5月26日(木)、上野へ
人身事故やら車両故障やらでダイヤは大きく乱れ、何年振りかで「満員電車」を経験
予定より20分ほど遅れて、上野駅に到着
「黄金のアフガニスタン」展が開かれているトーハクへ
西洋美術館前まで来ると、サミット特別警戒中ということで・・・
開館前ですが、確かに物々しく警備員が・・・
現在、「カラヴァッジョ展」を開催中ですが、美術館の世界遺産登録が決定的になったということもあるのでしょうか、大変な人気です
長蛇の列
公園内のアフガニスタン展の看板
大噴水前の広場では、さつき展(「さつきフェスティバル」)を開催中
そして、「トーハク」へ
こちらでも、入り口で・・・
手荷物検査
金属探知機
とにかく、厳重な警備です
展示会場の「表慶館」
趣のある建物です
トーハクのホームページには、「明治42年(1909)に開館した、日本ではじめての本格的な美術館です」と紹介されています
現在は国の重要文化財に指定されているそうです
そして、入場
ここから先は残念ながら、例によって撮影禁止ですので・・・
ところで、今回この展示会を観に来ようと思ったのは、
たまたま、NHK-BSで放映された「アフガン秘宝の半世紀」(前編「バーミヤン」、後編「メスアイナク」)を見たことによります
衝撃だったバーミヤン大仏爆破から、今年で15年になるのだそうです
そして、中国企業による銅山開発計画で消滅の危機にあるというメスアイナクの現在をレポートした番組です
今回の特別展は、バーミヤンやメスアイナクよりも更に古い時代の作品を展示するものですが、
やはり戦乱の中で守られてきた貴重な作品群ということです
特別展のオフィシャルサイトの説明文からの抜粋です
『アフガニスタンは古くから「文明の十字路」といわれるように、さまざまな地域から人々が集まり、多彩な文化が華開いた地域です。
そこでの人々の営みは、悠久の歴史が刻まれた数々の遺跡や遺物が雄弁に物語っています。
本展覧会では、紀元前2100年頃から紀元後3世紀頃までに古代のアフガニスタンで栄えた文化を、4つの遺跡から出土した名宝によって
ご紹介します。
これらの名宝は、首都カブールにあるアフガニスタン国立博物館に所蔵されていました。
しかし、1979年のソ連の軍事介入とそれに続く内戦などにより、博物館は甚大な被害を受け、
その収蔵品の多くは永遠に失われてしまったと考えられてきました。
しかし、国の宝を守ろうとした勇気ある博物館員は、とりわけ貴重な文化財を秘密裏に運び出していたのです。
そして内戦終結後、2004年4月、秘宝を大切に保管していた金庫の扉が再び開かれました。
館員たちは、まさに冒頭の言葉にあるように、国を存続させるために命がけで自分たちの文化財を守りぬいたのです。
本展覧会はこれらの秘宝の再発見を機に、アフガニスタンの文化遺産の復興を支援するために企画された国際巡回展です。』
どのようにして文化財を守ったかについては・・・
『内戦が激しさを増した1989年、アフガニスタン国立博物館への襲撃を危惧した館員たちが決起し、
工芸品の中から特に歴史的重要性が高いものを選び、秘密の場所、大統領府にある中央銀行の地下の金庫へ秘密裏に運び出しました。
その行動は、まさに命がけ。
そしてその事実は彼らの家族にさえ明かさず、その後、14年間に渡りシルクロードの至宝たちは戦禍を逃れ、静かに保管され続けました。
そして内戦終結後の2003年、地下の金庫に隠されていた貴重な文化遺産が無事であることが確認され、
翌年4月、秘宝を大切に保管していた金庫の扉が開かれました。
それはアフガニスタンの人々を明るい未来へと誘う希望の扉の開放でもあったといえるでしょう。』
展示された作品は大変に精緻で技術力の高さが窺われるとともに、
「シルクロードの十字路」という言葉を証明するように、ギリシャ・ローマ、インド、エジプト、中国等の文化が融合していることが見て取れます
金やトルコ石を使った襟飾りで1世紀頃の作品だそうです
こちらも1世紀の作品で、象牙製のインドの女性像だそうです
インド神話のマカラという怪魚の上に立っている女神像のようです
最後の展示室には、次のような経緯で今回アフガニスタンへ無事に返還されることになった102件のうち15件が特別出品されています
『アフガニスタン国内が混乱を極めていたさなか、アフガニスタン国立博物館や国内各地の遺跡から多数の文化財が略奪された。
不法に国外に持ち出された文化財の一部はわが国にも運ばれた。
シルクロードを生涯のテーマとして描き続けた日本画家でユネスコ親善大使を務めた平山郁夫氏は2001年、
これらの「流出文化財」を「文化財難民」と位置づけ、ユネスコの同意のもと「流出文化財保護日本委員会」を設立し、
再びアフガニスタンに平和と安定が戻るまでわが国で保護することを提唱。
同委員会は、これに賛同した人々から譲渡された文化財を保全管理し、必要に応じて修復を行った。』(オフィシャルサイトから転載)
第二次大戦の敗戦でフランスの国有財産になった「松方コレクション」が西洋美術館に返還され、
一方、アフガニスタンの戦乱に紛れて日本に持ち込まれた貴重な文化財が母国に変換されることになります
人身事故やら車両故障やらでダイヤは大きく乱れ、何年振りかで「満員電車」を経験
予定より20分ほど遅れて、上野駅に到着
「黄金のアフガニスタン」展が開かれているトーハクへ
西洋美術館前まで来ると、サミット特別警戒中ということで・・・
開館前ですが、確かに物々しく警備員が・・・
現在、「カラヴァッジョ展」を開催中ですが、美術館の世界遺産登録が決定的になったということもあるのでしょうか、大変な人気です
長蛇の列
公園内のアフガニスタン展の看板
大噴水前の広場では、さつき展(「さつきフェスティバル」)を開催中
そして、「トーハク」へ
こちらでも、入り口で・・・
手荷物検査
金属探知機
とにかく、厳重な警備です
展示会場の「表慶館」
趣のある建物です
トーハクのホームページには、「明治42年(1909)に開館した、日本ではじめての本格的な美術館です」と紹介されています
現在は国の重要文化財に指定されているそうです
そして、入場
ここから先は残念ながら、例によって撮影禁止ですので・・・
ところで、今回この展示会を観に来ようと思ったのは、
たまたま、NHK-BSで放映された「アフガン秘宝の半世紀」(前編「バーミヤン」、後編「メスアイナク」)を見たことによります
衝撃だったバーミヤン大仏爆破から、今年で15年になるのだそうです
そして、中国企業による銅山開発計画で消滅の危機にあるというメスアイナクの現在をレポートした番組です
今回の特別展は、バーミヤンやメスアイナクよりも更に古い時代の作品を展示するものですが、
やはり戦乱の中で守られてきた貴重な作品群ということです
特別展のオフィシャルサイトの説明文からの抜粋です
『アフガニスタンは古くから「文明の十字路」といわれるように、さまざまな地域から人々が集まり、多彩な文化が華開いた地域です。
そこでの人々の営みは、悠久の歴史が刻まれた数々の遺跡や遺物が雄弁に物語っています。
本展覧会では、紀元前2100年頃から紀元後3世紀頃までに古代のアフガニスタンで栄えた文化を、4つの遺跡から出土した名宝によって
ご紹介します。
これらの名宝は、首都カブールにあるアフガニスタン国立博物館に所蔵されていました。
しかし、1979年のソ連の軍事介入とそれに続く内戦などにより、博物館は甚大な被害を受け、
その収蔵品の多くは永遠に失われてしまったと考えられてきました。
しかし、国の宝を守ろうとした勇気ある博物館員は、とりわけ貴重な文化財を秘密裏に運び出していたのです。
そして内戦終結後、2004年4月、秘宝を大切に保管していた金庫の扉が再び開かれました。
館員たちは、まさに冒頭の言葉にあるように、国を存続させるために命がけで自分たちの文化財を守りぬいたのです。
本展覧会はこれらの秘宝の再発見を機に、アフガニスタンの文化遺産の復興を支援するために企画された国際巡回展です。』
どのようにして文化財を守ったかについては・・・
『内戦が激しさを増した1989年、アフガニスタン国立博物館への襲撃を危惧した館員たちが決起し、
工芸品の中から特に歴史的重要性が高いものを選び、秘密の場所、大統領府にある中央銀行の地下の金庫へ秘密裏に運び出しました。
その行動は、まさに命がけ。
そしてその事実は彼らの家族にさえ明かさず、その後、14年間に渡りシルクロードの至宝たちは戦禍を逃れ、静かに保管され続けました。
そして内戦終結後の2003年、地下の金庫に隠されていた貴重な文化遺産が無事であることが確認され、
翌年4月、秘宝を大切に保管していた金庫の扉が開かれました。
それはアフガニスタンの人々を明るい未来へと誘う希望の扉の開放でもあったといえるでしょう。』
展示された作品は大変に精緻で技術力の高さが窺われるとともに、
「シルクロードの十字路」という言葉を証明するように、ギリシャ・ローマ、インド、エジプト、中国等の文化が融合していることが見て取れます
金やトルコ石を使った襟飾りで1世紀頃の作品だそうです
こちらも1世紀の作品で、象牙製のインドの女性像だそうです
インド神話のマカラという怪魚の上に立っている女神像のようです
最後の展示室には、次のような経緯で今回アフガニスタンへ無事に返還されることになった102件のうち15件が特別出品されています
『アフガニスタン国内が混乱を極めていたさなか、アフガニスタン国立博物館や国内各地の遺跡から多数の文化財が略奪された。
不法に国外に持ち出された文化財の一部はわが国にも運ばれた。
シルクロードを生涯のテーマとして描き続けた日本画家でユネスコ親善大使を務めた平山郁夫氏は2001年、
これらの「流出文化財」を「文化財難民」と位置づけ、ユネスコの同意のもと「流出文化財保護日本委員会」を設立し、
再びアフガニスタンに平和と安定が戻るまでわが国で保護することを提唱。
同委員会は、これに賛同した人々から譲渡された文化財を保全管理し、必要に応じて修復を行った。』(オフィシャルサイトから転載)
第二次大戦の敗戦でフランスの国有財産になった「松方コレクション」が西洋美術館に返還され、
一方、アフガニスタンの戦乱に紛れて日本に持ち込まれた貴重な文化財が母国に変換されることになります
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