つわぶきの庭

~明日の元気のために~
 写真と拙詠で綴ります
 (脳トレになればと・・・)
   

 ★関ヶ原ウォ―ランド・・ ≪天下分け目の合戦場≫

2014年11月30日 | 旅行詠

★・館へと急ぐ・・


★・ウオーランド入口・・  《白馬のお迎え》


★・関ヶ原の合戦語り部・・  《地域ボランティヤの深い歴史説明》


★・古戦場・絵屏風・・東軍・西軍陣地を史実に、基づき描かれて・・。~

~「関ヶ原合戦」は安土桃山時代の、慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)、
美濃国・関ヶ原を、主戦場として行われた野戦・・。~  


★・戦後処置・・ 《ここまで詳細に・・≫


★・辞世の句・・ 《石田光成・・~ 、~、~》


★・関ヶ原古戦場の再現広場が視界に広が~る~・・~



★・陣幕を背に、陣地を統括する小西行長・・

~東軍の田中吉政、筒井定次らの部隊と交戦して奮戦するも、
小早川秀秋らの裏切りで、大谷吉継隊が壊滅し、続いて小西隊・宇喜多隊も崩れ
行長は伊吹山中に逃れた。関ヶ原の庄屋・林蔵主に匿われた。

~行長は自らを捕縛して褒美をもらうように林蔵主に薦めるも
林はこれを受けず、共々行長を護衛して草津の村越直吉の陣に連行・・。~

《10月1日に市中引き回しの後、三成・安国寺恵瓊と共に「六条河原の露」と消えた》

~広い敷地に、古戦場をリアルに再現・・ 
戦いの実況中継の如く、スピ-カーの音声も流れていた・・。~

『今日の一首』
【甲冑は身を護りしか重たかろ武将人形戦いリアル】    



★・200体もの武将の雄姿が処狭しと再現されていた・・


★・軍馬に乗り大きな太刀を振りかざし・・

 


★・武将は原寸大にてかなりリアルに迫る・・

~陣幕は、島津氏の家紋 「丸に十の字」 である。
島津義弘は合戦に、東軍・西軍どちらにつくか態度を曖昧にして
情勢を見ていたが・・

家康の家臣らが守る、伏見城への入城を求めたものの、拒否をされる・・。
そのような、状況の中、石田三成よりの、再三の申し入れを受けたのちに
西軍に、加わることになり、負け組となった・・

《室町時代・島津忠久の甲冑に十文字紋があったという由緒正しき家紋》



にほんブログ村 ポエムブログ 短歌へ    ♪ランキングに参加しています。よろしかったらクリックして下さいませ.

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«   ★一路、岐阜・養老町へ・... | トップ |  ★天下分け目の関ヶ原・・ ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行詠」カテゴリの最新記事