郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

播磨 恒屋城跡②

2020-04-06 09:25:16 | 城跡巡り
【閲覧数】3,920 (2012.2.29~2019.10.31)
恒屋城跡② 神崎郡香寺町恒屋(現姫路市香寺町)
  
 
▼雪の恒屋城跡  
 
写真:「恒屋城 歴史をつなぐよもやまつづり」より
  
 
  香寺町北恒屋自治会では、昭和60年頃まで地区の奉仕作業で城跡の維持管理を行っていましたが、以降城跡は放置され雑木林になっていたところ、平成17年から「恒屋城保存顕彰会」を立ち上げ、“歴史ある恒屋の郷を未来に残そう”と城郭整備が始まり、最近では、往年の城郭が姿を現し、城郭研究者や登山者が遠方より訪れるほど人気を得ているということです。

 そして、平成23年12月に地元の北恒屋自治会が「恒屋城 歴史をつなぐよもやまつづり」を発行されました。
  恒屋城②は、その冊子の紹介とともに、主に恒屋城の落城に関することを、冊子より引用させていただきました。
 

▼恒屋城 歴史をつなぐよもやまつづり      ▼目次
 



▼恒屋村絵図
 
 
 
恒屋城の落城
 
▼恒屋城周辺の諸城                                 

 


▼恒屋城跡から見る戦国の城跡




  「神崎郡落城史」の羽柴秀吉の中国平定による播磨侵攻における神崎郡内の記述です。 
 
  時は天正4年(1576)冬、羽柴秀吉の大軍、播磨の国を指して押し寄せてきた。置塩城主赤松則房は前をもって款(よしみ)を秀吉に通じていたことで直に開城した。処がこの時、神崎郡には鍛冶屋村(福崎町鍛冶屋)の春日城に一世の豪傑、後藤伊勢守基信が自若として構え、川辺村(市川町川辺)の川島城には大野七郎左衛門・岩村六郎左衛門の二人が、又、恒屋城には恒屋伊賀守光氏、高峰城(福崎町大貫)には伊豆藤四郎、田野城(香寺町田野)には堀和泉守、矢田部城(香寺町矢田部)には大坪越前守祐重が居て、其の他郡中の各城主と連盟を組み春日城主の後藤伊勢守基信を盟主として秀吉の幾万の侵入軍に対して共同戦線を張り戦備をととのえた。

  しかしながら、明けくれば天正5年(1577)春、残り雪に梅香る今日、如月の上旬、秀吉の大軍一気に神崎郡に進行突破し、決河破竹の勢いで、まずは田野城を一蹴し、矢田部・恒屋城と次へ次へと其の他の小城は目もくれず‥‥「神崎郡落城史」より
 
※落城は無血落城とのこと。また、伝えられている焼き討ちのような証拠(文献・発掘品)は発見されていません。
 
 

恒屋城の栄枯盛衰
 
  最後の城主とされる恒屋与左衛門(正友)が、九州の黒田家中に3百石で存在していました。黒田家に仕官した恒屋氏は、「文禄の役」に出陣し、後藤又兵衛等と共に朝鮮の役で戦功があり、太閤秀吉より頂いた感謝状が今も子孫に所蔵されていることから九州の黒田家の家臣であったことが証明されるとしている。ちなみに九州の恒屋氏の家紋は山名氏の「丸に三つ引き」という。
 
 

◇ ◇ ◇ ◇   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 
 
 
昭和51年5月11日の神戸新聞
兵庫探検 続・歴史風土編 「中世の城 播磨恒屋城」より
 
 恒屋の光輪寺住職の棚原さんに、恒屋姓を名乗る人が訪れた。住まいは九州・福岡。持参の系図を見て、棚原さんは胸が高鳴ったという。
《先祖は播州神西郡恒屋の城主・恒屋伊賀守にて‥‥》天正年間、羽柴秀吉による播磨平定後、恒屋一族は、姫路の黒田(如水)に臣従して、新しい領国である筑前へ下った。朝鮮の役で、多少の功があったようだ。石高八百石。同じ播磨の国人(土豪)であった後藤基次(又兵衛)が、黒田家中にあって、万石余の高禄(ろく)をはみ、宿老格だったのに比べると、石高が不当に小さい。臣従までに、多少のいきさつがあったのかも知れない。不運なことに、わずか2代のち、捨て扶持(ぶち)で飼われるほどの小身に零落(れいらく)している。系図はこのあたりにふれておらず、何があったのかは不明だが、はるか末孫が、先祖は播州という記述を頼りに播磨路を歩き、棚原さんをたずね当てたのだという。
 


▼櫃倉(ひつくら)神社 恒屋一族寄付の玉垣 
 


▼寄付者芳名禄 昭和3年





雑 感
 
 恒屋氏の落城後の消息は、福岡からの恒屋姓を名乗るの人の出現により、落城後城主は九州の黒田家に仕えたことが系図や豊臣秀吉の感状等によりつかめました。黒田官兵衛は、豊前(大分)の大名に任ぜられると、敵味方関係なく、播磨のつわものを数多く引き連れあるいは、仕官を許し九州に出向いたようです。恒屋氏もその一人であったのでしょう。

   恒屋城には、平成23年に2度登城しましたが、本丸近くで草を刈っておられる方を目にしました。かつては笹や雑木が多く繁茂していたようですが、地域の人たちの日々の地道な作業によって、今はきれいに刈り込まれています。 


【関連】
恒屋城①

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