Life is

気づけばアラ還。

お久しぶりです

2024-02-25 | 終活

仕事で無理するくらいなら、質素な生活してやる~とうそぶいていたけれど、やっぱり駄目でした。
はい、今月はけっこう散財しました。

5年半使ったスマホはバッテリー膨張で買い替えなきゃならなくなったし。
土鍋の蓋にはひびが入るし。
マスクを外すようになって化粧品代はかかり始めるし。
家にいると確かにお金は使わないけれど、誰とも喋らずにいると人は鬱になりますね
とか言って飲みに出てしまったし。

しばらく我が身に鞭打って働きます、少なくとも65歳までは・・・もっとかもしれない・・・まぁ健康であればだけど。
仮に70まで働いてもさして年金は増えないのですが、ささやかな老化防止ですかね。

なんとなく、自分が好きなことがわかりました。
もう量は飲めないけれど、やっぱり私はお酒のある空間が好きなんだということ。
なんかね、これからは「これがお金になる!」ではなくて「これが好き!」でなんでも決めていく時代みたいですよ。
ここ半年で二回遭遇した通りすがりのキタキツネが言ってました。

ところで最近観ているドラマは『不適切にもほどがある!』と『おっさんずラブ リターンズ』です。





潮時

2023-10-22 | 終活

年金の話とかをYouTubeでみた。
65歳までは働き続ける予定だけど、60歳前にはフルタイムは辞めようと思った。
早ければ来年早々にでも(あと2ヶ月やん)。

昔は60で年金もらえたことを考えたら、根性も体力もないのによく頑張ってきたよ私!と思えました。笑

で、仕事量減らして何をするかというと
好きなことに没頭したい。
それを老後の生きがいにすると決めました。
定年退職してから始めるのではなくて、今始める。

悩み過ぎて酒量が増え吹き出物が出ちゃってたもんね・・・。
母の一周忌法要を済ませて決断しました。




今が・先を・作ると思えば

2023-09-28 | 終活

友人が「起業して10年経ったら引退して船で世界一周したい」と言ってるのを聞き、自分の今後もぼんやり考えてみる。

今は適度に趣味を楽しみつつ社会保険に入っていられるくらい働いてるけど、2025年3月に経過観察5年が終了するまで再発がなければ、そこでちょっと方向性変えるかもしれない(反対に入院してるかもだけど、その場合選択の余地がないということで)。

その時点でまだ年金は支給されてないので何かしらの仕事はしていると思うが、それまでどんな出会いがありどんなふうに導かれてゆくのかしら、と思えば未来は楽しい。






古色蒼然

2023-08-09 | 終活

今まで20年くらい、遠くにいる誰かとコンタクトを取りたいとSNSを続けてきたけれど、ここにきて変化が。
遠くの誰かと共感を交わすことが容易になってきたし(コロナ禍も経て)、今は近くの風景や自分を取り巻く環境を大事にしたいなと。


あと決定的なのは、病気を機にいつ何時人生が終わるかわからないと自覚し、「じゃあ死ぬまでに何がしたいの」と自問してみるに、「あまり遠大な夢を抱いたところでその後はどうするよ」という別方向からの答えが返ってきたから。

体力は年々落ちてきているし、商売始めたいとか一世一代の野望を目標に掲げても、実現したところでそれまでもその先もいいことばかりが待っているとは限らない。
「あれやっとけばよかったな」だけではなく「あれしなければよかったな」という悔いだってあると思うのだ。
自分だけじゃなく周囲に対しても。
世間や自分自身に責任のとれる範囲で、そこに幸せを見つけられたら人生最高の到達点じゃないか。
てとこまで結論出てたら、もうそこに向かって行くしかない。
目標できたぜ!笑

タイトルは、西洋占星術の大家ルネ・ヴアン・ダール・ワタナベ氏が山羊座の思考体系を評した言葉。









幸せに生きて死ぬために

2023-06-27 | 終活



コロナがなくなったわけではないし体力も落ちたので長距離旅行は無理だけど、道内一泊旅くらいはたまにしたいと思っている。
昨年に引き続き今年も旭川行きを予定しているのだが、暑さで倒れないことを祈ろう・・・。

とにかくストレスをためない生活を望んでいる。
ぶっちゃけそのぶん収入は減るのだが、無理して稼いでも体を壊してその後が大変ということを身をもって知ったので。
世の情勢に都度合わせ、自分の価値観も変容させ、その上悔いなく生きるということは、とても頭を使うがやりがいもある。

で、ふと気づいた。
病気になったことは想定外だったが、30~40代の結婚していた頃から自分が望んでいた生活は、まさに今の生活だということに。
そう、今話題の“女性の老後おひとりさま生活“そのもの。
いろいろ失って思ったより早くこの生活を手に入れたけれど、望みが叶ったと言えば言えるのだろう。