時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

逝きし日々の面影を偲ぶ。

2021年09月26日 | 時のつれづれ・長月 

多摩爺の「時のつれづれ(長月の23)」
逝きし日々の面影を偲ぶ。

すっかり高くなった青空に、鰯雲が幾重にも筋を描き、
山々から吹き下ろしてくる風が・・・ ひんやりとし始めた白秋の昼下がり、
縁側の向こうに広がる棚田を、目一杯に埋め尽くした稲穂が、
コンバインで刈り取られる様子を眺めながら、
「こんな年も、あるんだなぁ・・・ 。」と、逝きし日々の面影を偲んでいた。

三寒四温を繰り返しながら、固く結んでいた梅の蕾が、ようやく綻び始めた弥生の2日
長い間パーキンソン病を患い、闘病中だった父が・・・ 霊山に向けて旅立ち

田植えを終えたばかりの水田に涼風が渡り、夕暮れには蛍が飛び交っていた水無月の2日
施設で療養中だった義母が・・・ 穏やかな顔で天寿を迎え

黄金色に育った稲穂が深々と頭を垂れ、刈り取りが待たれる長月の25日
米作りが大好きで、生きがいにしていた義父が・・・ 稲刈りを目前にして逝った。

父の納骨を予定していた帰郷に、まさか義父の葬儀まで重なるとは、
覚悟だけはしていたものの・・・ さすがに、こればっかりは想定外だった。

女房たち三姉弟と、私を含む三人の配偶者は・・・ 熟慮に熟慮を重ね一つの重い決断を下していた。
施設に入ってから、すっかり食が細くなった、義父の体力と精神的な負担を慮ると、
正解かどうかは分らないが、この夏に義母が亡くなったことを、義父に伝えていなかった。

義父は昨年の春先に骨折して入院すると、足腰が立たなくなって、そのまま施設に入った。
その後、膀胱がんがあることが分かり、状況によっては義母より早く逝くのではと心配していたが、
老人のがんは進行が遅く、食は細くなったものの頭と口だけは達者だった。

それがまさか、あの世で義母が出迎えてくれるとは・・・ さぞかし驚いたことだろう。
義母が先に亡くなり、それを伝えてなかったことについては、
「大変申し訳なかった。」と・・・ 改めて詫びを入れておいた。

それは・・・ 梅雨入りの直前のことだった。
私たちが住む東京や、義妹夫婦が住む大阪に緊急事態宣言が発令され、
コロナ禍の真っ只中で行われた義母の葬儀に、
東京や大阪から帰郷する子供たちとともに、義父が葬儀に参列するとなれば、
義父がお世話になっている施設は、二週間が経たないと再び入所することはできないと、
難題を突きつけてきた。

本来は、喪主を務めるであろう義父を、葬儀に参列させないでほしい。
どうしても参列させたいなら、
葬儀後の二週間は、私たちに面倒をみてくださいとの二択を迫っていた。

「二週間ぐらいなら、ここに残っても良いよ。」と・・・ 私は伝えたが、
三姉弟が下した結論は違っていた。

義母が亡くなったショックを引きずったまま、二週間の経過を待ち、施設に戻すのは堪えがたいし、
ここで二週間も一緒に過ごせば、
私たち以上に義父にとっては辛い別れとなるのでは・・・ との結論に至り、 
義父には、義母が亡くなったことを知らせないことにし、子供たちだけで葬儀を済ませている。

さまざまな葛藤があったが、義母が亡くなったことを知らぬまま、
冷たさが気になりかけた秋風が、野山に吹き始めた白秋の朝、
義父は静かに・・・ この世に別れを告げた。

いまでも、それが正解だったのか・・・ 明快な答えは見つからない。
三姉弟で決めたことだから、それで良かったんだと・・・ 私は思いたいが、
コロナ禍においては、感染していなくても、
在所や立場においては、それぞれの事情とルールがあって、
否が応でも・・・ 親不孝や、不義理を働かざる得なくなるとは、
これもまた想定することができないことだった。

そういった、あまりにも切なすぎる別れが、いまこの時も世界の各地で起こり、
人目を忍びながら、涙する人々もいるのだろう。

人の世は「生々世々」とは云うものの、あっという間のできごとだった。
両親を失った女房は、覚悟していたこともあって・・・ 気丈に応対していたものの、
「本当にいなくなっちゃったんだ。」といった現実が、上手く受け止めることができなくて、
虚しさとの狭間の中で・・・ 一時的だが、放心状態に陥っていた。

今年の正月には、四人とも健在だった両親と義父母が、気づけば母だけになってしまった。
その母も、既に卒寿を超えて、この春には91歳になっている。

本人の強い希望もあって、母は故郷で一人暮らしをしているが心配は尽きない。
両親や義父母と過ごした、逝きし日々を振り返れば、
もう少し、親孝行ができたはずではと思う。

反省せねばならないことが、あまりに多すぎて・・・ もの思いに耽ると、
時の経過さえ、忘れてしまうんだから、
親孝行は、できるときにやるもんだと痛感する。

コメント (6)    この記事についてブログを書く
« 失言癖の大臣が吼えた! | トップ | 山霧の里 »

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (yukota)
2021-09-26 19:54:23
多摩爺さん
こんばんは。
お見送りしたあとの色々な事大変ですよね。
お父様に続いてのお義母様、お義父様…。
言葉にならない想いもたくさんおありでしょう。
お疲れになりませんように。
返信する
Unknown (けいこ)
2021-09-26 20:39:08
こんばんは。
大変でしたね。今年は本当にーー。
お悔やみ申し上げます。

どうぞ ご無理されずにと願うばかりです。奥さまを支えてください。
また ブログにて会える日をお待ちしております。
返信する
Unknown (cobamix)
2021-09-26 22:21:51
いつも的確なブログ、楽しみにしております。
そして今日のブログ、何か切なくなりました。
あらためてお悔やみ申し上げます。

どうかご無理だけはなさらず、無事に次回の更新をされる日をお待ちしております。
返信する
Unknown (tamajii)
2021-09-27 09:58:43
コメントをいただいたみなさま
ご返信ができず大変申し訳ごさいません。
買い出しやかたづけ等、雑用のサポートにてんやわんやです。
ご返信ができないことご容赦ください。
返信する
長生きは・・・百代の過客にして??? (くちかずこ)
2021-09-27 20:50:30
人生、色々、ですね。
お寂しい、そして大変な日々をお過ごしだったのですね。
人生は波。
次は良い波と信じて。
コメレス、不要です。
返信する
Unknown (びこ)
2021-09-28 19:03:09
コメント返し不要でお願いします。

人の亡くなる時は続きますね。私の母が亡くなった年は、夫の妹の連れ合い、私の叔母の連れ合い、義姉のお父さんと次々亡くなりました。

父が57歳で亡くなったときもそうでした。数年のうちに叔父が49歳で、叔母が62歳で亡くなりました。いずれも今の時代では早世というべき年齢で次々と。

多摩爺さんもお心落としのことと存じますが、これは日にち薬でしか直せないものです。どうかお体だけは気をつけられて、またBlog記事でお話を聞かせてくださいませ。
返信する

コメントを投稿

時のつれづれ・長月 」カテゴリの最新記事