~~・・半田市の市の花・「サツキ」に囲まれて・・~~
◆・小栗風葉文学碑・・ 《揮毫 ・遠藤一義氏》
★~・風葉は、新美南吉と並び称される、半田市の生んだ作家・・。~
~~・・遠藤一義氏(愛知県半田市泉町1-5)H・10・3/8「小栗風葉をひろめる会」を発足~・・
(1)・「小栗風葉作品集」1~4、(2)・「小栗風葉資料集成」を編さん。
(3)・「小栗風葉をひろめる会」誌を 都度発行し会員を募り、勉強会を主宰・・。~
★彡~【小栗風葉をひろめる会 1998・3/8】
★☆彡
★~ ・ 会長・遠藤一義氏】~★彡
・ 事務局・本美 氏】
★~ ・名誉会長 ・哲学者 梅原猛氏 (小栗風葉の甥)
★~ ・顧問 ・小中陽太郎氏 (風葉の弟の娘婿)
~ ・小中陽太郎・著書に・「青春の夢 風葉と喬太郎」
~ ・「まんが亀甲鶴」・高瀬斉画 がある=(知多信用金庫花園支店・閲覧可能)
★~・風葉は、実家近くの半田運河にあった、造り酒屋に取材し、
~・蔵人の悲恋を描いた小説「亀甲鶴」を発表し、これが出世作となった。
★~・・小栗風葉・・~★
~・愛知県知多郡半田町(現半田市)に薬種商の長男として誕生。大正15年(1926)歿、51才
★・1875年(明治8)に生まれた風葉は,幼いころより大変な読書好きであった。
~・13歳の時,英語教師との出会いが風葉のその後の人生を決める転機となり
~彼の薫陶を受けた ...
★・~尾崎紅葉に師事し、紅葉門下四天王の一人となる。また田山花袋等と交わり、
~・自然主義文学への関心を深め、さらに時代思潮を、敏感に反映して
~様々な、作風を展開した作家である・・。~
◆・小栗風葉文学碑・(背の面)・・ 《経歴を刻む・碑は雁宿ホール玄関を向く》
『今日の一首』
~【彩れるサツキの苑の文学碑
恩師の筆致 見の去りがたし】~
★~・【遠藤一義先生は今年4月3日享年89歳にて天寿を全うされました。
~半田市文化協会の重鎮であられましたが、何より知多短歌会の主宰を70年
~引っ張ってこられた、大切な方で、惜しみて余りある先生でした
~当然、会は閉じました。月例を楽しみに過ごした会員は、空虚な思いが今も拭えず
~例会の日の水曜日は親しい仲間と「淋しいわね」と電話やメールの交流が・・。~
~過去に会員は、遠藤先生揮毫の色紙を直に頂いた人多く、それを懐かしく
~・偲ぶ旧会員もいる。 此の文学碑を月に一度必ず目にとめて、通ったのに
~もうそれが出来ない、サツキは今年、一段と咲き盛っている・・。~
◆・雁宿ホール東側のサツキ・・ 名鉄知多半田駅西、国道247号沿線に美しく彩る。・・
★~・背の低い街路樹として植えられる サツキツツジツツジ・常緑低木。
~・ 同じ枝から、複数の花色を咲き分け、刈り込みに強く、生け垣にお馴染みの花・・。~
◆・今日も、赤い名鉄電車が行く・・ 《列車は上り丈でも10分間隔で通過する》
★~・耐震補強工事の為、道に添って白塗りのボードが館を隔てていた・・。~
◆・和服の女性・・今の時期和装は珍しい、足早にゆく美しい女性に見惚れていたワタクシ・・
♪ランキングに参加しています。よろしかったらクリックして下さいませ.