べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

いつも心に中世を(2)

2015年05月25日 | 社会
 続きです。

いつも心に中世を(1)


[中世は失(うしな)われない]

 現代のわたしたちのなかにも「中世」はしっかり残ります。部活動やご近所付き合いに。お祭りやそれが形を変えたライブやオリンピックやワールドカップに。流行りモノや経営や選挙もそうかもしれない。だれがやっているのか顔の見えない近現代にくらべ、自分たちで参加する実感がハンパないのが「中世」です。

「中世」って心地好いでしょ?

 政権のなかの「中世」は失われていきますが、わたしたちのココロのなかの「中世」はかたちを変えただけで失われません。政権がそれをおさえることを怠(おこた)ると自力救済の形を取り戻します。たとえば現代の中国がそうです。

 自力救済に走る国民を政権がおさえきれなくなりふたたび権力を集中し強化するのか、あるいは国民自らが「中世」の形を変えていくのか、その両方か。ネットで『民度』って呼はれるものは、この後者なんだとわたしは思います。


 より身体的な「中世」は、現代のわたしたちにまた海外であっても失われることはないのです。そして…(塾長)



[ちょっと高度な二重支配]

 土地を徴税や警察や裁判で支配するのは、朝廷に任命された「荘園領主」または「国司」のどちらか。支配を受けるのは地頭(じとう)と農民です。

 「地頭」は支配を受ける側でもあり支配する側でもある現場実務者です。おもに地元の有力武士が幕府から任命されました。地頭が集めた税を納めるのは朝廷に任命された荘園領主や国司になり、幕府や守護ではありません。朝廷と幕府は対立しないわけです。たてまえでは。

 朝廷や国司から遠くはなれた現場の地頭はせっせと開墾(かいこん)や横領(おうりょう)をおこない冨をたくわえます。その地頭の任命権を持つ幕府には…もうおわかりですね?

 よのなかには、良い悪いは別として、建前と実態が乖離(かいり・はなれる)していることも少なくありません。


 道徳ではない「歴史」は、その建前と実態の実例を学んだ上で、現在のわたしたちが"これから"どう考え行動するのかを問うています。

 ただの暗記じゃないんスよ歴史は。


なつかしい挿絵(さしえ)とまた出会う|熊本県立美術館へようこそ

 政権による時代分けはもともとヨーロッパ西洋史の分け方で、日本の中世は「封建日本」と呼ばれます。中世とは「封建(ほうけん)制」の時代です。

日本の封建制:
土地をなかだちにした将軍と御家人(ごけにん)の関係。「ご恩」と「奉公(ほうこう)」。

ヨーロッパの封建制:
「恩貸地(おんたいち)制」→有力者が保護下の者に土地の使用権を貸し与え奉仕を要求する
「従士(じゅうし)制」→フランク王国(481〜987)などで、ゲルマン人有力者から保護を受ける代わり自由民がその従者となる

 土地を仲立ちに教皇(きょうこう)や国王にしたがう騎士(きし)たちの封建制が、ヨーロッパの中世です。


[古代:古代ローマ帝国の支配]

西ローマ帝国滅亡(476年)


[中世:十字軍と自治]

第1回十字軍(1096年)★
11世紀末から13世紀。イスラム教の「セルジューク・トルコ★」から聖地エルサレムを取りもどすためおこなわれた、西欧キリスト教徒の遠征(えんせい)。キリスト教の頂点に立つ「教皇(きょうこう)」の権力が拡大し東方貿易が盛んに。通り道の地中海都市が成長し貨幣(かへい)経済が発展した。→自治都市と「ルネサンス☆」

エルサレムを奪回すろことはできなかったため、教皇権は衰退(すいたい)し代わって「国王」の権力が増大した。→荘園領主の争いから国家間競争へ。イギリスとフランスの「百年戦争」「絶対王制☆」「宗教改革☆」

ペスト流行(14世紀-18世紀)★→人口減により荘園制くずれる

[近世:教皇権の衰退と王権への集中]

東ローマ帝国滅亡(1453年)★

ルネサンス・宗教改革→大航海時代→絶対王制へ


 中世は11世紀末から15世紀にかけ300年にもわたるため、流れは共通していてもその時期は地域によってまちまちです。また、いまわたしたちが知る国名があらわれるのも絶対王制の前後のこと。まずはおおまかな流れとポイントになる出来事「だけ」おさえます。世界史はあせるな!


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