時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

追憶の長崎街道

2022年05月24日 | 歴史のこみち

多摩爺の「歴史の小径(その10)」
追憶の長崎街道 - 前前前世の交通事情 -(福岡県北九州市)

 君の前前前世から・・・ なんて、小気味良いリズムの歌が流れていた時期があった。
私の記憶力がどんなに良くても、前前前世のことなど記憶の欠片にもならないが、
九州の玄関口・JR小倉駅を降りて、10分ぐらい西に向かって歩くと、
紫川(むらさきがわ)に架かる・・・ この町の歴史遺産「常盤橋」が見えてくる。

橋の袂に立って、川風に吹かれていると、
妙に懐かしさが蘇ってくるのは・・・ なぜだろうか?
妹が小倉に住んでいて、帰郷するときも、帰京するときも、
必ず寄っているので馴染みの町だが、どうやら・・・ それだけではなさそうだ。

たしか・・・ 2~3年前だったと思うが、
女房と二人で、常盤橋から直ぐ近くに見える小倉城に向かって歩きながら、
こんな話しをしたことがあった。

「昔は、この先にたくさんの旅籠があって、
 旅籠の先には、両脇に松が植えられた街道を、多くの人々が行き交ってたんだよ。」
「ふぅぅぅん、そうなんだ。」と、なんの疑いもなく相づちを打つ女房に、
「昔ね、蘭学を学びに長崎に行ったとき、赤間関から船に乗って小倉に着くと、
 ここで一息入れてから、長崎まで57里(228キロ)、25宿を皆が歩いたんだよ。」

「えっ?」ここで、やっと気がついた女房が「なに、それ?」と聞き返してきた。
「前世じゃなく、前前前世に蘭学を学びに長崎に行ったとき、ここを通ったから・・・ 。」と、
くそ真面目な顔をして話すと・・・ ふたたび「ふぅぅぅん、そうなんだ。」と言ってきた。

きっと、このバカ者には、付き合いきれないと思ったのだろう。
この話はこれでおしまいだが、川風があまりに心地よかったものだから、
ちょっと、女房をからかってみたんだが、
ホラだと知って、相づち打ってくれた女房の寛大さに・・・ 感謝せねばならない。

因みに、江戸時代の後期(18世紀末)までの常盤橋は、
九州の各地に延びる諸街道の起点であり、
左岸北側には港があって、私の故郷でもある対岸の赤間関(昔の下関の地名)に渡っていた。

1799年、長崎奉行所が大里村(門司)に、船舶を取り締まるための番所を設けたことから、
長崎街道の起点は・・・ 小倉から大里(だいり)へと移り、
大里から赤間関(あかまがせき)に渡ることが主流となったものの、
小倉から大里までの道は、門司往還として区分されていることもあり、小倉を起点する説もある。

さらには・・・ 将軍吉宗に献上するため、清国の船が運んできた象が、
常盤橋を渡って江戸に向かったとの話があったり、
直ぐ近くの商店街には「焼きうどん」発祥のお店があったりだから、
蘭学のホラ話はどうでも良いが、この町には・・・ けっこうおもしろい話しがあるようだ。

早いもので、母が東京に来て一週間が経った。
実家と違って、なにもしなくて良いのに、
手持ち無沙汰なんだろう・・・ ソワソワが止まらない。

今夜半というか、明日の未明には、
父と義父、義母の一周忌を行うため再び帰郷するが、
母の東京暮らしは・・・ 自分から言ってたが、やっぱり一週間が限度だったようだ。

まずは、小倉の妹宅に寄って、母をあずけてから、
北九州都市高速道路(現代の門司往還かな?)で小倉から門司に向かい、
関門橋をかっ飛ばして九州から本州へ渡って、女房の実家に向かわねばならない。

100年前までは船で渡っていたのに、いまは下関と門司に橋が架かり、
数年後には、下関から小倉に向けて橋を架けるという話しもあるんだから、
私が住んでた約40年前と比べたら・・・ 交通事情は、かなり変わってきている。

トンネルも三つ(人道、自動車道、鉄道)あるが、物流事情もあって橋には適わないようだ。
とはいえ、新しい橋は高速道路が繋がってないようなので、そこらあたりの対策をしておかないと、
市内が渋滞になる可能性もあり、まだまだ検討課題は多いかもしれない。

女房の実家に戻るのは明後日(木曜日)だが、ゆっくりする間もなく、
週末には法事(義父母の一周忌)を行い、親戚やご近所の方々を迎えるため、
昨秋から半年間も留守にしていた実家の、大掃除が待ち受けている。

大掃除って言っても、ホコリの掃除や、布団を干したりするだけじゃなく、
虫たち(ムカデ、ハチ)が住みついてる可能性もあるんだから、
想像するだけでも・・・ ちょっとした恐怖がある。

やれやれだが・・・ 山あいの農村で、人が住んでない家には、
なにが無断で住みつき、そして待ち受けているのか、それが分らないのが現実である。

よって、ブログの更新は、これから10日ぐらい休むことになる。
たくさんのネタを仕入れることができれば嬉しいんだが・・・ さて、どうなることやら、
頼られるって、悪いことじゃないものの、
こき使われるのが分っているのも・・・ いささか辛いものがある。


城下町・小倉に流れる紫川に架かっている常盤橋
常盤橋は、小倉の五街道(長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還)の起点であり、
江戸(東京)でいう日本橋のような位置づけになっている。

常盤橋の袂で、ここが長崎街道だったことを記すプレートを見つけた。

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4 コメント

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Unknown (1948219suisen)
2022-05-24 16:16:11
頼られるって生きがいになりますね。私は人を頼ることはあっても頼られることはあまりありません。たぶん頼りがいがないのでしょうね。多摩爺さんは、きっと頼りがいのある人なのでしょう。
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Unknown (多摩爺)
2022-05-24 17:17:24
1948219suisenさん、恐縮です。

頼られるっていわれても、運転と力仕事だけですけど
それでもないよりは良いですね。
役に立とうと思っています、
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気を付けていってらっしゃいませ! (くちかずこ)
2022-05-24 21:13:35
先日、奥様のご実家付近を車で通り抜けたかも?
道の駅きたうらは、定休日でしたが・・・

関東から、ずっと運転されて九州まで行かれるのですか?
それはまた、体力勝負かと。
お気をつけて。
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Unknown (多摩爺)
2022-05-25 02:23:04
くちこさん、おはようございます。

そろそろ出発です。
大阪からフェリーです。
タイミング的に船は怖いですが、大手なので大丈夫でしょう。
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