ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

059. セトゥーバル半島のフラミンゴ

2018-12-14 | エッセイ

 久しぶりにリスボンへ出かけた。
セトゥーバルから高速を走り、テージョ川に架かるヴァスコ・ダ・ガマ橋にさしかかる。
橋の両側はもともと塩田地帯で、橋が出来てからもほそぼそと塩を作っているようだ。
最初は荒れるにまかせて放置しているように思えたが、いつのまにか少しずつ整備されてきた。

 その塩田にフラミンゴがえさを取りにやってくる。
塩田には小海老に似たミジンコのような生物がたくさんいる。
それをフラミンゴはブラシのようなくちばしの先で漉して食べるそうだ。

 ヴァスコ・ダ・ガマ橋のすぐ上流には野生の生物保護区がある。
フラミンゴはそこから塩田に餌を取りに来る。

 野生のフラミンゴはアフリカにしか生息していないと漠然と思っていたが、昔、アルゼンチンの南部の湖で遠めにフラミンゴの大群を見かけたことがある。
その近くの氷河を見に行った時のことである。
山奥の氷河とその山のふもとの湖で見たフラミンゴは不思議な組み合わせだった。
フランスのアルルの近く、カマルグ湿地帯にもフラミンゴがいた。
スペインのウエルヴァ付近の湿地帯にもいるそうだ。

 そしてポルトガル。
セトゥーバルのサド川の上流にも冬になると飛来すると知った時は驚いた。
なにしろ「ガンビア」という地名しか分からないので、土地の人の話から見当をつけて、半信半疑で数回その場所に通って、ようやくフラミンゴの姿を見つけた時は嬉しくて飛び上がってしまった。
ポルトガルで初めて目にした野生のフラミンゴだった。
その後、意外な場所で再びフラミンゴに出会った。

 リスボンの万博が開催されたのは1998年、その少し前に全長17キロもある長い橋がテージョ川に架けられた。
リスボンと対岸のアルコシェッテを結ぶ「ポンテ・デ・ヴァスコ・ダ・ガマ」である。

 アルコシェッテ側の川べりには塩田が広がっている。
その一部をまたぐ形でリスボンとの間に橋が架かった。
セトゥーバルからリスボンへ行く時、ラピド(急行)バスに乗ると、出来たばかりのヴァスコ・ダ・ガマ橋を通ることになった。
二階建てバスの一番前に座ると眺めが素晴らしい。
橋にさしかかると、橋の脇にある塩田が遠くまで見晴らせる。

 橋の近くの塩田にもいろいろな種類の野鳥が集まり、餌をついばんでいる。
その中に大型の野鳥が数羽ずつかたまっているのが見えた。
白っぽい鳥だが、その中にはうっすらとピンク色の鳥もいる。
「あっ、あれはひょっとして~フラミンゴ?」
信じられなかった。
こんな大きな都市の中に野生のフラミンゴがいるとは!

 それ以来、橋を通るたびに首を長く伸ばして、近くの塩田を見る習慣が付いた。
このごろはバスではなく、背の低い車で通るのだが、それでも首を伸ばして塩田を見る。
私はいつも助手席にいるので、運転中のビトシに実況中継をする。
「いたいた!手前に3羽、ずっと遠くに10数羽」
残念なことに橋は高速道路なので、車を止めて眺めることはできない。
だから塩田の野鳥が見えるのは一瞬の間。
橋ができた当時はフラミンゴも警戒して、ずいぶん遠くで餌をついばんでいた。
でも最近は車の騒音にも慣れっこになったのか、かなり近くにくるようになった。

 

泥の中の餌を探す7羽のフラミンゴ(撮影・MUZ)

 先日橋を通った時は、テージョ川は引き潮で川べりは広大な干潟になっていた。
川の半ばまで歩いて行って潮干狩りをしている人たちもいた。
いつもは塩田にいるフラミンゴも、一部の10数羽が川の干潟に集まって餌を取っていた。
その中には鮮やかな真紅の羽のフラミンゴも混じっている。
以前に比べて数が増えている気がする。

 テージョ川の両川べりは工場地帯と膨張する住宅地に囲まれて、川の水は汚れ、どぶ臭い。
それでも大都会リスボンの真ん中にフラミンゴの生息地があり、しかもその姿をすぐ近くで見られるのは、とても不思議なことだ。

 しかし今、アルコシェッテに新しい空港を作る計画がある。
今すでに使っているリスボン空港とその対岸にできる新空港との間にフラミンゴの生息する野鳥保護区が挟まれることになる。
これ以上の水質汚染と騒音に、フラミンゴたちは耐えられるのだろうか?

MUZ 2008/01/28

 

©2008,Mutsuko Takemoto
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(この文は2008年2月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)

 

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