Tamaっち

トーキョーアーバンカントリーから こんにちは☆ 日常のアレコレを画像と共に♪

その続き~ ②

2011年03月30日 | つれづれ
咄嗟に取った冬用コートをはおり、ドラムバッグを肩に、玄関へ。

なぜこんなときに靴はヒール付きしかないのよ!と自分に腹立たしくなったそのとき、

昔買った、pumaのランニングシューズを見つける。

つっかけながら、非常階段へ走る。


階段を降りながらも、なんだか身体が揺れている。

これは余震なのか自分なのか、もはや、もうどうでもいい。とにかく下へ。


 
丁度、まんなかの途中階あたりまで降りてきたとき、

下から昇ってくる中学生の男の子に会う。

「大丈夫?気をつけて!」と声をかけると、

「はい、ありがとうございます。 東京、震度5強だったみたいですね。」と、教えてくれた。

えぇ? あれで5強? 自分的には6とか7とか思っていた程だったから。

そういえば、まだ震源地を知らない。

聞いとけばよかった、なんて、また階段を降りながら思う。

でも、この時は「関東大震災」だって思っていたから

多分、東京湾あたりが震源地なんだと そんなふうに感じていたのだ。



とにかく非常階段を降りきり、最寄駅の駅前へ出てみる。

外に出ていた人は大勢いた。

木のベンチに座ったり、立ち話しをしていたり。

揺れに対して、ここが安全な場所なのか判りかねるけれども、

とりあえず「指定避難場所」へ行く程でもないような、

しかし、これからどうしようか的な動きだ。

電車は即座に止まってしまったらしく、駅員のアナウンスが聴こえるが、

何を言っているか耳に入ってこない。


駅前を通り、目と鼻の先にあるファミレスに急ぐ。

ビルの2階にそのファミレスはあるのだが、なぜかその階段が暗い。

もしや、急遽閉店にしたのか?と思ったのだが、

店内に入ると、意外に通常営業モードだったので、少しあせる。


息子のバイト先にこんな形で伺い、「母です」なんて云うのもどうかと思ったりしたが、

とにかく無事を確認したい一心で、フロア担当の女性に身分を話す。


どうぞどうぞ、とテーブルに案内してくれて、「○○くん、呼んできますね」と裏に行ってくれた。

力なく椅子に座りながら、店内を見渡す。  あ、ここは被害がなかったんだ。

フロアではお皿が割れた形跡すらない。 

ただ余震が来る度に照明ランプが大きく揺れるけれど。

高層階と全然違うことに少し驚く。  そして、少しほっとする。 


程なく、厨房のユニフォームのまま息子が出てきた。

良かった、無事だ。

「厨房の中は サラが数枚割れた程度で、大丈夫だよ」と。

私も、業務連絡みたいに家族の無事を伝える。


息子は震源地を知っていた。「宮城のほうだったみたいだよ」と。

え?   絶句。。。。。

仙台には長年住んでいたから、友達が沢山いる。

息子なんて、今まで生きてきた年の その四分の三以上が仙台だもの。

思い入れがあり過ぎるその地が、震源地だったなんて。

言葉少なく、息子に、「とにかくオレが終わるまで少し居なさい」と云われる私。

どうやら先程までの客のオーダーで、営業を一旦止めにする措置を取るそうだった。

ラストオーダーを出してしまえば、あとは帰宅していいとのことだったので、

ここで少し待たせてもらうことにした。




席に座り直して、ケータイのワンセグでニュースをみてみる。

気がついてみれば他のお客さんもワンセグでニュースを見ていたり、メールを打っていたりする。


ワンセグでは

全チャンネルが臨時ニュースに切り替わっており、

震源は三陸沖で、マグニチュードが8.8だったこと、

宮城県は震度7だったこと、

太平洋沿岸一帯に「大津波警報」が出ていること、

そして多分大津波の第1波はもう到達している、とのことだった。



その被害の甚大さに、思わず手が口元にいく。

恐い。  そして仙台のみんなが心配。。。。



そこで待ちながらも 何度も余震がきており、揺れるたびに身構える。

そんな中でもこのファミレスにはポツポツとお客様が入ってきていた。

そうか。電車が止まったりして移動出来ない人たちが座るところを求めて入ってきているのかも。

でも、安全が保てるか判らないので一時閉店します、と、

フロア担当の女性が丁寧に断っていた。



思ったより早く、着替えて出てきた息子。

フロア担当の女性も、最小限の人員を残して足早に帰宅していく。

奥のマネージャーさんらしき人に御礼の会釈をしつつ、

私と息子も、ファミレスを出る。



これからどうしよう。。。。。

マンションに戻ってもいいが、また余震がきたらと思うとかなり恐い。


ドラムバッグにバイト用の荷物をさらに足し入れ、息子が肩に担ぐ。


そうだ。

いつもの親方(寿司屋)のところはどうだったんだろう。

寄ってみる。

「準備中」の札が掛かっているけれど、親方の姿が擦りガラスの向こうに見えた。

遠慮なく入ってみる。

親方はひとり、小上がりの畳に腰掛けてテレビのニュースを見ていた。

お互い無事でよかったと、ここに寄った経緯を話しながら、

少しニュースを一緒に観させてもらう。

私たちが以前仙台に住んでいたことを知っている親方なので、

そんな意味でも心配してくれていた。

そしてしばらく3人で、呆然と、信じられない光景の映像を見続ける。


夫や友人宛てにケータイメールを打ってみるも、

今度は全然受け付けなくなっていた。

もちろん、電話はどこへも通じない。



ふと気が付いて、お店の電話を借りて実家にかけてみる。 ・・・・・通じた!

母から、「恐いし、家族が一緒のほうがいいから、こちらに来たら?」と。

心強いその言葉が素直に響く。

実家へ一旦避難しよう、でも、電車は動いていないから、

徒歩だ。約7キロくらいか?

その途中で、タクシーでも拾えればいいと。

親方に礼を云い、「また来るからね」と声は努めて明るく店を出る。



泊まることにしたため、

そうだ、ケータイ充電器が要る。 下着やグルーミング一式も要る。

それを取りに、戻ろう。



息子と一緒に今度はマンションの非常階段を上る。 ・・・上りは流石に脚にくる。

へたばりつつも、家に到着。

息子はテレビが落っこちていたりする自室の散乱を見て、少しへこんでいるよう。

肩にかけて持つ荷物は不便なので、ガラガラ引くトラベルバッグに、必要と思われるものを入れなおす。

その間にも余震がある。  やはりこの高層階の揺れはすごい。

揺れながらも、二人で荷物を詰める。

そしてとにかく、一刻も早く下に行きたい!


外は寒くなってきていた。

今度は、首にマフラーをしっかり巻いて、

再度地上を目指して降りる。





~~~~~~~~つづく~~~~~~



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