れいの如く

朝鮮半島関連の所感を書きます。

光射せ!第7号を読んで

2020-05-04 15:11:18 | 感想文
 数日前、星へのあゆみ出版事務所へ行った夢を見ました。忘れ物を取りに来たようなのですが、それ~ストールだったようです~があったのかどうかは分かりません。ただ部屋の中は片付いていて、本棚にはありきたりの日本語の本が並んでいました。
 目が覚めてから何故あのような夢を見たのか考えました。ラジオから流れた萩原編集長の兄上である木津川計先生のインタビューを聞きながら寝入ったせいかも知れません。いえ、「光射せ!」の萩原編集長の追悼号の感想文をまだ書いていないためでしょう。
 ということで同誌の感想を少し記してみたいと思います。
 今回、追悼号を一読して感じたのは萩原遼という人物は実に多様な顔をもっていたということです。
 筆者の知っている萩原遼は、北朝鮮の圧政に苦しめられている人々~国籍・民族問わず~のために戦う元日本共産党員のジャーナリストでした。
 現在では信じられないことですが、70~80年代の日本の朝鮮半島研究者の大半はハングル文が読めませんでした。そうした中で萩原編集長は韓国(朝鮮)語が分かり、現地の資料に目を通して執筆・発表していました。当時の筆者もある程度ハングル文が読めたため、朝鮮半島関係の記事の良し悪しが分かりましたので、この人は“本物だ”と思いました。
 以後、萩原遼は筆者にとって朝鮮関係の唯一の師匠になりました(但し自称“弟子”)。
 しかし、「光射せ」で語られている萩原遼は、詩人であり、文学者であり、芸術愛好者であり、良き弟であり、頼りになる兄であり……筆者の知らない面が多々ありました。
 あと数年、編集長が生きていらっしゃれば、こうした面も知ることが出来たでしょう。
 筆者がこの雑誌に寄稿した文を執筆していた頃は、まだ、気持ちが整理出来ずにいました。編集長は韓国か米国に取材に行っていて、もうじき戻ってくるように感じたのです。それゆえ、“ご冥福を”などとは書けませんでした。
 最近になって、ようやく編集長は今頃、あちらの世界で金正日総書記を突き上げているだろうと思うようになりました。
 と同時に、編集長に聞きそびれたことが多くあることに気付きました。そのことがとても残念です。
 また編集長御自身も言い残したことが多々あることと思います。まさか、こんなに早くあちらの世界に行くとは思わなかったでしょうから。
 よく“心の中に生きている”という表現が使われますが、編集長が亡くなって以後、これを実感するようになりました。朝鮮半島関係のニュースを耳にするたびに、編集長はどうおっしゃっただろうと考えます。筆者の心の中には編集長はまだ生きているのです。


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