播磨癒しのまち歩き

自然観察しながら散歩(兵庫県・北播磨)
イベント鑑賞や野球観戦も好きでしたがこのご時世全く行けていません。

馬鹿音頭の謎

2013-09-06 09:20:50 | うんちく・小ネタ

引接寺(下関市)に伝わるいいつたえ

この寺に浄念という美男で気品の高い僧侶がいた。
四月八日のお釈迦様祭のとき、
赤間町のよろず小間物屋、京屋の一人娘で小町美人といわれたお杉が
女中をつれてお参りしたところ、美男の浄念にひと目ぼれした。
 家に帰ったお杉は浄念を恋い慕うあまり食事ものどを通らず、
部屋に閉じこもって長い恋文をしっため、
女中に頼んで浄念に渡してもらった。
しかし浄念は、
「私は仏に仕えるものです。このような手紙は受け取れない。」と、
お杉に突き返してきた。
そうされるとよけいにお杉は浄念に会いたくなり、
その夜、男装して刀を腰に編笠を深くかぶって引接寺へ出かけた。
門が閉まっていたので塀を乗り越え、浄念の寝所へしのびこんだ。
 浄年は驚いて起きあがり「いまごろ、そんな姿で何事です。」といましめたが、
お杉は「浄念様と一緒になれないのなら、この場で死にます」と、
短刀を抜き、自分ののどに切っ先を当て覚悟をしめした。
 こうなっては、浄念はことわることもできず。
とうとうお杉と一緒になることを約束した。
こうしてお杉はつのる思いをとげたが、
しかし二人の仲が評判になり世間にひろがると、
道ならぬ恋はけしからん、とばかり、
町奉行のさしがねで哀れにもお杉は島流しになり、
浄念は、筋ケ浜で処刑されたのである。

この物語が、盆踊りのくどきとなり「引接寺お杉」として全国にもてはやされたという。

物語の主人公、小間物屋の娘お杉は実在の人物で、
六連島に七十までいきていたと伝えられている。
六連島は長府藩の流刑地であったから、
島流しの刑とすれば符合するがそれ以上のことは不明である。

盆踊りの口説きとなったことについては手がかりがある。
明治の半ば頃に発見された
「広島市高橋町和泉屋新蔵版音頭本」というのがそれで、
「円正寺おすぎ赤間関坊主落」はやりおんど、となっている。
引接寺に遠慮して円正寺にしたのか、聞き間違えたのかさだかでない。

坊さんの恋物語で唄になったものに、
「坊さんかんざし買うを見た」で有名な「よさこい節」がある。
これは江戸末期の安政二年(1855)妙高寺の僧純真と
鋳掛屋の娘お馬のかけおち事件を歌詞に入れ、
よさこい節として流行したものである。

お杉の事件は享保年間(1716~34)のことであり
「よさこい節」より百年も前であるから、
盆踊り口説きとしては「引接寺お杉」の方が早く世に出たわけだ。
それだけに『赤間関坊主落』という口説きがおもしろくてはやり、
その当時寄港していた北前船などによって、全国に伝播し流行したと推定される。
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