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「高桑氏族」 覚書(31)

2012-06-01 10:22:21 | 歴史

「承久の乱」(17)

三上皇配流(2)

土御門上皇(1)

土御門天皇は、後鳥羽上皇の第1皇子であったが、父上皇の討幕計画には、賛成出来ないでいた。その為、幕府に対して闘志を燃やす父上皇から退位を迫られ、父に協力的であった第3皇子の順徳天皇に譲位した。

討幕挙兵には、土御門上皇ばかりではなく、周囲には少なからず、反対者がいた。つまり討幕宣旨は、殆ど後鳥羽上皇の独断専行と言ってもよかった。これが朝廷の悲劇的な結末の根本原因であった。

乱終息後の、朝廷側に対する厳しい処置が荒れ狂う中でも、幕府は、土御門上皇の対しては、一切の処分がなされなかったのは、上述の理由からであった。

しかし性温順な上皇は、父・弟が島流しの憂き目に遭う中で、京に留まるには忍びないと、妙な話だが、自ら希望して、土佐国(高知県)配流となった。その後、幕府は上皇を、より京に近い阿波国(徳島県)に移したり、宮殿を造営する等、配所での10年間を厚く遇した。しかし病弱だったのであろうか、隠岐の父上皇とは逆縁で、36歳の若さで薨去した。

画像は、「土御門上皇」

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