてる家から、今のうちに食べ物でも探しておこうと思った。
今さら火は消せないだろうが、せめて食べ物は少しくらい、探しておかなければならない。男たちが女を犯すのに夢中になっているうちに、全てが燃え尽きてしまわないとも限らない。だから、自分の食べる分くらいは探しておこう。
聞こえてきたものは気にもせず、歩き出そうとした瞬間。
ずん、と足が重かった。
重かったような気がしたが、もともと老人は鎧を着込んでいる。全身鉄まみれなのだから、重いのが当然だ。三日の強行軍の疲れが、ほんのわずか立ち止まった瞬間に押し寄せてきたのだと思った。
疲労に年齢を感じながら、再び一歩を踏み出した。やはり妙に重い。足の動きにあわせて、小さな塊が飛び上がった。
赤ん坊だった。
老人の足に、しがみついていた。赤ん坊にしては、恐るべき腕力というべきだろう。 老人の足の動きにあわせて、びょんと跳ね上がってから、地面に落下する。落ちた瞬間、
「ぎゃぷ」
苦情をいうようにうめいた。
邪魔なので、足を振って振りほどこうと試みた。
ところが、赤ん坊は老人の足にしっかりしがみついて離さない。
ぶんぶんと振り回して、そのたびに地面に激突しながらも腕を離さない。あまりに邪魔なので、地面に落ちたところを踏み潰した。
赤ん坊は、
「げぷ」
再びうめいたが、手は老人の足にしがみついたままだった。
その様を、老人は少しの間眺めていた。
二、三度足に力を入れてみた。足をぐいと押すたびに「げぷ」というようにうめく。三度目に踏み込むと、嘔吐しながら「ごぷ」と、いやな鳴き声をあげた。しかし、赤ん坊は手を離さない。
「赤子」
わずかに興味がわき、老人は口を開いた。
「名はなんという」
赤ん坊にするべき質問ではなかった。相手は鳴くことは出来るが、まだ言葉を喋ることのできる生物ではない。
「ふむ」
喋ることはできないが、持ち物を示すことは出来た。
老人にしがみついているのとは逆の手で、赤ん坊は汚れたぬいぐるみを掲げて見せた。背中に、文字が刺繍してある。
「サヤ」
老人がその文字を読むと、赤ん坊はにわかに嬉しそうにぎゃあ、と鳴いた。それだ。それが自分の名前だと、誇示しているかのようでもあった。
踏みつけていた赤ん坊を、老人は荷物を持つようにして持ち上げた。股に手を当てて、
「女か」
男なら、育てば大した戦士になるかもしれないと思ったのだが。女では仕方ない。
あらためて投げ捨てようと思ったが、
「赤子」
赤ん坊は、老人の足をつかんでいたときのように、老人の白ひげを強く握りしめていた。
ひきはなそうとすると、かなり痛い。老人が手を離しても、すべりやすいだろうはずの老人のひげをつかんで、振り子のようにゆれている。
老人は再び興味を抱いた。
「生きたいか」
いまだ言葉を理解しない生物にはわからないであろう質問をすると、赤ん坊は一声鳴いた。
「おぎゃあ」
老人が何を考えていたかは、誰も知らない。
元から、何を考えているかわからない大将ということで通っていた。が、今回ばかりは、長年付き従ってきた屈強な男たちも、本当にわからないと思った。
「育てる」
炎の中からフラリと戻ってくるや、老人はいった。胸に赤ん坊を抱いていた。
この、血と涙が流れてはいても、明らかに人よりは薄いだろう老人が。
周囲は理解に苦しんだが、老人の意見に反対しようとするものは誰もいなかった。老人は、誰よりも地位が高かったし、誰よりも戦場をくぐっていたし、誰よりも強かった。判断を誤ったこともなかったし、それどころか、老人の部隊の誰ひとりとして、大きな戦争小さな小競り合い個人的なけんかに至るまで、老人が負けたところを見たことがなかった。
だから、誰一人として老人に反対したことのある人間はいなかったし、このときも変わらなかった。
サヤという名の赤ん坊は、こうして老人に育てられることになった。
老人は、赤ん坊を連れて戦場に出るようになった。戦場といっても、切り合いの中まで連れていくのだ。けれど、老人は相変わらず誰よりも偉かったし、赤ん坊を抱えながらも負けなかったし、どうしたものかと皆が思っても、大変とっつきにくかったので、表立って苦情をいってくるものはいなかった。放っておいても老人も赤ん坊も怪我をしなかったので、その必要もなかった。
戦争は続く。
後に百年戦争と呼ばれるほど、この戦争は続いた。
だから、赤ん坊が少女になるころ、まだ戦争は続いていた。
戦争の中で、老人の部隊には、変化があった。
部隊の顔ぶれが変わったということと、赤ん坊が少女に成長したこと。あと変わったことといえば、なんといっても老人だった。
子供を育てている間に、それまで押さえつけていた人間の血が、理性の堤防を越えてあふれ出してきたかのように思われた。
その堤防はよほどの重圧を支え続けていたのだろう。ひとたび人情があふれだすと、堤防は根元から粉々になったかのようだった。
「サヤ、疲れたか」
行軍するときは、おぶってやった。おぶる時に痛くないようにと、鎧を脱いでしまう。
「サヤ、眠くないか」
徹夜の行軍時などは、当然のようにおぶって歩く。
「サヤ、辛くないか」
風邪をひけば、一晩中付き添うようになった。行軍する必要のあるときは、布団ごと板にのせて歩いた。
「サヤ、腹減ったか」
自分の食べる分まで、サヤが腹を空かせていれば分けてやった。
「肉食いてえ」
サヤも、軍隊育ちで荒れ果てている言葉で、思う存分老人に甘えた。
老人が恐ろしくタフなおかげで、サヤが邪魔になるというようなことは、少なかった。
サヤも体力はあるほうで、重荷を背負わせたりしなければ、軍隊の強行軍に自分の足でついてくる。ただ、老人が不思議なほど親ばかで、夜になると無理やり寝かせつけた。
「大将は、優しくなった」
とは、もっぱらの評判で、サヤに対して優しいのは誰に目にも明らかだが、どうやら部下に対する愛情にも目覚めたかに思われた。以前は、老人が常に発するぴりぴりした空気のために、睡眠時ですら心が休まらなかったものだが、今はどうだ。父の抱擁を思わせる空気を、老人は持つようになった。
軍隊はどちらかといえば家庭的な雰囲気を持つようになり、どこからも見放されて、最後に傭兵になるしかなかった荒くれどもも、最後の安住の地として、この部隊を愛するようになっていった。
この話は、このあたりからはじまる。
少女は十四才。老人の年齢は誰も知らない。
百年戦争の終わる二年ほど前、雨の戦場から、物語は動き出す。