郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

地名由来「河東、神野、蔦沢」

2019-11-07 08:55:45 | 地名由来(宍粟市・佐用郡・姫路市安富町)
地名由来「河東、神野、蔦沢」  宍粟市山崎町

                閲覧数3,306 件(2009.11.30~2019.10.31)



河東(かわひがし)村、神野(かんの)村、蔦沢(つたざわ)村の地名由来

■河東村の河東(現在は河東地区名で残る)の地名由来

河東 揖保川中流域の東岸に位置する。
【中世】川東 戦国期に見える※地名。播磨国宍粟郡のうち。
【近代】河東村:須賀沢(すかざわ)、高所(こうぞ)、三谷(みたに)、中(なか)、神谷(こうだに)、矢原(やばら)、岸田(きしだ)、野々上(ののうえ)の8か村が合併して成立。旧村名を継承した8大字を編成。 
この地の土質は、揖保川の氾濫により肥沃。明治34年農会が結成され、農業改良が取り組まれる。

※天正8年(1580年)頃と推定される正月28日の丹波守澄忠書状は「五みょう・〈川東〉とう田・〈川西〉いかは・いせ・石作、此外処々惣御門徒衆中」に宛てられている。(願寿寺文書)同文書は石山合戦の際に石山本願寺から宍粟郡の真宗門徒によせられたものである。「川東とう田」は現在の山崎町岸田の小字で、「川西いかは」は同町五十波(いかば)のことで岸田の対岸の揖保川西岸に所在する。当時は、川東・川西という呼称があったことが知られる。



■神野村の神野(現在は神野地区名で残る)の地名由来

【近代】神野村:明治22年から昭和30年の宍粟郡の自治体名。三津(みつづ)、梯(かけはし)、五十波(いかば)、田井(たい)、与位(よい)、清野(せいの)、母栖(もす)、杉ケ瀬(すぎがせ)、木ノ谷(きのたに)の9か村が合併して成立。旧村名を継承した9大字を編成。村名は神戸渓(かんべだに) と※野口保の、頭文字「神」と「野」をとって命名した。

※野口保(のぐちのほ):鎌倉期~室町期に見える※保名。山崎町北部の現在の五十波、田井、岸田、野々上に比定されている。『播州宍粟郡誌』
※保:平安末期から中世を通じての、荘・郷と並ぶ国衙(こくが)領内の行政区画の一単位



■蔦沢村の蔦沢(現在は蔦沢地区名で残る)の地名由来

【近代】蔦沢村:明治22年~昭和30年の宍粟郡の自治体名。上ノ(かみの)、小茅野(こがいの)、中野(なかの)、東下野(ひがししもの),大谷(おおたに)、上牧谷(かみまきだに)、下牧谷(しもまきだに)、宇野(うの)、下町(しもまち)、片山(かたやま)、生谷(いぎだに)の11か村が合併して成立。旧村名を継承した11字を編成。揖保川の支流伊沢川の流域に位置する。村名は、都多谷と伊沢谷の「つた」と「さわ」を取り命名したという。


◇今回の発見 
○ 山崎北部に野口保という地域があったこと 
○ 江戸期には川西と呼ばれた所(五十波周辺)があったこと。
○ 川東とう田は今の「岸田」に当たるが、岸田には当田(とうだ)という小字が残っている。(兵庫県小字名集より) 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿