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「高桑氏族」 覚書(29)

2012-05-11 15:38:25 | 歴史

「承久の乱」 (15)

「武田氏」と「小笠原氏」

「高桑氏族」  覚書(28)の写真参照

「承久記」では、鎌倉方の「武田殿」・「小笠原殿」と並んで、上皇方の「高桑殿」も「殿」付で呼んでいる。それは武田・小笠原両氏が、鎌倉出撃に当たり、「大将軍」に任じられているからであろう。同じ様に、高桑氏も「大将軍」に任じられているからである。但し同じ「大将軍」でも、「高桑大将軍」は、鎌倉方のそれと比較し実態上、かなり格が落ちるのは否(いな)めない。

高桑武士団は、木曽川で幕府軍の東山道軍と対峙した。その東山道軍の中に、共に甲斐源氏の「小笠原次郎長清大将軍」と「武田五郎信光大将軍」がいた。前出の勇士・荒三郎は、小笠原氏の郎従(郎党・兵卒)であった。

小笠原氏は、鎌倉以来幕末まで続く武家の名門であった。教養の代名詞である「小笠原流」は、元来は武家礼式の一流であった。武田晴信(信玄)は、武田信光の15世の孫である。

写真は、「武田館址」 (山梨県甲府市)

Takeda


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