べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

悲しい夏休み|事故ゼロを目指そう

2017年08月11日 | 私から保護者へ
海や川の水の事故、行楽の行き帰りの事故、帰省先で起きる事故。毎年ニュースで流れます

はとんどが、当事者が「悪い」わけではなかった。悪意があるわけはなく、楽しく過ごそうと行動していたはずです。だってこの当事者ってママやパパ、おばあちゃんやおじいちゃんですもの。楽しい家族の思い出になるはずだった夏休み。だから夏の事故は悲しい

社会全体として事故は自然です。万全の体制を敷いたとしてもゼロにはできません。悪いことをなにひとつしなくても事故は起こる。過失は大なり小なり常に存在します。当事者になんらかの過失があったとして、はたしてそれが事故の有無を決めたのか。事故を起こしたらそれが即「悪い」と言えない、とわたしは思います

感覚の多数って正しいの?

それでもゼロを目指しましょう。知恵を使って自然を越えることです。ヒトは、リスクを予測し避けつつ行動をするものです。予測をする想像力と避ける知恵そしてそれを学ぶチカラがありますから。楽しい思い出がひとつもない夏休みなんてイヤですものね。だから学びましょう↓

乳幼児と帰省 実家に潜む危険とは?(NHK NEWS WEB・パソコン向け

読んで知識を得たら実行をしましょう。たとえば?

おばあちゃんに「お風呂に水を残さないで」と伝えるなんてどうでしょう。それでは漏れが出ますね。おじいちゃんには伝わってません。それに孫の相手を楽しんでるうち、おばあちゃんだってつい忘れてしまうかも知れない。ヒトは忘れる生き物です。特に個のチカラには限界がすぐに訪れます。普段と違い慣れない状況ではヒトは「つい」忘れてしまいます。慣れたら慣れたで「つい」忘れてしまいます

だいたいで良いのなら、雑談のなかでだいたい伝わればいい。だいたいの結果が得られます。命や人生や生活がかかってなければそれで構わない。わたしも普段はだいたいで暮らしています

もしあなたが事故ゼロを目指すとしたら「書いて」伝えましょう。事故の多くは「大丈夫だろう」とのヒューマンエラーが原因やきっかけであり、逆に言えば減すこともできるはず。口頭で説明したあと、「赤ちゃんがおぼれるよ!お風呂から水を抜いて」と書いて目立つよう脱衣所に貼ります。ウッカリ忘れたとしても見て気付くかも知れない。一度は忘れても二度目三度目に気付くかも知れない。これをきっかけに周りと話題にもできて記憶に強く残こせるかも知れない

「書く」という行為にはチカラがあります。個の注意力を上げ記憶の喚起が期待できます(勉強でも同じですよ)。「書く」ことでチーム全体にもくまなく早く行き渡ります。事故ゼロが実現できるかも知れません。悲しい夏休みなんかなくせるかも知れません

会社や部活といったチームでも、個人の学習だってそうです。だいたいではなく、高度な共有や高い生産性そして実効のある改善の実現に「書く」ことは欠かせません。学校の学びも(特に高校以降)はそれを目指して設計されています。あなたが伸び悩んでるとしたら、あるいは子どもに伝わらなくなったなあと感じているとしたら「書く」ことで早くかつ精度が上がると思いますよ


だいたいで良ければいままで通りで構いませんけどね。それも決して「悪く」はありませんもの。多くの生き物にとってそれは自然です(藤田)


「才能」より「共有」、ヒトの最大のチカラです for Boss

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