時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

山霧の里

2021年10月08日 | 時のつれづれ・神無月

多摩爺の「時のつれづれ(神無月の18)」
山霧の里

義父の葬儀を終えた翌々日の朝だった。
女房の実家がある、山あいの小さな集落は山霧(朝霧)に包まれ、幻想的な景色の夜明けを迎えた。
いつだったかな・・・ 結婚して間もない頃だったと思うので、
もう40年ぐらい前のことになるだろう。
亡くなった義父が、山霧(朝霧)について語ってくれたことがあった。

お酒が苦手な義父が、私の晩酌に付き合ってくれると、
わずか5歳で養子に出た義父は、自分がこの家にやって来た翌朝は山霧(朝霧)だったと語り出した。
縁側から棚田越しに広がる山々の向こうには、
昨日まで父母や兄弟たちと過ごしていた故郷があるはずだが、
白い霧にスッポリと包まれて見えず・・・ その瞬間、幼心に覚悟を決めたんだと語り始めた。

ペダルをこぐ度にギーコギーコと音が出るような・・・ オンボロの自転車に乗って、
山を二つ越えた集落まで、新しく父親となるおじさんがやって来たのは、
忘れもしない5歳の秋だったという。

5歳の子供が理解するには、あまりにも酷だと思うが、
父親からハッキリと、おばちゃん(父の従妹)の家の子供になるんだと言われたという。
「嫌だ。」ということは許されず、餞別に貰ったわずかばかりの小銭をポケットに入れて、
新しい父親がこいできた自転車の荷台に、薄っぺらい座布団を1枚敷いて座ると、
山を二つ越えて新しい家に向かった。

ここまでは、もの悲しいというか、切な過ぎる話だが・・・ この話にはオチがあった。
翌朝、起きてから目に飛び込んできた朝霧の光景は、確かに切ないものではあったが、
そんなことよりも・・・デコボコの山道を上ったり下ったりしたせいで、
赤く腫れあがった尻が痛くて痛くて、寝返りを打った際の痛さで目が覚めており、
朝霧を見て物思いに耽っていたのではなく、
尻が痛くて目が覚めたら、たまたま朝霧が出ていたというのが・・・ オチだった。

自らの生い立ちを笑いに変えて、楽しく語ってくれた義父は、
どこからかネタを見つけてきてはボソッと喋り、クスッと笑わしてくれる楽しい人でもあった。

若い頃は左官の仕事をしながら、米作りに精を出していたが、
3人の子供たちが成人したころからは、減反した田の土を改良して畑に切り替え、
近隣の農家とともに、茄子や自然薯(長芋)の栽培を手がけるなど、農業の研究に熱心な人だった。

そういったこともあったのだろう・・・ 子供たちや、その配偶者が頼んだわけでもないのに、
米作りに情熱を燃やした義父を偲んで、ご近所さんは葬儀が終わるまでの数日、
稲刈りを中断してくれると聞いたとき、
亡くなってなお・・・ 存在感のある人であって、嬉しくて堪らなかったし、
黄金色に実った稲穂が深々と頭を垂れ、義父を見送ってくれたことも・・・ 感慨深いものになった。

6月に亡くなった義母のことを知らせないまま、あの世に生かせてしまったことだけは、
大変申し訳なかったと思うが・・・ いまごろは二人で仲良く話しているのではなかろうか。

40数年前に嫁に来てもらった、あなたの娘は既に婆さんになってしまったが、
私が元気なうちは、必ず面倒を見ることを改めて誓いたい。

そして、あなた方が先祖から受け継ぎ、残してくれた田畑と家屋、そしてお墓は、
女房たち姉弟と、それぞれの配偶者を交えて話し合い、
次の世代まで引き継ぐことにしたので安心してほしい。


ただ、親孝行が足りなかったことだけは、いまとなっては如何ともし難く、

大変申し訳ないが・・・ 大目に見ていただけないだろうか?

ありがとう、爺さん
ありがとう、婆さん
安らかに・・・ 眠ってほしい。


女房の実家は、春秋の明け方には山霧が出て、既に日は昇っているのに幻想的な景色が広がる。

猫じゃらしのような野草が、自宅前の畔でゆらゆらと揺れていた。

米作りが生きがいだった義父の葬儀が終わるまでは、ご近所が申し合わせて稲刈りをまっていただいていたが、
コンバインの性能は抜群で、葬儀の2日後には・・・ あっという間に刈り取られていた。

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2 コメント

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しんみりと (takezii)
2021-10-08 17:34:56
拝読させていただきました。
父上様、義母様、義父様が 相次いで旅立たれた寂寞感、奥様の故郷の情景描写、深い人間愛、一編の小説を読ませていただいている感じで、tamajiiさんのご文に引き込まれました。
私も3年前に母親が他界、実家は取り壊し、帰る故郷が無くなった頃、いろいろな感慨、心情が交錯した気がします。時が解決してくれる・・とよく言われます。是非、これからの日々、ご夫婦、お元気にお過ごし下さい。
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Unknown (多摩爺)
2021-10-08 20:38:59
takeziiさん、恐縮です。

年明け早々には緊急事態宣言がでたものの、
両親はいたって元気で、全く持って心配してなく、夏にはなんとかして帰省しようと思っていました。
それが半年の間に3人も逝くのですから、なにか悪いことしたのかなんて、ちょっと複雑な思いもありました。
心の整理が付くまでには少し時間がかかりましたが、
親たちが負担を軽くしてくれたんだと、気持ちを切り替えたら少し落ち着くことができ楽になりました。
とは言っても、実家には母がまだ居ますので、できる限りの親孝行をしてやろうと、妹夫婦と共に計画を練っています。
ご心配をいただき、ありがとうございました。
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