
★・内閣文庫.・・ 《常設展示. 世界のミニチュア建築展示》
~・ギリシャ神殿を思わせる柱、圧倒される建築美・・
★・内閣文庫は、明治6年(1873)赤坂離宮内に太政官文庫という名で開設。
~・明治政府の中央図書館であった。
~明治23年(1890)内閣制度の制定とともに、内閣文庫と改称。
~昭和46年国立公文書館が設立まで、内外の古文書研究家に
~広く利用されてゐたという・・。~

★・レトロな街燈・・ 《柱のUP・・》

★・玄関内部・・ 《 白い柱、照明器具》
~・s20年代、小學校の学び舎は、明治33年(1900年)の創立ゆえ
~講堂はそれは立派だった、全くこの白い柱の設えは相似。懐かしい出会い・・。~
~・建物見学を巡り来て、思うに、官の建物は、実に荘重な造りにて見る者を、
~圧倒させる・・ 高級感が漂う、職人の技術は凄いとただ感動するばかり・・
~この時代一般庶民の暮らしは?、例えば住いを見ても、質素というより、
~粗末その物の、家屋ではなかったか?・・
~つまり官と民の暮らしの段違いの「差」の開きが存在した・・。~
~終戦から今年70年、思えばマッカーサーの諸々の改革は、庶民にとって
その暮らしの大変革を、成し遂げてくれた恩人と思えてならない・・。~
《例えば農地改革しかり・・》 見るって大切・・単純に嬉しくなった・・。
余談なれど
~子供だったワタクシでも、マッカーサーの名前は知っていた(ラジオ〜流れていた)
★・マッカーサー元帥の専用機。「バターン号」はマッカーサーが1945年8/30日
~日本占領の第一歩を、記した時の乗機として名高い。
~今から8年も前、アメリカ西海岸を旅した時、現地ガイドが指をさし
~あれがマッカーサ元帥の飛行機との説明が・・ バスの車窓より
~全員が振り向いて、無言で眺めたことは、印象にふかい・・。~

★・廊下・・ このアーチに胸の透く想いが沸々と、美しい・・

★・玄関内部のこの造形美・・

★・国会議事堂・・ 1《のミニチュア展示品》
~・十数年前三代前の市長後援会から「国会議事堂見学」・後、議員食堂でランチ
そして今、噴火騒動さ中の、箱根に泊って意義ある社会勉強の旅を終えています、私。

★・東京駅・・2 といえば「辰野金吾さん」です。

★・正田邸・・3 《残して欲しかったお住まい》
~「品川区に買収予算が捻出できなかった事は返すがえす甚だ残念でございます。ネ

★・安田講堂・・4 安保闘争の折テレビでよく拝見しておりました、あの若者は今・・。~

★東京銀行・・5 三菱とわが街にもあるUFJとの合併で「ネオバンク」ですね。

★・赤坂迎賓館・・6
~外国の元首や首相など国の賓客の宿泊で、接遇を行う迎賓施設です。
^迎賓館赤坂離宮、~・一般参観(一般開放)年一回あり。案内はネットで・・とあり。



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