古都ぶらりさんぽ

京都・奈良など全国を散策し鑑賞した文化、建築など紹介し、咲く花の美しさや魅力を画像に収めたり想いを綴っています。

相国寺①瑞春院門

2008-07-13 09:27:36 | Weblog
相国寺は正しくは万年山相国寺承天禅寺です。
相国とは足利義満の唐名。夢窓国師の開山により義満が1392年に創建しました。
五山の一つとされた名刹で応仁の乱により焼失しましたが、1605年に豊臣秀頼により法堂が再建されたのをはじめ、1807年には現在の壮大な旧観に復しました。
金閣寺、銀閣寺など90以上の末寺を数えています。
境内の西側には、水上勉の小説「雁の寺」ゆかりの瑞春院が。
本尊・来迎攝取弥陀三尊仏、名園・雲泉庭、水琴窟、八方にらみ龍などが有名ですが、完全予約制のため鑑賞できなかったのは残念でした。
ここは禅寺らしく荘厳に満ちていますが、院の拝観は予約が必要なので電話(075-231-0301)で確認された方が良いと思います。

六角堂⑧親鸞堂

2008-07-12 16:29:16 | Weblog
本堂の右、十段程、石段を上ると親鸞堂があります。
また1201年に親鸞上人がこの地にお参りして、後に真宗を開宗する根源となった地でもあります。
中には夢のお告げを聞いている姿と六角堂参りの姿を自ら彫ったと言われる像が祀られています。

六角堂⑦堀尾吉晴の鐘

2008-07-11 17:50:15 | Weblog
素晴らしい寺院や境内を見た後、興奮冷めまま道路を隔てた鐘楼堂に。
この鐘は1605年に豊臣秀吉の臣、堀尾忠氏が寄進したもの。
昔は水難、火災の際、この鐘を撞いて急を知らせたとか。
京の人々のために活躍したんですね。

六角堂⑥一言願い地蔵

2008-07-10 18:06:04 | Weblog
へそ石の近くには地蔵がおられます。
首をかしげているのは悩んでいるのでなく、お参りした人の願いを叶えてあげるかどうか考えておられる姿。
お参りする人たちに精進・努力が大切と教えているとか。

六角堂⑤へそ石

2008-07-09 17:51:41 | Weblog
本堂の右に六角形の礎石があります。
793年、桓武天皇が遷都する際の遺構で「へそ石」と呼ばれ、京都の中心と言われていました。

六角堂⑥聖徳太子汰浴の跡

2008-07-06 09:29:45 | Weblog
本堂を回るように進むと、聖徳太子がここで沐浴されたと言う古跡があります。
今は枯山水の庭に池が作られ、白鳥が水にたわむれ、鯉が泳いでいます。
太子堂には二歳の像が祀られています。
また1201年に親鸞上人がこの地にお参りして、後に真宗を開宗する根源となった地でもあります。

六角堂③不動明王像

2008-07-04 17:57:18 | Weblog
本堂の左には不動明王像が祀られています。
右手に剣を左には剣索を握っています。
剣は振りかかる災難を断ち切り、剣索で迷いの世界の人々を救い上げる姿。
実に力強い感じです。

六角堂②本堂

2008-07-03 17:54:51 | Weblog
山門をくぐると、正面に本堂があります。
珍しい六角形の堂、これが寺名の由来。
本尊・如意輪観音像と親鸞像、重文・毘沙門天立像が安置されています。

六角堂①山門

2008-07-02 17:55:01 | Weblog
六角堂は正しくは紫雲山頂法寺と号しますが、本堂が六角宝形造りであることから「六角さん」の名で人々に親しまれています。
開基が聖徳太子で四天王寺建立の用材を求め、この地を訪れた際に霊告によって、587年、お堂を建立し守護仏の観音像を安置したのが始まりとされています。
822年に勅願所となった古刹でもあり、また西国三十三ヶ所霊場の札所でもあり、多くの人で賑わっています。
また遣隋使 小野妹子が仏前に供花したと言われ、立花の始まりとされ、後に華道家の池坊専慶が世に出て生花隆盛の礎を築くことになります。

曼殊院⑤小書院

2008-07-01 17:53:47 | Weblog
次の小書院も重文に指定されています。
富士の間に入ると襖絵は狩野探幽が描いた名作です。
次いで宿直の間に。国宝・黄不動明王が祀られています。
平安時代後期の作品で、手に剣を持ち、虚空を踏んで出現した金人の姿を写したと言われ、迫力ある鋭い眼差しで筋肉逞しい力強さに満ちあふれています。
さらに良尚法親王の隷書、絵巻なども展示されています。
大書院・小書院とも江戸初期の代表的書院建築で、屋根の瓦葺き、釘隠しは富士の形の七宝焼き。欄干も粋を凝らしてあり、また曼殊院棚も独特かつ上品であり、庭園と共に見どころのある寺院でした。