古都ぶらりさんぽ

京都・奈良など全国を散策し鑑賞した文化、建築など紹介し、咲く花の美しさや魅力を画像に収めたり想いを綴っています。

勝持寺③瑠璃光殿

2008-08-20 14:08:22 | Weblog
本堂の次に瑠璃光殿に入りました。
ここは時間によっては、運よく住職のお経が聞きことができます。
中に入ると、重文級宝物が展示されています。
中央に重文・本尊の薬師如来坐像が祀られ、鎌倉時代作で左手の薬壷から右手で薬を摘み取る珍しいお姿。
その横に、本尊の胎内仏が。高さ9センチ程だが実に繊細でつやつやとしている。さらにそのほか、金剛力士像、日光・月光・十二神将像、西行法師像や醍醐天皇の勅額が展示されています。

勝持寺②阿弥陀堂(本堂)

2008-08-19 14:54:52 | Weblog
朱塗りの仁王門をくぐり参道を上る。長さおよそ300m。まるで緑の木立のトンネルを通るようでした。
石段を上って南門をくぐると正面に柿葺きの庫裡が有ります。
さらに進み中門を抜けると瑠璃光殿と、その向こうに阿弥陀堂(本堂)が並んでいます。
先ず阿弥陀堂に。ふくよかな如来に手を合わせる。堂の中には寺で催された祭・花見・茶会などの催しを描いた垂れ幕などが飾られています。
また堂の外横にはインドの十六羅漢の一人、ビンズルソンジャの像が祀られています。

勝持寺①仁王門

2008-08-18 18:03:33 | Weblog
勝持寺は天台宗に属し、正しくは小塩山大原野勝持寺です。
680年、天智天皇の勅によって創建され、791年には伝教大師により堂塔伽藍が再建されました。
本尊は大師自らの作と伝えられる重文・薬師瑠璃光如来。
838年には塔頭49院が建てられたが、応仁の乱で仁王門を除き全て焼失した。
別名、花の寺で知られ、春には約300本のソメイヨシノが咲き乱れます。
室町時代には、たびたび花宴が催されました。
また古くは平安時代、僧西行が出家した寺としても有名です。

方広寺③国家安康の鐘

2008-08-17 11:23:42 | Weblog
本堂の前には、1614年に鋳造された高さ4.2m、外径2.8m、重さ82トンの大鐘があります。
これは「国家安康」の鐘と言われました。
しかし徳川家から家康の名が切れているとの口実から、豊臣家滅亡の口実にされたのは不運なことです。

方広寺②本堂

2008-08-16 09:06:22 | Weblog
本堂に入ると、先ず銅製で高さ4m程の「眉間こもり仏」を拝しました。
次の間には、大仏が安置されていたお堂の100分の1の縮図が掲示してあります。梁まで書いてあり、製図の高い技術に感心しました。
次の間では、るしゃな仏の10分の1大の像が安置されていたり、遺物であった左甚五郎の龍の彫刻、大仏殿の瓦などが展示してあり、当時の様子が伺う事ができました。

方広寺①大黒天堂

2008-08-15 14:07:59 | Weblog
方広寺は1586年に、秀吉が創建しました。
るしゃな仏坐像木像を本尊とした大仏は高さ19mで奈良の大仏より大きいと言われました。
しかし再三の地震や火災に襲われ、現在は本堂・大黒天堂・大鐘楼を残すのみとなりました。
本堂の右には、写真の大黒天堂があります。
大黒天は伝教大師(最澄)が延暦年間に、桓武天皇の勅命により彫刻したものと伝えられ、右に毘沙門天、左に弁財天が安置してあります。

豊国神社⑤耳塚

2008-08-14 18:11:53 | Weblog
豊国神社から約30m程の丘陵に約5mの高さの五輪塔が建てられています。
秀吉が命じた朝鮮出征、文禄・慶長の役の際、豊臣の武将たちが時の朝鮮の人たちの首の代わりに耳を持ち帰ったものを、異人とはいえ、国難に殉じた兵士の霊を厚く弔うべしとして、ここに塚を築いて埋葬したものとか。
これを見た時は情けない、恥ずかしい思いで一杯でした。

豊国神社④馬塚

2008-08-13 17:42:05 | Weblog
豊国神社境内の奥に高さ2.5mほどの五輪塔があります。
阿弥陀ヶ峰の旧豊国社が徳川氏によって取り壊された、その参道が塞がれた後、秀吉公を慕う人々が代拝所として峰から移霊したものとか。
名残を今に伝えています。

豊国神社③本殿・拝殿

2008-08-12 18:04:36 | Weblog
境内を進むと本殿・拝殿さらに宝物殿があります。
中に豊臣家の遺品である重文・唐櫃(2点)、秀吉愛好の茶道に使う釜・炉、直筆の手紙、馬印や1604年に行われた壮大な豊国祭りを金箔で描いた重文・豊国祭礼図屏風、重文・与二郎燈籠などが展示されています。
その奥に高さ2.5m程の五輪塔が。
旧社が取り壊された時に、秀吉公を慕う人たちが代拝所として峰から移霊したものとか。

豊国神社②唐門

2008-08-11 17:53:23 | Weblog
鳥居をくぐると正面に唐門があります。
この門は伏見城の遺構で、西本願寺、大徳寺と共に国宝の三唐門と呼ばれています。
正面には、御陽成天皇の筆による「豊国大明神」の勅額が掲げられていて、仕様や彫刻などは豪華絢爛なもので代表的な桃山建築。
素晴らしさに思わず見とれてしまいます。