![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/73/c5a2b7011d8a838dfebee69e27bc5486.jpg?1592386920)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/92/83c908ea256d6010406a74f5fa71a93a.jpg?1592386921)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/fc/d5c86e63b7d7e64b30933c7927aa4d96.jpg?1592386920)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/8c/30cdf7480ef3e25fead295c56345d3cd.jpg?1592386922)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/ec/a7b895d9f8fa9cb18c64085c44b51e9c.jpg?1592386923)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/13/7c3e0676bb46358501cb2a39710c3e6e.jpg?1592386924)
母の乳ガン闘病見舞いから始まった、毎年一回の帰郷は、これが最後になります。
毎回、今年も来れたという安堵感。何やらのやり繰りでどうにかなった時間とお金。
小さな旅、実家に帰って母の作ってくれた
カレーライス、弟と二人で食べた。折角帰ったと言うのに、毎日親父の自転車を借りて、隣町まで行ったり来たり。昼には、隣町のスーパーで買った、菓子パンと、ヨーグルトをお土産に帰ったり。
母が最後に、一番穏やかに過ごした時間
は多分、赤い大きなソファーでうたた寝
をしているときだったのかな。足元に
二匹の茶毛の親子猫。いつの間にか、ウチも大きな石油ストーブになってた。
親父は、相変わらず風呂上がりの、シャツ
姿。焼酎をチビリチビリやってた。
最後は、病気で苦しんでなくなったけれども。今、またあの時間の中へ戻れる事を
僕は願ってる。戦争が始まるまで、樺太
で看護婦さんになる夢を持ってた母さんに
僕は人目あいたかったな。勉強すきで、「家の光」を熟読していたあなたは、きっとたくましいナースになって活躍したなって思います。
また、北海道来ます。