れいの如く

朝鮮半島関連の所感を書きます。

玉山会ミーティングに参加して

2022-08-07 15:17:24 | 雑感
 このブログのテーマは北朝鮮関係ですが、今回は筆者が若い頃趣味だったBCLに関連することを記してみようと思います。

 すっかりBCLとは縁遠くなった筆者ですが、今回興味深いリスナーミーティングが行われたので参加しました。
 台湾国際放送のリスナーズクラブである玉山会主催のリスナーの集いで、定期購読誌であるアジア放送研究会月報で知りました。
 玉山会は今年で結成40年を迎えた歴史あるリスナーの会で、80年代、当時“自由中国之声”と称していた頃、筆者は同局のヘビーリスナーだったので毎年のように玉山会の集いには参加していました。
 近年は国内中波放送さえ満足に受信出来ない状況になってしまったので台湾国際放送は全く聴いていません。ただ最近、YouTubeも行っていることを知り、時々、そちらを聞いています。
 そんな筆者が何故今回のリスナーの集いに参加しようかと思ったのは、40年前の同局について紹介する内容とアナウンサーの王淑卿さんが参加するためです。
 昨今のコロナの影響でミーティングはネットを通じてのものになりました。自宅がネット環境にないため、参加申し込みをした後、まず行ったのは場所選びでした。幸い近所にリモートワーク出来る場所があったのでそこを予約しました(会員になったりして使用料を抑えたのですが、それでもネットカフェよりも相当割高でした)。
 さて当日である8月6日土曜日、件の場所に行きました。無人で全ての手続きを機械で手続きを行うのでアナログ人間の筆者にとっては四苦八苦しましたが、何とか入室出来ました。持参のタブレットを設置しアクセスしたところ、何とか繋がりほっとしました。
 13時になり定刻通り開会しました。司会は今井さんです。
 まず松本さんの挨拶があり、その中で日本語課課長の王淑卿さんへのこれまでの仕事に対する感謝状の授与のお話がありました。
 続いて王日本語課課長の挨拶。筆者は80年代中期に訪台した際、中国広播公司の自由中国之声日本語課を訪問し、その時、王さんと会ったことがあります。当時はまだ駆け出しで若くて声の可愛い女性でした。今回は数十年ぶりの再会になりますが、声が落ち着いて貫禄あるキャリアウーマンに変わっていて感動しました。
 彼女から最近の日本語課の状況が語られましたが早田健文さんの名前が出て懐かしく思いました。彼も80年代中期に日本語課に入りました。早田さんと台湾でお目に掛かったかどうかは記憶が曖昧です。
 話がだいぶ逸れてしまいましたが、中国広播公司が中央広播電台に自由中国之声が台北国際放送になってからのことは全く分からないので王さんの話の内容も馴染みのないものばかりでした。時代の流れを感じました。
 13時25分頃、本日のメインの一つである山田充郎氏による講演になりました。
 台湾国際放送日本語放送の40年を振り返る内容で、玉山会誕生の経緯、歴代の日本語課アナウンサー紹介等々の多様なものでした。
 アナウンサー紹介では卓菁湖課長や稲川英雄氏等々の馴染み深い名前が登場し、懐かしく感じました。
 また「台北リポート」等、かつての名物番組についてのお話が出た時は思わずテーマ曲(梅花行進曲)を口ずさみそうになりました(笑)。
 続いて13時50分頃から、二つ目のメイン企画、リスナー小川竜也氏とせきやま☆れいわ氏による対談~40年前の日本語放送が始まりました。
 当時、ヘビーリスナーだった筆者には出てくる話題一つ一つが懐かしく楽しいものでした。玉山アワー、歌の散歩道等々は毎回とても楽しく聞いていました。リクエストカードもたくさん送って採用され、クイズも毎回応募して記念品を多くいただきました。アクセサリー、工芸品等々、どれも素敵なものばかりでしたが、全て火災で失いました。
 故宮博物館の受信確認証(ベリカード)、雑誌「光華」、日本語課のオリジナル小冊子「自由中国之聲」等々、筆者も頂きました。
 いちいち頷きながら、時には反論っぽいことを呟きながら拝聴しました。
 対談は14時10分まで続き、5分間の休憩の後、14時15分から参加者の自己紹介となりました。
 古くからのリスナーの方が多く、また皆さん現役で熱心に聴いていらっしゃるのに感心しました。
 最後に質疑応答~放送時間について~があり、その後、閉会の言葉があり、定刻の15時にミーティングは無事終了しました。
 部屋の予約時間が終わりそうだったので余韻に浸ることなく大急ぎで片付け退室しました。
 80年代、筆者は自由中国之声を聴くことで多くのことを得ていたのだと改めて感じました。
 費玉清、羅大佑、蔡琴等々、多くの台湾ミュージシャンを知り、その歌唱力に圧倒されました。
 また、当時、中国大陸一辺倒だった日本で、自由中国之声を通じて“台湾の視点”で社会を見ることが出来ました。このことは物の見方を若く無知だった筆者に提示してくれました。
 中学生時代にBCLに出会ったことは筆者の人生を豊かにしてくれたのだなぁと改めて感じた一日でした。

※画像は自由中国之声日本語課から頂いた年賀カードです。


“北朝鮮人権侵害問題啓発週間”

2021-01-17 22:03:01 | 雑感
既に年も改まってしまったが、あまりにもひどい状況だったのでここに記しておきます。
昨年12月の北朝鮮人権侵害問題啓発週間のことです。
昨今の状況ゆえ、通常通りの活動は出来なかったのは仕方のないことです。それでも北朝鮮人権映画祭の開催やネットを通じての集会、街頭活動等々、民間では健闘したと思います。頭の下がる思いです。
反面、政府を始めとする公的機関は今ひとつというか、何もしていないのも同然に思えました。
ただ申し訳程度に恒例の政府主催のシンポジウムが開催され、東京都では写真展が行われたくらいです。
加えて各種メディアの冷淡さです。新聞やテレビ、ラジオはこの期間、何をしたのでしょうか?大半のメディアは何もしなかったのではないでしょうか?
民放はともかく、NHKくらいは期間中毎日特集番組を放送すべきだったでしょう。
政府や公的機関のこの間の様子を見ますと拉致問題について、まるで国民に知らせないようにしているように思えるのです。一億二千万人のうちのせいぜい千人程度の被害者のことなど関心がないのかも知れません。
現在、日本では事故や事件で死傷する人々は大勢います。拉致被害者だってその一部に過ぎないではないかとおっしゃる方もいることでしょう。しかし、事件や事故の場合、その加害者は処罰され、真相の解明や今後の対策が講じられます。拉致事件の場合、こうしたことが行われていません。これでいいのでしょうか。
個人的には、拉致被害者の救出が北朝鮮体制の変化そして北の国民の置かれた状況の改善にも繋がるのではと思っています。
何はともあれ“北朝鮮人権侵害問題啓発週間”が必要なくなる日が来ることを願うばかりです。そのために自分の出来ることを今後も続けるつもりです。既に年も改まってしまったが、あまりにもひどい状況だったのでここに記しておきます。
昨年12月の北朝鮮人権侵害問題啓発週間のことです。
昨今の状況ゆえ、通常通りの活動は出来なかったのは仕方のないことです。それでも北朝鮮人権映画祭の開催やネットを通じての集会、街頭活動等々、民間では健闘したと思います。頭の下がる思いです。
反面、政府を始めとする公的機関は今ひとつというか、何もしていないのも同然に思えました。
ただ申し訳程度に恒例の政府主催のシンポジウムが開催され、東京都では写真展が行われたくらいです。
加えて各種メディアの冷淡さです。新聞やテレビ、ラジオはこの期間、何をしたのでしょうか?大半のメディアは何もしなかったのではないでしょうか?
民放はともかく、NHKくらいは期間中毎日特集番組を放送すべきだったでしょう。
政府や公的機関のこの間の様子を見ますと拉致問題について、まるで国民に知らせないようにしているように思えるのです。一億二千万人のうちのせいぜい千人程度の被害者のことなど関心がないのかも知れません。
現在、日本では事故や事件で死傷する人々は大勢います。拉致被害者だってその一部に過ぎないではないかとおっしゃる方もいることでしょう。しかし、事件や事故の場合、その加害者は処罰され、真相の解明や今後の対策が講じられます。拉致事件の場合、こうしたことが行われていません。これでいいのでしょうか。
個人的には、拉致被害者の救出が北朝鮮体制の変化そして北の国民の置かれた状況の改善にも繋がるのではと思っています。
何はともあれ“北朝鮮人権侵害問題啓発週間”が必要なくなる日が来ることを願うばかりです。そのために自分の出来ることを今後も続けるつもりです。

横田滋さん2

2020-09-27 21:40:26 | 雑感
 先日、ラジオを聴いていたところ、横田滋・早紀江夫妻に励まされたと言う女性アーティストの話が放送されていました。
 心身共に絶不調の時、横田夫妻に会い、励まされ、前向きに生きられるようになったとのことでした。女性アーティストは御夫妻に大変感謝したそうです。
 この話を聴きながら、改めて横田夫妻は立派な方々だと思いました。娘さんを拉致されて辛い思いをされているにも関わらず、他の人々の苦しみも理解して励ますのですから、本当に大したものです。
 御夫妻に限らず、拉致被害者・特定失踪者の御家族の方々は思いやり深い人々です。
 支援集会でお話される時も自分たちの苦しみだけを訴えるだけでなく、北の国民たちの苦難についてもきちんと語っていますl
 こうした心の広い方々ですので、人々は共感し、被害者救出のために協力するのでしょう。
 しかし、最近、SNS上で、被害者御家族に嫌がらせをするような書き込みが現れて驚いています。
 大切な家族を奪われ日夜苦しんでいる人々に追い討ちをかけるような行為をする人間が世間には存在するのですね。
 もしかしたら、御家族の発言や考え方が気に入らないのかも知れません。だからといって、こうした行為をするのはいただけません。子供じみたことです。
 自分の家族、親族、友人知人が突然、奪われ、生死も不明になったら、どう思われますか? 
 被害者御家族は数十年間悲しい思いの中で過ごしているのです。

横田滋さん

2020-06-28 21:22:28 | 雑感
 横田滋さんに初めてお目にかかったのは、確か川崎市で行われた小さな学習会だったと思いますーいや、もしかしたら、それ以前に行われた講演会だったかも知れません。いずれにしろ20世紀(笑)のことでした。
 その頃の滋さんは、お世辞にも話し上手とは言えませんでした。それはそうでしょう、引退した普通のサラリーマン男性が人前でうまく喋れるわけがないのです。それどころか、こうして人前で話すことは、とてもしんどいことだったと思います。筆者自身、人前に出ることは嫌なので理解出来ます。
 そうした方が敢えて人前に出たのですから事の重大さを実感しました。と同時に、横田さんたちを支援している関係団体の人々はこうした心情が分かっているのかと思いました。この思いは今もあります。
 人間とは環境に慣れていくものですね、筆者が講演会や集会に行くたびに滋さんは話すのが上手になりました。それは悲しいことでした。何故なら、それほど長い間、問題が解決しないということなのですから。
 他の被害者家族の方々もそうですが、横田さんは自分の苦しみのみを訴えませんでした。家族を奪われた悲しみと共に、このような酷いことをするかの国に暮らす国民の苦難にも深く心を寄せていました。それゆえ、北に家族がいる在日の人々からも共感を得たのだと思います。
 滋さんの訃報がメディアに流れた時、多くの人々が「御冥福をお祈りします」といっていましたが筆者はとても口に出来ませんでした。
 最愛の娘に会えないまま世を去らなければならないことをどれほど悔やんだことでしょう。とても安らかに眠ることなど出来ないでしょう。
 滋さんの胸中を思うとつらく、そして改めて自身の無力さも感じるのでした。
 しかし嘆いてばかりはいられません。自分の出来ることを少しでもしなくてはと思っています。