震災は3月11日だったから、今日で19日が経ちました。
忘れようにも忘れられないこの日ですが
自分の「備忘録」的な意味でも、当日のことを振り返って書き留めておきたいと思います。
2011年3月11日(金曜)。東京、晴れ。
普段と何変わらぬ朝。朝食を準備し、食べさせ、夫を普段通りに送り出す。
大学生の息子は春休みのため今日もバイトの予定が入っている。11:00からだ。
のんびり起きてきた息子にも遅い朝食を摂らせてからバイトへ送り出す。
その後こまごました家事タイム。 あっという間にお昼。 あるもので済ます。
ニュースでは『石原都知事、立候補の決意』なんてやってる。
ふーん。やっぱりなんだかんだ云っても出るんじゃん、などと思う。
明日は、お昼から友人宅に招かれている。
一緒に伺う友人仲間と手土産の打ち合わせでもしなきゃ、と、ケータイメールを打ち始めながら、
ソファに座ろうとした、その時。
「ズズズズ・・・・」と微動が始まった。
地震はとてつもなく苦手の私。 「お?!」と身構え座りなおしたが、その余裕もないまま、
今度はマンションの軋む音と共に、部屋のすべてが激しく揺さぶられる。
ここは高層階。もの凄い揺れ。
縦やらヨコやらに持っていかれ、そしてなお収まらない。
ついに、云われ続けていた大地震が来ちゃったんだと、理解。
しかし身体が咄嗟に動けない。 思わず悲鳴。 テーブル下にさえ移動できない。
「ガシャーン!ガシャーン!!」と台所から食器が割れる音。
テレビ上のDVDやCDも、ソファになだれてくる。
窓際に置いてある観葉植物が、倒れる。それをかろうじて受け止める。
「・・・・どうしよう・・・・どうしよう・・・・」考えが交錯し、纏めきれない頭。
程なくメール着信の音。 震えながら見る。
夫からだ。 『11/03/11 14:48 地震 でかい 』
うん、大きすぎるよこれは。でも夫の無事は確認できた。
マンションはまだ揺れている。 断続的な余震が幾度となく続いている。
ケータイメールを返信しようにも指の震えが止まらない自分がいる。
とりあえず家の電話で自分の実家と夫の実家へ電話だ!
リビング脇の電話を取り、台所に目をやる。
やっぱり。 観音扉が開き、食器類は落下し、半分が割れているよう。
恐さと悲しさで涙が出てくる。
電話、実家の母出る。父も無事。こちらも大丈夫だから。 と。
電話、夫の実家、父出る。 飼い犬とともに無事とのこと。
夫のケータイにコール。・・・・・回線不通。
息子のケータイも、・・・・不通。
TVを付ける、・・・が、映らない。 なんなのコレ??電気切れたの? ・・・泣く。
(後でわかったことですが、あせった私は入力切替ボタンを押していたらしい)
・・・・いや、40過ぎの母親は泣いてなんていられない!
取り急ぎ、必要なもの入りのいつものハンドバックを息子の大きなドラムバッグに積めて
息子のいるバイト先のファミレスに行かなくちゃ。
それしか息子の安否確認ができないから。
メールが入る。
夫から。 『11/03/11 14:59 大丈夫か? 電話つながらない 』
やっぱり。同じ思いだ。
『 こちらもつながらない でも体は平気 実家どちらも大丈夫 』
震えながら打つから、何度か間違える。 で。やっと送信。
咄嗟に取った冬用コートをはおり、ドラムバッグを肩に、玄関へ。
なぜこんなときに靴はヒール付きしかないのよ!と自分に腹立たしくなったそのとき、
昔買った、pumaのランニングシューズを見つける。
つっかけながら、非常階段へ走る。
階段を降りながらも、なんだか身体が揺れている。
これは余震なのか自分なのか、もはや、もうどうでもいい。とにかく下へ。
(~~~~~長いので一旦これで投稿。 つづく~~~~~~)
忘れようにも忘れられないこの日ですが
自分の「備忘録」的な意味でも、当日のことを振り返って書き留めておきたいと思います。
2011年3月11日(金曜)。東京、晴れ。
普段と何変わらぬ朝。朝食を準備し、食べさせ、夫を普段通りに送り出す。
大学生の息子は春休みのため今日もバイトの予定が入っている。11:00からだ。
のんびり起きてきた息子にも遅い朝食を摂らせてからバイトへ送り出す。
その後こまごました家事タイム。 あっという間にお昼。 あるもので済ます。
ニュースでは『石原都知事、立候補の決意』なんてやってる。
ふーん。やっぱりなんだかんだ云っても出るんじゃん、などと思う。
明日は、お昼から友人宅に招かれている。
一緒に伺う友人仲間と手土産の打ち合わせでもしなきゃ、と、ケータイメールを打ち始めながら、
ソファに座ろうとした、その時。
「ズズズズ・・・・」と微動が始まった。
地震はとてつもなく苦手の私。 「お?!」と身構え座りなおしたが、その余裕もないまま、
今度はマンションの軋む音と共に、部屋のすべてが激しく揺さぶられる。
ここは高層階。もの凄い揺れ。
縦やらヨコやらに持っていかれ、そしてなお収まらない。
ついに、云われ続けていた大地震が来ちゃったんだと、理解。
しかし身体が咄嗟に動けない。 思わず悲鳴。 テーブル下にさえ移動できない。
「ガシャーン!ガシャーン!!」と台所から食器が割れる音。
テレビ上のDVDやCDも、ソファになだれてくる。
窓際に置いてある観葉植物が、倒れる。それをかろうじて受け止める。
「・・・・どうしよう・・・・どうしよう・・・・」考えが交錯し、纏めきれない頭。
程なくメール着信の音。 震えながら見る。
夫からだ。 『11/03/11 14:48 地震 でかい 』
うん、大きすぎるよこれは。でも夫の無事は確認できた。
マンションはまだ揺れている。 断続的な余震が幾度となく続いている。
ケータイメールを返信しようにも指の震えが止まらない自分がいる。
とりあえず家の電話で自分の実家と夫の実家へ電話だ!
リビング脇の電話を取り、台所に目をやる。
やっぱり。 観音扉が開き、食器類は落下し、半分が割れているよう。
恐さと悲しさで涙が出てくる。
電話、実家の母出る。父も無事。こちらも大丈夫だから。 と。
電話、夫の実家、父出る。 飼い犬とともに無事とのこと。
夫のケータイにコール。・・・・・回線不通。
息子のケータイも、・・・・不通。
TVを付ける、・・・が、映らない。 なんなのコレ??電気切れたの? ・・・泣く。
(後でわかったことですが、あせった私は入力切替ボタンを押していたらしい)
・・・・いや、40過ぎの母親は泣いてなんていられない!
取り急ぎ、必要なもの入りのいつものハンドバックを息子の大きなドラムバッグに積めて
息子のいるバイト先のファミレスに行かなくちゃ。
それしか息子の安否確認ができないから。
メールが入る。
夫から。 『11/03/11 14:59 大丈夫か? 電話つながらない 』
やっぱり。同じ思いだ。
『 こちらもつながらない でも体は平気 実家どちらも大丈夫 』
震えながら打つから、何度か間違える。 で。やっと送信。
咄嗟に取った冬用コートをはおり、ドラムバッグを肩に、玄関へ。
なぜこんなときに靴はヒール付きしかないのよ!と自分に腹立たしくなったそのとき、
昔買った、pumaのランニングシューズを見つける。
つっかけながら、非常階段へ走る。
階段を降りながらも、なんだか身体が揺れている。
これは余震なのか自分なのか、もはや、もうどうでもいい。とにかく下へ。
(~~~~~長いので一旦これで投稿。 つづく~~~~~~)