ハラキリ

小説、映画、漫画、えろげーとかの感想日記。★0個は論外。★1個はいまいち。★2個は結構好き。★3個はかなり好き。

オールド・ミーツ・ガール

2006-05-06 18:44:24 | 創作小説
 惨劇といっていいだろう。
 家々は火に包まれ、そこかしこから逃げ惑う女たちの悲鳴が聞こえてくる。
 男たちはもちろん、真っ先に殺された。兵士たちには、男を手篭めにする趣味はないというわけだ。
 女たちの悲鳴は、夫を殺された悲しみだとか、息子を殺された悲しみだとか、恐ろしい兵士たちに対する恐怖だとか、あるいは自分のまたぐらに押し入ってくる男への嫌悪など様々だ。多くの女はそれらの全てを同時に体感することになってしまう。
 火事は激しく、消火しようとする人間もいない。
 ただ燃やされるままになっている家のごうごうという音と女たちの悲鳴は哀しみのハーモニーをかなで、一種荘厳というべきか、それはどこか神秘的なほど、日常という空間から切り離されていた。
 その場所で、白いひげをたくわえた老人はいつものように、冷静だった。あごから長く伸びたひげに手をやって、考え事をしていた。
 火がまずい。ということを思っていた。
 誰がつけたかは、追及しても仕方ない。女を犯すことに夢中になっている男が、ろうそくの倒れているのに気がつかなかったのかもしれない。馬鹿な兵士が、戦勝と略奪の興奮に踊らされて放火してまわったのかもしれない。
 理由はどうでもいい。とにかく、火はまずかった。
 どんなに貧相でも、ここは家であり、家である以上は人が住んでいたのだ。どんなに飢えているようでも、人が住んでいる限りは麦の一粒もないということはない。わら束の寝床でも、土の上に直接寝るよりはましだろう。雨が降れば、雨漏りはするかもしれない。だが、雨の中でただ突っ立っているよりは何倍も快適に違いない。
 小さい村だが、老人はここで部隊の補給と一時滞在をするつもりだった。
だから、火はまずい。
 食べるものもなく、男たちは、寒い中を腹を空かせて、鉄の重い鎧をつけて歩いてきたのだ。三日も、寝ずの強行軍だった。
 三日歩いたら、そこに村があった。あるのを知っていたから、歩いてきた。
 何かを食べなければ、人間は生きていけない。運の悪いことに、老人の部隊の歩いてきた森の中には、食べられるようなものはなかった。動物たちはもちろん、大勢の人間の気配に恐れをなして、真っ先に消えうせてしまった。
 だから、三日間ほとんど何も食べてない。
 男たちは当然飢えていて、空腹なのは当たり前なのだが、女にも飢えていた。こちらは一ヶ月も匂いさえかいでいない。
 しかし、すきっ腹を抱えて元気なことだ、と老人は思わずにはいられない。
 あいつらと来たら、ろくに飯も食わずに女を襲いだしたのだ。
 この村につくまで、半ば死んだような顔をしてふらふらとしていたものが、女を見た途端、戦場にいるときよりも力強く駆け出した。
 その様子を思い出して、普段は笑わない老人の口の端が、小さく笑う形につりあがった。
 苦笑する老人の周囲は赤く燃え上がり、苦りきった笑みを場違いだと非難しているようにも思われる。
 ここは熱い。火事が広がって、灰色の鎧が、オレンジに燃え上がっている。
 兜に押し込められて蒸れた頭から、汗の筋がつう、としたった。
 兵隊と、女と、火事と飢え。そういえば、老人もまだ何も食べていない。何か食べるものを。そう思ったときに、聞こえてきたのだった。
 声、とは少し違う。鳴き声だ。
 おぎゃあ。
 そう聞こえた。
 老人は気にせずに、焼けてる家から、今のうちに食べ物でも探しておこうと思った。
 今さら火は消せないだろうが、せめて食べ物は少しくらい、探しておかなければならない。男たちが女を犯すのに夢中になっているうちに、全てが燃え尽きてしまわないとも限らない。だから、自分の食べる分くらいは探しておこう。
 聞こえてきたものは気にもせず、歩き出そうとした瞬間。
 ずん、と足が重かった。
 重かったような気がしたが、もともと老人は鎧を着込んでいる。全身鉄まみれなのだから、重いのが当然だ。三日の強行軍の疲れが、ほんのわずか立ち止まった瞬間に押し寄せてきたのだと思った。
 疲労に年齢を感じながら、再び一歩を踏み出した。やはり妙に重い。足の動きにあわせて、小さな塊が飛び上がった。
 赤ん坊だった。
 老人の足に、しがみついていた。赤ん坊にしては、恐るべき腕力というべきだろう。 老人の足の動きにあわせて、びょんと跳ね上がってから、地面に落下する。落ちた瞬間、
「ぎゃぷ」
 苦情をいうようにうめいた。
 邪魔なので、足を振って振りほどこうと試みた。
 ところが、赤ん坊は老人の足にしっかりしがみついて離さない。
ぶんぶんと振り回して、そのたびに地面に激突しながらも腕を離さない。あまりに邪魔なので、地面に落ちたところを踏み潰した。
 赤ん坊は、
「げぷ」
 再びうめいたが、手は老人の足にしがみついたままだった。
 その様を、老人は少しの間眺めていた。
 二、三度足に力を入れてみた。足をぐいと押すたびに「げぷ」というようにうめく。三度目に踏み込むと、嘔吐しながら「ごぷ」と、いやな鳴き声をあげた。しかし、赤ん坊は手を離さない。
「赤子」
 わずかに興味がわき、老人は口を開いた。
「名はなんという」
 赤ん坊にするべき質問ではなかった。相手は鳴くことは出来るが、まだ言葉を喋ることのできる生物ではない。
「ふむ」
 喋ることはできないが、持ち物を示すことは出来た。
 老人にしがみついているのとは逆の手で、赤ん坊は汚れたぬいぐるみを掲げて見せた。背中に、文字が刺繍してある。
「サヤ」
 老人がその文字を読むと、赤ん坊はにわかに嬉しそうにぎゃあ、と鳴いた。それだ。それが自分の名前だと、誇示しているかのようでもあった。
 踏みつけていた赤ん坊を、老人は荷物を持つようにして持ち上げた。股に手を当てて、
「女か」
 男なら、育てば大した戦士になるかもしれないと思ったのだが。女では仕方ない。
 あらためて投げ捨てようと思ったが、
「赤子」
 赤ん坊は、老人の足をつかんでいたときのように、老人の白ひげを強く握りしめていた。
 ひきはなそうとすると、かなり痛い。老人が手を離しても、すべりやすいだろうはずの老人のひげをつかんで、振り子のようにゆれている。
 老人は再び興味を抱いた。
「生きたいか」
 いまだ言葉を理解しない生物にはわからないであろう質問をすると、赤ん坊は一声鳴いた。
「おぎゃあ」
 

老人が何を考えていたかは、誰も知らない。
 元から、何を考えているかわからない大将ということで通っていた。が、今回ばかりは、長年付き従ってきた屈強な男たちも、本当にわからないと思った。
「育てる」
 炎の中からフラリと戻ってくるや、老人はいった。胸に赤ん坊を抱いていた。
 この、血と涙が流れてはいても、明らかに人よりは薄いだろう老人が。
 周囲は理解に苦しんだが、老人の意見に反対しようとするものは誰もいなかった。老人は、誰よりも地位が高かったし、誰よりも戦場をくぐっていたし、誰よりも強かった。判断を誤ったこともなかったし、それどころか、老人の部隊の誰ひとりとして、大きな戦争小さな小競り合い個人的なけんかに至るまで、老人が負けたところを見たことがなかった。
 だから、誰一人として老人に反対したことのある人間はいなかったし、このときも変わらなかった。
 サヤという名の赤ん坊は、こうして老人に育てられることになった。
 老人は、赤ん坊を連れて戦場に出るようになった。戦場といっても、切り合いの中まで連れていくのだ。けれど、老人は相変わらず誰よりも偉かったし、赤ん坊を抱えながらも負けなかったし、どうしたものかと皆が思っても、大変とっつきにくかったので、表立って苦情をいってくるものはいなかった。放っておいても老人も赤ん坊も怪我をしなかったので、その必要もなかった。
 戦争は続く。
 後に百年戦争と呼ばれるほど、この戦争は続いた。
 だから、赤ん坊が少女になるころ、まだ戦争は続いていた。
 戦争の中で、老人の部隊には、変化があった。
部隊の顔ぶれが変わったということと、赤ん坊が少女に成長したこと。あと変わったことといえば、なんといっても老人だった。
 子供を育てている間に、それまで押さえつけていた人間の血が、理性の堤防を越えてあふれ出してきたかのように思われた。
 その堤防はよほどの重圧を支え続けていたのだろう。ひとたび人情があふれだすと、堤防は根元から粉々になったかのようだった。
「サヤ、疲れたか」
 行軍するときは、おぶってやった。おぶる時に痛くないようにと、鎧を脱いでしまう。
「サヤ、眠くないか」
 徹夜の行軍時などは、当然のようにおぶって歩く。
「サヤ、辛くないか」
 風邪をひけば、一晩中付き添うようになった。行軍する必要のあるときは、布団ごと板にのせて歩いた。
「サヤ、腹減ったか」
 自分の食べる分まで、サヤが腹を空かせていれば分けてやった。
「肉食いてえ」
 サヤも、軍隊育ちで荒れ果てている言葉で、思う存分老人に甘えた。
 老人が恐ろしくタフなおかげで、サヤが邪魔になるというようなことは、少なかった。
 サヤも体力はあるほうで、重荷を背負わせたりしなければ、軍隊の強行軍に自分の足でついてくる。ただ、老人が不思議なほど親ばかで、夜になると無理やり寝かせつけた。
「大将は、優しくなった」
 とは、もっぱらの評判で、サヤに対して優しいのは誰に目にも明らかだが、どうやら部下に対する愛情にも目覚めたかに思われた。以前は、老人が常に発するぴりぴりした空気のために、睡眠時ですら心が休まらなかったものだが、今はどうだ。父の抱擁を思わせる空気を、老人は持つようになった。
 軍隊はどちらかといえば家庭的な雰囲気を持つようになり、どこからも見放されて、最後に傭兵になるしかなかった荒くれどもも、最後の安住の地として、この部隊を愛するようになっていった。
 この話は、このあたりからはじまる。
 少女は十四才。老人の年齢は誰も知らない。
 百年戦争の終わる二年ほど前、雨の戦場から、物語は動き出す。


坂口安吾

2006-05-05 15:13:47 | 小説
 さて……このブログを見ていてもわからないんですが、私のHN(はんどるねーむ)はあんごと言います。HN、つまりネットにおける名前のことですね。本名を使う人もいるでしょうが、カムパネルラとか、タカシ、とかカタカナにしてみたりと皆さん工夫しています。
 私の場合、もともとはラグナロクオンライン、というMMO(沢山の人が同時プレイするオンライン)RPGのキャラクターに名前をつけるときにanngo、という名前をつけまして、ゲーム内で知り合いなど作って「あんごー」などと呼ばれているうちに、「あんご」を様々な掲示板などでも使う、要するにHNにしてしまいました。
 HNって結構、元ネタわかっちゃう人いますね。
「あー、あの漫画だな」とか「あー、あの小説だな」とか「あー、あの映画だな」とか「あー、あのアニメだな」とか「芸能人かよ! 本人じゃないだろう」とか「シューマッハかよ!」とか色々あります。
 でもまぁ、そんなにわかりやすい人は少ないですね。例えば、「所ジョージ」とか「トールキン」とかは見たことありません。あんまりメジャーすぎると、自分の名前という感じがしないでしょうしね。
 などといいつつ、私のHNあんごは、坂口安吾という小説家からそのまま頂いています。ゲームを始めるときに「まぁ知ってる人はあんまりいないだろう」と思ってつけまして、大体その通りだったのですが……小説サイトなどを見に行くようになりました昨今、「さすがに小説読んでる人は結構知ってるだろうなぁ」などと思いながらの書き込みをしているわけでありまして。
 んあーどうでもいいですねー。
 最後に坂口安吾、新潮文庫の「ジロリの女」に収録している「行雲流水」という短編が面白いです。スペシャルタフな女性の話です。
 乱雑に終了。さいならです。

背景の変更について

2006-05-01 03:21:11 | 雑事
 赤い背景、どう考えても目が疲れるので、テンプレートをシンプルなものに変えてみました。
 相変わらず小説読んだり書いたり就職活動したり、映画もちょっと観たり、ブログに創作小説でも載せようかと考えてみたり。零細ブログだけれど、もうちょっとだけ続くんじゃよ。

一応このブログのメインである小説批評のようなもの

2006-04-16 23:54:13 | 小説
 駄文を書き散らしはしたものの、一応このページは「小説の感想とかのせる場所」という私本人の、しかし忘れかけの意図を思い出す意味もこめて、ブログ停滞中に読んだものと、その中で面白かったものなど。
「薔薇のマリアⅤ」十文字青、「神様家族」桑島由一、「悪魔のミカタ2,3」うえお久光、「銃姫1」高殿円、「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い」西尾維新。えーと、6冊。
 お気に入りシリーズ「薔薇のマリア」は、今回は趣向が変わって主人公がほとんど出てこない。主人公LOVE!!の身としては、少々点数が下がるところ。第一シリーズものなので、5巻だけ褒めても仕方がない。まぁ、ライトノベルというやつは1巻だけ見ても種類がめちゃくちゃあるので、どのシリーズの1巻を読もうかと思っているあなた。「薔薇のマリア」はとてもオススメ。「悪魔のミカタ」も結構面白い。逆に「神様家族」「銃姫」は……両方MF文庫Jなんだけれど、どっちもいまいち冴えなかった気が。つまり面白くはなかった。とはいえ、私は今のところ、個人の好き嫌い以上の評価が出来る人間ではなさそう。ん……ちょっと文章下手だったような気もするけど、まぁ文章の上手い下手なんてのはそこまで大事なことでも。一応人気シリーズらしい……けど、……面白い……のかな?人気というのがどのくらいの人気度数なのか分からないものの、人気が出るってことは面白いと判断する人がある程度いるということなわけで。私が面白くないと言ったところで、売れてるもん勝ちですね。1巻面白くなくても2巻以降面白くなることも多いので、いずれ読むかは悩みどころ。まぁ他に読むもん一杯あるんで保留。
 さて、上の文章に出てきていないけれど、「クビキリサイクル」なかなか面白かった。
「なかなか」とか偉そうだな……自分で文章書きはじめたりしたせいか、人の文章を批評することに対して遠慮しがち。プロ作家(デビュー一作目でも)である以上、編集さんやら未来の不安やらにもまれたりしながら頑張っているんだから、自分の文章と比べて、自分の方が上手いと思うことはやっぱり少ないわけで。ちょっとはあるけど、200から300くらいのページ数を書く間に多少文が崩れたり誤字が出たりするのはある程度仕方ないことで、せいぜい50ページだかの短文しか書いてない自分と比較するのはお門違い。短距離走者が100メートルを走った時点で、5キロを走らなきゃいけない長距離走者が後ろにいるのを見て「遅い」というのと同じ。そんなのは明らかに馬鹿なので、自分の方が上手いとか思っちゃいけません。自戒。
 ……さて、今回も長文になってしまった……。
 万が一……単位を日数として計算すると、一万日イコール27年と145日。つまり、自分が50に差し掛かるころまでブログを続けていれば、常連さんが一人くらいは出てくるだろうという程度の期待を抱きながら今日はここらで。
 ちなみに今回の教訓は、80年生きれば3回くらいは「万が一」があるんだよってことだね!

ブログについて

2006-04-16 23:26:21 | なんか色々
 さて、ブログが停滞している。誰と約束したわけでもなければ、これまで長く続いているわけでもないのでいつやめても、まず誰も気づくまい。特に世界に向けて(というと大げさだけれど)発信したいこともなし。特定の会社の人事課の人たちに向けてはBARIBARIに発信したいことが山積み。しかし、まぁ、偶然にして【メディアワークス】の人が(万分の一で見てた場合に備えて社名を公表)このページを見ていたとしても、本名公開してないから意味はないわけで。つまり本名を公開すれば万が一……よりも明らかに低い確率で就職活動の、いや、今後の人生の転換点となる可能性がなきにしもあらず。ひゃっほう。
 イニシャルA,Oです。イニシャルにする場合名前が先でよかったのかな?
 いやしかし。
 せいぜい2、30人程度のここをご覧になったあなた。駄文失礼。

半分の月がのぼる空6

2006-04-09 18:19:00 | 小説
「半分の月がのぼる空6」橋本紡、を読了。
 やー結構いい。
 題材としてはそこまで珍しいわけではない「死病」持ちの少女と、ちょっとしたことで病院に入院してきた少年の恋物語。といってまぁ間違いないだろう。それを電撃文庫でやったことは珍しい。また、「病院恋物語」という類型で行くと、新しい感じがしなくもない。ヒロインの少女はばりばりに可愛くて頭もいい、主人公の少年は馬鹿だけど、やるときゃやるぜ、馬鹿だからな。という感じ。馬鹿な少年と頭のいいけど口の悪い少女の恋というのが、死ぬの生きるのという話の中で、というかそういう話の中にあるから余計なのか、ほわわ……といい感じで伝わってくる。文章も上手い感じ。
 今作は最終巻なのだけど、1冊まるごとエピローグと言うのが正しいようだ。
 5巻までで病気云々という正念場は全部終わり、良かった、生きててくれて良かった。えへへ、これからは一緒だね。あたし先に死んじゃうけど、それまでは一緒だね。おう、それまでは一緒だぜ。というのは……所々に散ってはいるけど、それが6巻の趣旨ではない。あくまでも、病気が治って、でも結局は死んでしまうまでの間の平和な日常を描いた巻なのだ。
 こういう話を書く作家は電撃文庫には珍しいし、それを面白く書けるとなるとまた一つ珍しくなる。ある意味、講談社のような「面白ければなんでも出すぜ」的なスタンスの電撃文庫らしいと思う。そうするとかえって面白みが散ってしまって、「あの文庫は何をしたいかよく分からない」ということにもなりかねないのだが、「ライトノベル」という柱のようなものがある限りは大丈夫ではないかと思う。なんか偉そうなこと書いてますが、要するに期待してます、ということ。
 ただの1ファンにしては、評論家みたいなどうでもいいこと言いすぎだろうか……?

カレン・オルテンシアというキャラクターについて

2006-04-08 16:21:46 | エロゲ
 作業の合間に、ふと「Fate/hollow ataraxia」というゲームをやった。オタク層の中では有名どころではないゲームなので説明する必要もないかもしれない。とにかく、18歳未満の方にはご購入頂けないゲームで、いわゆるエロゲーというやつだ。
*注:日によって敬語だったりタメ口だったりするこのブログ……気分によって、主に執筆というやつをしてるとタメ口のほうで書きたくなる様子。そんなことは本人しか気にしてないかな……。

 このゲームに、カレン(純潔な)・オルテンシア(紫陽花)というキャラクターが出てくる。とてもきれいなイメージの名前なのだが、以下本編より。
『紫陽花の花。葉の下でジクジクと蝸牛にたかられる姿はオマエには相応しいと。
なのに、それを美しいとコイツは笑った。』
 主人公が名前を褒めて、褒めたけど腹の底ではこんなことを思ったいたよ。というシーン。

 ……ここに至るまでにカレンというキャラがどんなものかと誘導し、ものの見事に『なのに、それを美しいとコイツは笑った』というのは、ゲームをやった人にはわかってもらえるかと思う。『それを美しいとコイツは笑った』美しいと思える、その心のあり方こそが美しいのだと。直接文章に書くと陳腐極まりないことを、実に……なんというか、陳腐というのは、決して悪いものじゃあない。
 正義。努力。友情。勝利。愛。文字にしたりダイレクトに口にしたりすると、これ以上ウソくさい言葉もなかなかない。とはいえ、悪いものではない。どころか、とてもいいものだ。それをダイレクトに表現するからおかしくなる。校長が朝の朝礼で「お婆さんの手をとって、横断歩道を渡る。そんな人になってほしい」というようなことになる。聞いた瞬間に「ウソくせえー」と上滑りして、耳の穴でもほじくりたくなる。
 ポルノも歌っている。『僕らが生まれてくるずっとずっと前にアポロ11号は月にいったっていうのに。僕らはこの街がジャングルだったころから、変わらない愛の形探してる』ポルノを出すのはほかにあまり曲を知らないからで、ここで特撮ソングで『愛ってなんだ。ためらわないことさ』とかやると話の趣旨がズレるからでもある。それはそれでとてもいいんだが。

 とにかく、ある意味ではカレン・オルテンシアというキャラクターは非常に陳腐である。キャラクターの原型を探せば、2000年をさかのぼることだって出来るだろう。というか、イエスが原型なのではないかと自分は思っている。
 そこにオリジナルの色をつけて魅力を5割増しにしているのは作者の手腕だが、やはり根元にある『紫陽花の花――中略――それを美しいとコイツは笑った』という部分の魅力がなければ、5割増しにしたところでたかが知れているかもしれない。元の魅力が100を優に越えるモンスターだからこそ、5割の増加も大きいわけで。
 すでに、かなりの長文になっている。ブログなんていう簡単に作れて、なんとなく放棄してしまことも多い乱発の文章にしては、長くなりすぎている。
 ここまで読んでいる人も少ないだろう。
 まぁ、ここまでは別に読まなくてもよくもある
 要するに何が言いたいかというと、
『カレンはいい。ほんとにいい。すごいいい。どうしよう』
 ちなみに、もし「エロゲ?ヲタクきもっ!」という人がこの文章を読んでいる場合のために注意書き。このブログの持ち主であるHNあんごは、割とシックな趣味をしてます。人生における忘れがたい小説はカミュ「異邦人」、遠藤周作「死海のほとり」&遠藤周作作品、司馬遼太郎「国盗物語」&司馬遼太郎作品、ラーグルヴィスト「バラバ」(過越の祭りでイエスが処刑されるとき、イエスの代わりにピラトに開放された男=バラバ)、という男。『バラバ』と聞いた瞬間に「お、あれか」と意味が分かって衝動買いしてしまうくらいには、シックな趣味をしています。 こういうことを書くのは別に自分が「文学読んでるぜ!」というのが目的ではなく、硬質な文学、人生に影響を与えるぜ!というように言われている文学を割かし読んできた人間が。スタインベックも、ゲーテも、シェイクスピアも、太宰治も、坂口安吾も、島崎藤村も、偉そうな先生方の本をいっぱい読んできた人間が、
『やばいよカレンよすぎるよどうしよう』
 というと、「おお、いいのか?」という気分になるかもしれないなあ、という意図なのである。
 まぁとにかく、『あんご的10年後までBEST5に入ってそうな作品』に、「Fate/hollow ataraxia」は、本編の「Fate/stay night」とセットでランクイン。あまりにも好きすぎて、ここに至るまで2300文字も打ってしまった……。結構絞ったのに……。

書く側の話

2006-04-07 06:13:03 | 小説
 実はわたくし、小説を読むかたわら、書いてもおります。
 老人と少女が戦争をしているという、別にどうということもない長編を書いております。4月10日までにあと30ページほど書かなければなりません。書かなければ投稿が出来ません。電撃小説大賞です。
 今は大学三年生→四年生の狭間。就職活動中でございます。
 大学在籍中に受賞するためには、今年投稿しなければならないのです。電撃じゃなきゃ年4回受け付けてるとことかもあるんですが。MF文庫Jとかがそうだったような……。とはいえ別に、就職したくないから大学在籍中に受賞したいというわけではありません。最初はそんな気もあったのですが、就職活動してるうちに「仮に受賞したとしても、就職はするなあ」という気持ちになりました。受賞したからって、十年後も書いていられるとは限りませんしね。年に3,4人受賞するということは、年間1~3、あるいは4人くらいの作家が減ってるということでもあるわけで。まだまだ業界が若い=作家も若い業界にあって、作家が減るというのはお仕事がなくなるということで。せっかく受賞して「小説書きとして生きるぜ!」と思ったはいいが、五年後には再びフリーターという恐ろしい事態もありえるわけです。

 それなのにどうして今投稿したいかというと、去年も投稿しようとして挫折しているので、今年も挫折すると来年再来年と惰性で挫折しそうな気がしているわけなのですね。
 とはいえ、A4で80-120ページという応募規定に対して、現在50ページちょい。一日10ページも書かなければいけないという、かなり無理難題くさい状態に。一日10ページというのがどのくらい大変かというのを説明しますに。以下算数。
 仮に365日そのペースで書いたとすると単純計算3650ページ。A4の1ページはそのまま単行本の2ページ分にあたるので、単行本に換算すると7300ページ。500ページの分厚い本でも年間14~5冊、250ページの標準的な厚さなら、年間30冊刊行できる計算になってしまいます。
 一年365日仕事してるわけでもないでしょうが、一年の半分お休みしていても、年間15冊出せますね。執筆期間と構想期間が半々だとすると年間7,8冊。……筆の早い作家さんなら書いてそうな量ですね?

 どのくらい無理っぽいかということを冷静に計算したつもりが、どちらかといえば不可能ではないという結論に至ったようなので、続きをやってくることにします。( ̄▽ ̄)ノ

まとめ更新「ゆらゆらと揺れる海のかなた」「ゼロの使い魔」etc

2006-04-06 14:42:36 | 小説
 半月だけ書いて半月放置、ということになっていたこのブログを、再開いたします。せっかく作ったので、完全に飽きるか忘れるまでは続けていきたいところ。
 アクセスランキングを見れば固定客がいないことはわかるので、誰に対して向けられたメッセージでもないというのが、少し寂しいところですね。
 さぼっている間に読んだのは「蒼白き惰天使3,4」菊池秀行、「SHI-NO 黒き魂の少女」上月雨音、「ゼロの使い魔6」ヤマグチノボル、「ゆらゆらと揺れる海のかなた」近藤信義、「孟夏の太陽」宮城谷昌光、「恋愛極刑ハイスクール」新井輝、「火目の巫女」杉井光、孟夏以外は全部ライトノベルですね。小説のジャンルでライトノベル以外何が好き?と聞かれれば、間違いなく歴史小説と答えると思います。
 上記の中で一番好きなのは「ゼロの使い魔」です。「孟夏の太陽」も歴史小説特有の男臭さがぷんぷん匂ってきて好きなんですが、女の子のいい感じがぷーん、と香るゼロがもうたまらんという感じ。ただ、明らかにオタク層に向けられているので、あえてこのページではお勧めしません。
 お勧めということでは、「ゆらゆらと揺れる海のかなた」あたりでしょうか。少なくとも「恋愛極刑ハイスクール」とかのタイトルをまず警戒してしまう人には、「ゆらゆら」をお勧め。「火目の巫女」も、2006年発売の電撃小説大賞作品の中では一番好きです。
「我こそはオタクなり」という兵(つわもの)には「ゼロの使い魔」を強力プッシュ。萌えから一歩進んで、ツンデレという単語にびくりと反応してしまう貴兄にこそ、この小説を強力プッシュするであります。

「D-蒼白き堕天使2」

2006-03-21 20:06:15 | 小説
 菊池秀行「D-蒼白き堕天使2」ソノラマ文庫、を読了。
 今回は、「伝奇小説」ということについて少々。

 今の世の中、「ライトノベル」というものが小説のひとつのジャンルとしてほぼ確立していますが、この作者はまだそういうものがない、もしくはあまり目立たない時代にもっとも活躍していた作家のうちの一人で、今で言えば「ライトノベル」に近いジャンルとして、「伝奇小説」というものがありました。あまりジャンルにこだわる必要もないのですが、要するに推理、ミステリー、青春、歴史小説といったようなメジャーなものを書いていた人ではないという意味で、「伝奇」という部分を強調します。

 この「伝奇小説」というのはSF、ファンタジーといったものと非常に関わりが強く、両方の特徴をあわせもつことも結構多いです。作家としては山田風太郎、平井和正、半村良、夢枕獏……あたりになるでしょうか。作家の側はジャンルを意識しないで書いているかもしれませんが、一読者としてはそのような位置付けです。
 この中で有名なのは夢枕獏「陰陽師」あたりでしょうか。映画化も漫画化もしてますから、名前くらいは知っている方が多いかと思います。
 ジャンプやマガジンといった少年誌でも漫画化しやすそうな小説、と思えばほぼ間違いないでしょう。
 歴史的に有名なところでは、「八犬伝」などが伝奇小説のルーツと言えるかもしれません。