ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

012. ルドンド 紙の祭

2018-10-27 | エッセイ

 八月は夏祭りの季節。
 あちらこちらの町や村ごとにいろいろと趣向をこらした祭が開かれている。
 そんな時期に旅をすると偶然におもしろい祭に出会うことがある。

 一昨年の八月の初め、アレンテージョ地方にある民芸陶器の村を訪ねて歩いた。
 モンサラスの麓、サン・ペドロ村には十数軒の窯元がある。
 群青色の細かい柄の絵付けがこの村の特長で、大皿や小皿、そしてオリーブの実を漬け込む大きな素焼きの壷なども作っている。
 私は小さなオリーブ入れをひとつ買った。

 


サン・ペドロの陶器「オリーブ入れ」

 

 焼きが硬いので欠けにくく、我家でも飾りではなく日常的に使っている。

 そこを見てから、次はルドンドに行った。ルドンドも陶器の窯元が数軒ある。
 サン・ペドロのものよりもっと素朴な絵付けだが、時々とても味のある絵柄に出会うこともある。
 まるで子供の描いた絵のように勢いがあったりする。
 皿の裏には作者のサインが釘で彫ってあるが、それも皿からはみ出しそうで元気がいい。
 だいたいが女性の名前だ。たぶんその家の主婦かお婆さんだろうと思う。
 陶器を作るのはその家の男たちで、女たちが絵付けをしているようだ。

 


紙細工の城門

 ルドンドの町に入ると、公園の入口に夏祭りのゲートができていた。
 そのゲートはルドンドの旧市街にある広場の時計塔を模して作られていた。

 高さも三メートル以上はありそうだ。本物の三分の一ほどもある。
 しかも全体が折り紙で覆われている。
 紙の門をくぐると、EU各国の民族衣装を着た等身大の人形が十数体並んでいた。
 手作りのマネキンに折り紙で作った各国の民族衣装を着せてある。
 これだけでもずいぶん手間のかかった作品である。
 ところが公園から延びるあちこちの路地もきれいに飾り付けがしてあった。
 祭の期間中は通行止めをして、道いっぱいに様々な形のモニュメントが置かれて、それがすべて折り紙で全体を覆われている。
 道の上にはアーチ状にいろいろな模様の切り紙細工がぶら下がり、まるでアーケードのようだ。
 日本の七夕祭を思い出して懐かしくなった。
 切り紙細工のアーケードは焦げ付くように強い太陽の陽射しを防いでくれる。
 木漏れ日のようなやわらかい陰を作って、とても歩きやすい。

 


紙細工の道 

 ひとつの路地を歩くと右や左の小道にもさまざまなモニュメントと飾り付けをしてある。
 路地ごとにひとつのテーマがあるようだ。区域のみんなが集って作りあげたのだろう。
 一週間か二週間の祭のためにこれだけのことを毎年やってのけるパワーがすごい!

 


紙で作られた井戸と羊と羊飼い

 路地を登りつめた所に時計台の門がある。比登志が何度も絵のモチーフとして描いた場所だ。
 その前の広場は普段は車が行き交い、門の下にある石のベンチにはいつも数人の爺さん達がなにをするでもなく腰かけている。
 ところが祭の期間はこの広場も通行禁止で、折り紙で作られたモニュメントで埋めつくされていた。
 ここのテーマはワインの収穫だ。
 伝統的な衣装を着た紙の人形があちこちに立ち、葡萄の収穫の様子を再現している。
 広場の上には針金が張り巡らされて、紙細工の葡萄の実や葉がいっぱいに下がっている。

 ルドンドは民芸陶器と並んで、ビーニョ(ワイン)の産地としても名高い。
 その代表的なものが「ポルタ・ダ・ラベッサ」。
 時計台の石の門をくぐると磨り減った石畳の道が一本だけあり、道の両側は年期を経た石造りの家がお互いに支えあうように建っている。
 道の左側に城の跡が残っているが、今は病院になっている。
 受付に断ってテラスに行くとそこからは町が一望できた。
 時計台は城壁の一部で、城壁に囲まれた所が昔のルドンドの町だったのだろう。

 城壁の中の一本道は二百メートルもない。歩いて三分ほどである。
 でも途中に陶器の窯元が一軒ある。入口は狭くて薄暗いが、奥に行くと広い仕事場があった。
 親父さんが赤土の陶土を使って製作中で、出来上がった皿や壷が床に並べてある。

 表に出るとブーゲンビレアの鮮やかな花が石塀の隙間からはみ出している。
 一本道の終わりに別の門がある。
 これがこの町のワインの名前になっている「ポルタ・ダ・ラベッサ」(ラベッサ門)だ。
 ラベルに門の絵が描いてある。
 外から来た人々はこの門を通って、城壁に囲まれたルドンドの町に出入りしたのだろう。
 町は今では城壁の外に広がり、城壁内の旧市街はほんの一部になっている。

 町を歩いているのは旅行者ぐらいで、土地のひとの姿は少ない。
 陽射しの強い昼間は人々はあまり出歩かないせいだ。
 窓を締め切って薄暗い家の中で昼寝をしているのだろう。
 窓を閉めると外の熱風をさえぎり家の中は以外にヒンヤリとして、まるでクーラーをしているようにさえ感じるほどだ。
 気温は高くても湿気が少ないので、蔭に入るとスッとする。

 夜九時を過ぎてようやく太陽が沈み始めると、人々がぞろぞろと出歩き始める。
 それからが祭の始まり。
 切り紙や折り紙細工に囲まれた中で、ビーニョ(ワイン)を飲み、フランゴ(チキン)の炭火丸焼きを食べ、唄を歌い、ダンスを踊り、夜遅くまで祭りは続く。

 今年は泊りがけで行ってみようと思う。

MUZ

©2003,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2003年8月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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