通勤時間が長いと、長編が読めるのが楽しみになる。一時間15分しっかり読みたい。今日から吉村 昭「天狗騒乱」行って見ようかな。村上春樹「ギャッツビー」出だしではやくも、つまずく。こゆう言葉じゃないと、構成できない文学のジャンルなんだろうね。日本の古典と同じ視点で見るべし、とゆうことかな。
4月13日の産経新聞文化欄に、伊集院静さんの話で「なぜこの街に自分が住んでいるのか、という信念がないから」に目がとまる。自分もマンションに住むことになって、以前住んでいた戸建てとは、住んでる空気感が随分違うとかんじてた。なじみができない、暖かい気持ちが生まれてこない、それで何が不便とゆうこともないのだが。だから、表に出なきゃなんだな、そうだそうだとゆうことで。
午前10時を過ぎると、図書館が開いてしまう。ここを素どうりする術を私は持たない、ダメダ、ダメダとつぶやいても、足は図書館へ向かっていく。村上春樹、グレート・ギャツビーを借りた。面白いか、久々に村上春樹がやってきた。
村上春樹さんの本の影響で、40日ぶりに走る。右膝の痛みであと一息のところで、歩きに変える、こんなもんで、いいと割り切らないと走れない。とてもフルなんて雲の上の話だ、でもゆっくりでいいとして。空気感をあじあう、それでいいかな。