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ハチロクと家族とお仕事とレースに取り憑かれし会社員

ハチロクの楽しさとタカタサーキットの軽耐久レースに魅了されたある会社員のオタクなブログです。動画もありますよ☆

感動~永遠のゼロを読んで~

2011年12月27日 02時58分41秒 | Weblog
20代後半は時間があったからか、ずいぶんと本を読みました。
でも最近はビジネス書が多くなり、小説等を読む機会はめっきり減っています。

ただ見渡すと自分の周りには大変な読書家(年に100冊とか(汗))が多く、そんなメンバーといると『また読んでみようかな』なんて思えてきます。


でも大変残念な話ですが、年齢を重ねるとともに感動することに鈍感になって来ているようです。

この春、私が大学生の時に何度も読み返した【ノルウェイの森】が映画化されました。
俗に言うハルキストほどではありませんが、たいていの村上春樹氏の本を読んだ私としては
まさに15年ぶりくらいに映画館に行きたくなり(初めて嫁さんを誘って二人で)見に行った映画です(笑)。

でも、当時感じた切なさとか悲しさなどは感じられず、ただ単に退屈で眠たい2時間でした。
映画の内容云々もあるかも知れませんが、20代の頃と体力だけでなく心の琴線センサーが鈍くなって来ているんだと、落ち込んでいました。


そんな中で、上司から勧められた本を読みました。

タイトル:永遠のゼロ
作者:百田尚樹

2006年頃に発表された小説ですが、2009年に表彰されているようなベストセラーとなっていますので、ご存知・既読の方もいると思います。
600ページくらいあり分厚い本ですが、一気に読めます。(私も正味6時間で読みました)

あらすじは、主人公(26歳)のおばあさんが亡くなった時に、実のおじいさんが実はゼロ戦パイロットで特攻で亡くなっていた事を知り、フリーライターの姉が仕事で特攻隊について本を出したいということで、とそのおじいさんがどんな人だったかをインタビュー形式で聞いていき、色々な方面からその人物像を知って行くと言う内容です。

【自分の命を大事にする臆病者】
【誰よりも優れたパイロット】

見る人によって色々な評価が分かれる人物像に、そしてその設定とリアリティ溢れる展開に引き込まれまくります。



【娘に会うまでは死ねない。妻との約束を守るために】


主人公のおじいさんの宮部久蔵氏の言葉です。
(世界が帝国主義の時代、そして日本全体が貧しい中戦争に赴いた男たちの感覚を、
今の平成の時代に生きる私が語るのは無粋の極みなので割愛します)

ゼロ戦のエースパイロット級のキャリアを持ちつつも、
 トレーニングを欠かさない
 臆病すぎるほどの警戒心
 無茶なドッグファイトを避ける
 特攻への打診には断固拒否

そう、生きて帰るために。

当然ながら、ことある毎にこの態度について上官達に激怒されますが、彼はまったくブレません。


でも、結局彼は終戦間際に絶対に生きて帰れない特攻を志願してそして亡くなりました。
生きて帰ることが出来る可能性があったのにもかかわらず彼はそれを選びませんでした。


宮部少尉は私を睨みつけように言いました。
『一機も守れなかった』
宮部さんは悲痛な声で言いました。
『ただの一機も守れなかった!』
「仕方がないと思います」
『仕方がないだと!』
宮部少尉は怒鳴りました。
『何人死んだと思っている!直掩機(ちょくえんき)は特攻機を守るのが役目だ。たとえ自分が堕とされてもだ。しかし俺は彼らを見殺しにした』
宮部少尉は膝を抱え、頭を垂れました。その肩は小さく震えていました。
私はかける言葉を失いました。宮部少尉の中に自分を責める心と暗い絶望があるのを感じました。
『俺の命は彼らの犠牲の上にある』
「お言葉ですがそれは違うと思います」
『違わない。彼らが死ぬことで、俺は生き延びている』
その言葉を聞いたとき、宮部少尉の心がどれほど苛(さいな)まれているかを知りました。あの人は優しすぎたのです。
※引用-P522


宮部氏の戦闘機乗りとしてのプロフェッショナルな部分ときわめて当たり前な人間的な部分の葛藤の中で
最後の決断をした様な気がします。



圧倒的に不利な状況の中で必ず死ぬ作戦の特攻に向かうとき、
【無駄死にではないのか?】と言う究極の疑問・自問の中で、
恋人の為、家族の為、ふる里の為、そしてこの国を護るための大義を作り、その日を迎えたのだと思っています。
この宮部氏も現状にヤケを起こした訳ではなく、家族の為だけでなく、この国を護る為に
【飛びっきりの特攻】を成功させてやろうと思い出の二一型ゼロ戦と共に仕掛けたんだと思います。


その後、残された奥さんと娘さんは、宮部氏を戦時中にかかわった人たちと奇妙な縁で助けられながら
主人公や姉らの世代へと繋がります。



戦時中は日本人全員が国を護るために命を顧みず戦い、
その犠牲があったからこそ、白人の植民地化を逃れる事ができ、
生き残ったものは、今の日本の豊かさを築き上げた。


私は今近代における大先輩達の功績をもっと知るべきであり、学ぶべきであると痛感しています。
なぜなら現代の日本と言う国がいかに先輩達の犠牲・努力の上に成り立っているかが分かるからです。


作中ではさらに軍上層部の極めて官僚的な作戦が優秀なパイロット・兵士達を犠牲にし、
これは現代に通じることなのではと指摘しています。


大先輩達の歴史を学び、今の平和な日本に感謝するとともに
主権を有する国民の一人としてよりよい国となるように、
何よりもまずは、自分自身がより勤勉で善良な市民になろうと強く思います。


あくまでも小説ではありますが、
受験勉強では学習し得なかったリアルな歴史がそこにありました。
日本人である事を誇りに思える1冊です。

四十歳の地図②

2011年12月06日 01時17分17秒 | Weblog
20年前、二十歳の私はマイカーを初めて所有し、運転することの魔力に取り憑かれて若気を至りまくっていました。
10年前、三十路の私は結婚と母親の死を経験し、『家族』というものの大切さを知りました。

そして今年四十歳。
不惑を迎えた私は、『己の限界を知った』と思います。


その昔私が10代の頃、どんな事もできると信じておりました。
非凡な人間になりたい、非凡な人間になれることができると。
それには自分と言う可能性を信じて、それに対して努力する事が大事だと。
その象徴が『プロレーサー志望』だったのかも知れません。

でもこの年齢まで生きてきて、
 ・レーサーになれなかった
 ・普通のサラリーマン
 ・嫁1人子供2人の平凡な父親

27歳で初就職するまでに思い描いていた『非凡人』には、ほど遠い平凡な中年のおっさんになっています。
色々残念な老化を受け入れざるを得ない年齢が四十歳だと感じます。

そして、より平凡な五十歳に進んでいくと思います。


じゃあ、四十歳からは残念な年代なのか?
いえいえ、違います。


平々凡々・・・、全然OKです。



この年になって気付き始めた事があります。

それは・・・、
【非凡】とは【平凡】の積み重ねに過ぎないのでは?と。


小学3年生になった娘には、その成長ぶりに正直驚きます。
小さかった息子も来年小学生です。
彼らの、遊び・学びの習熟度を見ると純粋に遊び・学ぶ事の大切さを思い知らされます。
毎日学校で学び、家で遊ぶ事が子供を大きく成長させています。


日々の積み重ね。


年を重ねる毎にこの重要さ難しさが分かりつつあるようです。

思わず
『子供はすごいねぇ』

とうなってしまうこともありますが、

『でもな、大人だってすごいんだぞ』

と敢えてムキになりたい私の本音があります。


大会本番4日前に風邪を引き、思うように走れなかった昨年から、全てのトレーニング内容の負荷を上げて1年間汗を流してきました。
大会5日前に、昨年の自分の体力数値を全て上回りました。
 身長:173cm
 体重:68.4kg
 体脂肪率:13.2%

顔などの皺は増えましたが、こと上記3項目については学生の時と同じです。
 1年前から負荷を上げてのトレーニング
 上記数字を1年前に戻す
 お守りを家族に作ってもらう

この3つをクリアできました。
後は私が走るだけです。



12月4日、いよいよ大会当日となりました。
前日は、天候が悪く肌寒かったのですが、予報どおりに晴れ。
最高気温22℃と、とても良い天気に恵まれました。
ただ、マラソンに限定すると暑過ぎた1日でもあります。


スタート直前の写真。
グループ会社含めた上司・仲間たちとのワンショットです。

顔は笑っていますがこれから始まる苦痛との戦いにどこか緊張の色が見えますね。
今回でNAHAマラソンは27回目(27年目)。
参加者人数は24000人。

昨年辺りから、色々と整備されてゼッケン№や走行順が、過去の実績やタイム順と変わり、私はゼッケン6058番。
メンバーは一旦解散して、ゼッケン順に整列。


そして9:00にスタート。


マラソンは最近非常に人気のスポーツの為、色々なグッズが出ていますが今回はランナー用の腕時計をして臨みました。

以下が結果です。

05キロまで 27:57
10キロまで 26:35
15キロまで 26:54
20キロまで 27:59
25キロまで 28:18
30キロまで 34:34
35キロまで 31:25
40キロまで 35:13
ゴールまで 14:23

トータル 4:13:18


晴れとはいえ12月。
いつもどおりに帽子を被らずに臨みましたが、今年の日差しは違っていました。
後半から日射病の様な症状で、一気にペースダウンしました。

【帽子を被っていれば・・・】

と悔やまれますが、全ては後の祭りです。
前半抑え気味で走った分、後半も頑張れましたが、結局4時間切りはなりませんでした。残念。
でも、一応NAHAマラソンのベストを更新。

1回目:4時間47分
2回目:4時間30分
3回目:4時間13分
と、面白い事に17分ずつ速くなっています。
4回目は3時間56分なのかなと(笑)


運動神経はもちろん体力にも自信が無く、ヘルニア持ちの為クルマの運転にはコルセットが手放せなかった私ですが、マラソンを始めるとなった4年前からジムでの運動量が増え、日常の体力や食べる量が増えました。
タイムは4時間を切れませんでしたが、順位は2786位/24000人中。
こう見ると『おおっ、頑張ったなぁ』と我ながら思います。

人に自慢できるものでは全くありませんが、この体とずっと付き合っている私としてはこの体力を維持できている状況に脅威を感じます。
 あのメンバーの中で自分がこんな順位だと言う事
 コルセットも使う事無くクルマの運転が出来るようになった事
 太る体質の自分が、未だに20年前と同じウエストだと言う事


四十歳の私がフルマラソン4時間13分完走できました。
これは日々の積み重ねの賜物だと思います。

でもあれだけ努力して昨年より17分しか速くなりませんでした。
これは私の努力が足りなかったのが原因ですが、当然私の体の老化もあると思います。



自分の身の程を知りつつも、その中で目標を設定して日々努力する。
若い頃、思い描いた【非凡】には遠く及ばないですが、【大いなる平凡】を全うする為に、日々精進して行きたいと思います。

40代の楽しさが分かりかけて来た今日この頃です。


皆さんお疲れさまでした!

四十歳の地図①

2011年12月04日 07時36分32秒 | Weblog
12月2日から6日まで沖縄に来ています。




観光もありますが、メインイベントはNAHAマラソンです。



毎年、家族同伴でしたが今回は単身での参加。
無事完走&4時間切りの為に、嫁・娘・息子の合作のミサンガを貰いました。


『これでもう大丈夫』かな?


過去2回のNAHAマラソンのデータは
3年前:4時間47分
1年前:4時間30分


今までで一番トレーニング頑張ってきましたが、結果はどうなることやら・・・。