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TAKAGIYA

バスフィッシングトーナメントを楽しんでいる人のブログ

U.S.OPEN(2003年)参戦記

2015-04-03 23:58:07 | U.S.OPEN(2003年)参戦記

ホームページで載せていた参戦記をアップしました。カテゴリーを追加しています。(最新となるのが鬱陶しいので日付は2013年1月からとしています)
もう11年以上も前のことなので、このような文字に残っていることは貴重であると思うため、バックアップの意味も込めてこちらに残しておくことにしました。

アメリカでの3日間を通して行ったトーナメント。しかも砂漠の中にある湖ということで体力的に辛かったトーナメントでした。
しかも午後になると湖が荒れるのですが、あっちのトーナメンターは怯むことなく波に当たりにいき、、振り落とされないように必死でした。

今でも奥さんと話をすることがあるのですが、参加したいか?とワタシが聞くと、奥さんは「悔しいからもう一回出てみたい気もするけど、あれはさすがに辛い」という回答でした。気持ちはわからないでもありません。。(今思うと奥さんの参加はちょっと無謀だったかもなあ。。)

バサーカップで準優勝し、偶然にも出会った参加者の方たちと楽しく参戦することができました。
なんだか、修学旅行みたいな感じで、バスフィッシングのトーナメントを通じて楽しみをみんなで共有できたよい経験だったと思います。


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US.OPENは本当に参戦しやすいのか?

2013-01-11 23:21:44 | U.S.OPEN(2003年)参戦記

~参戦しやすいの?~
うちの奥さんでも参加できた、、と言ってしまいたいのですが、はたしてそうなのでしょうか?

私たちは、JTBの個人ツアーに便乗していく形でした。ツアーなので、はっきり言ってしまえば、道具を持って、言われたところに行って、釣りをするだけ。という環境でした。私たちは釣りに関することだけ考えていればよかったのです。それでも、参戦記に書いてあるように過酷でしたが。

しかし、一番大変なのは、「釣りをするところ以外」での話です。
飛行機を予約して、ホテルを取って、エントリーして、ルールを確認して、フィッシングライセンスを取って、、ぐらいだろと思っているかもしれませんが、もっと掘り下げると、レジストレーションはどこでやっているの?とか、フィッシングライセンスはどれを買えばいいの?とか、現地までの車の手配は?とか、さらにパートナーとはどうやって落ち合えばいいのか?などなど、それを1人でやるとしたら、不自由のない英語力がないとかなり大変だと思います。よく聞く話ですが、これは見ていて本当にそうだなあと思いました。(はっきり言って菅原さんがいないとどうしようもなかったと思います)

そういう点がクリアできれば、US.OPENは参戦しやすいトーナメントといえるのかもしれません。WON BASS自体も日本人ウエルカムという姿勢ですしね。西海岸ということもあり、アクセスしやすいところ、人種のるつぼと言われるカリフォルニアに近いことからアジア人に面識があるという点(勝手に思っているんですけど、場所によっては差別的なところもあると思うんですけど)もある気がします。
ある程度のアドバンテージはあるにしろ、US.OPENだからって参戦しやすいということはないと思うんですけど、皆様は如何お考えでしょうか?



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奥さんの努力

2013-01-10 23:20:30 | U.S.OPEN(2003年)参戦記

~努力の賜物~
TAKAGIYAを見ている人のほとんどはご存知かもしれませんが、私の奥さんはバスが触れません。バスフィッシングをやっている人だったら、そんな状況でUS.OPENに参戦するのは「ふざけた話だなあ」と思う人はほとんどだと思います。
もちろん、私もそう思っていましたし、奥さんも自らそう思っていました。
それだけではなく、ベイトリールも使えない、エレキもあまり踏んだことがない、という正真正銘の初心者(といっても釣ることに関してはけっこう釣りますが)です。
そんな状態だったので、バサーカップで準優勝した翌日は、「私はアメリカにいけない」とまで言い切っていました。
しかし、こういう形でUS.OPENに参戦が決まった以上、その権利を得たわけですから、私たちの責務は、しっかりUS.OPENに参戦して、それで終了させることだと思っていました。故に奥さんにはちょっとムリさせたと思いますが、それなりに努力をしてくれたと思います。

まず、奥さんはパートナーとの会話に向けて、英語の勉強を始めました。バイトの行き帰りに、自ら作った単語帳でひたすら覚えていました。英語を勉強するのは10数年ぶりだと思いますが、がんばっていました。もうひとつはベイトリールの練習。いろいろ事情があって釣りにはあまりいけなかったのですが、釣りにいくと必ず練習はしていました。(最終的には投げれるようになりましたが)あと、もうひとつは釣った魚を自分で処理する練習。どうしても魚を触るのがいやだったということで、GIJIクラブのみっしゅんさんからもらったプラスチックのプライヤー、ゴムの軍手などを使って、釣った魚をはずしたりする練習もしていました。

その努力が報われたかどうかわかりませんが、どうにか無事やってこれました。けど、今思えば、それらの技術の問題よりも、誠意をこめる方が重要ですよね。例えば、逆のことを考えてみてください。日本で行われるトーナメントで、日本語がしゃべれない、エレキが踏めない、ラウチングができない、つりがうまくない。ってノンボーターアメリカ人とパートナーにあたったんだけど、すごく協力的で、それなり協力してに魚を取るために、いろいろがんばってくれている人を悪く思うでしょうか?
もちろん、これらのことができるに越したことはないのですが、迷惑かけたくないからと、ネットで魚をすくう練習もしっかりしましたし、日本のおみやげなど買っていったり、、奥さんはそういう面でも努力したと評価したいと思います。



初日のパートナー、ゲーリー・ドビンスに2日目も”ミッコ”って声をかけられたとか。
US.OPENで初めてベイトリールを使ってバスを釣りました。。




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自由行動編

2013-01-09 23:16:30 | U.S.OPEN(2003年)参戦記

~表彰式終了後~
表彰式が終わり、結果はともあれ少し安堵しました。早くも気持ちは来年の出場へ。。とみんなは思っているかどうかはわかりせんが、腹ごしらえにとサンセットステーション内にある菅原さんおすすめのお店へ。
チキンをたくさん食べ、お腹も気持ちもいっぱいって感じでした。
とにかく、明日は自由行動、朝はゆっくり寝れるということなので、やっとラスベガスを満喫できるかなあと思いました。


表彰式終了後記念写真。(堀君サンクス)



~翌日の自由行動~
翌日は朝ゆっくりと睡眠。けど高木夫妻はなぜか9時前には目がさめてしまいました。やはり最終日なので帰りの荷物のことが気になり2人で荷物を整理していたら、あっという間にみんなと待ち合わせ時刻12時になってしまいました。

ファッションモール(だっけ?)というアウトレットモールにより、プラプラと。昼食を取りました。なかなか味はグット。
そのあと、各自自由行動になり、部長と私達2人はベネチアンホテルへおみやげを買いにいきました。といっても私達夫婦は特に買うものはなかったのですが、イケタニ部長が誰のおみやげかわかりませんがネックレスを購入。けど、このベネチアンは、ホテルの中に川が作られていたり、ゴンドラ(舟)があったりなどつくりはとても豪華。なかなか見ごたえがありました。

その後は、フリーモントストリートに。日曜の14時ぐらいに芸能人が出て観光する番組なんかでよく映されていますが、長いアーケードが電飾され、いろいろな画が映し出されるというもの。丁度9月11日のテロがあった日だったということで、曲名はわかりませんが、proud of Americaって感じの曲が流れていました。


フリーモントストリート。感動的でした。


菅原さん、キャメラの持ち方がプロです(笑)



晩御飯はMGMスタジオという総合的な規模で世界一ホテル内にあるレインフォレストカフェという洒落たレストランに。(もちろん菅原さんガイド)みんなでUS.OPENを振り返りながらイタリアンを平らげました。
ちなみにこのMGMスタジオのホテルは馬鹿デカく、ロビーから客室までいくのに30分ぐらいかかる部屋もあるとか。


~これだけでは終わらん~
私達の泊まっているサンレモはMGMスタジオから10分ぐらいのところ。徒歩で帰り、時間も10時ごろ。みんなは今日1日の疲れはおろか、トーナメントの疲れなども残っているのでしょう、部屋に戻りゆっくり休むことになりました。
しかし、No goodリーダー、No good 堀君、イケタニ部長、私達夫婦は、眠らないラスベガスと言われるこの地で私達も眠ることはないと言わんばかりに次のスポットへ。
そこはニューヨーク・ニューヨークといわれるホテル内にあるジェットコースターです。サンレモでクロークのおっさんにジェットコースターの営業時間を聞き、空いていることを確認すると一同はニューヨーク・ニューヨークに向かいました。
これがまた怖かった!高いところがあまり得意ではないので、出だしの、あのカタカタと登っていくところがとても恐ろしく、綺麗な夜景を拝むことなく終了。


自由の女神があるところがニューヨーク・ニューヨーク。右がMGMスタジオ



この時点で12時前です。明日は5時に起きなくてはなりませんが、あとは飛行機に乗り、帰るだけなので、まだまだ夜は終わりません。この後は、とりあえず部屋に帰り、出発の準備をしました。そのあとはサンレモ内のカジノへ。まだまだ夜は長いはずでしたが、、負けまくり、部屋に帰ることになっちゃいました(涙)ちなみにイケタニ部長と堀くんはほぼ徹夜でやっていたようです。

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トーナメント3日目編

2013-01-07 23:10:16 | U.S.OPEN(2003年)参戦記

~マイク・ボールドウイン~
「マイクは当りですよ!レッドマン(多分、FLWの前身)でも優勝しているし、昨日も8ポンドぐらい取ってきているんじゃないかな」と菅原さんに言われたそのパートナーは、マイク・ボールドウイン。昨年3位、一昨年は4位に入賞している実力派のアングラーです。

ラウチング前は、3日目にして慣れてきたからか、あまりテンションも上げる必要もなく、(自分のなかでは英語を話すとき、一段階テンションを上げなければはずかしくてはなせない(?))無難にこなしました。マイクはさすが一流プロで、いろいろな人から声をかけられてました。だからあまり話す機会もなかったんですけどね。

~オーバートンへ直行~
レイクに出て、スタートしたときに、今日はどういう釣りをするのかを聞くと、「トップとは6ポンドの差があるから、ビックフィッシュねらいだ。そうしないと優勝はムリだ」なんとなーく、嫌な予感がしました。マイクの選んだスポットは、予想通りオーバートンでした。初日のラスティーのときはいけなかったスポットです。
オーバートンはメインレイクからかなり外れた位置にあり、濁りが入っていて、カバーとなる細い立ち木群が複数あります。始めにちょっとした岬の横にある数本立っている立ち木(というより枝)を打ちました。そこはまだ、オーバートンの特徴と言える立ち木や濁りがそんなにないオープンなウォーターでした。
マイクは「昨日、良い魚をここで釣ったんだ」といい、クランクベイトを通したあと、スティックベイトをノーシンカーで落としていきます。そこでマイクはノンキーをヒット。

そのあと、そのさらに上流の立ち木群に入ります。そこで、スピナーベイトとスティックベイトを交互に打ちながら粘ります。ひたすらそんな釣りです。とくに書くこともありません。昼までつれませんでしたので(笑)私はほとんどスピナーベイト。時々朝入ったところに戻るもノーバイト。そしてまたこのエリアに戻ってくるという感じでした。

日も上がった時点でいまだノーフィッシュでしたが、やっとマークにヒット。
比較的痩せている魚が多いミードとは思えないお腹が大きな2ポンドのグットコンディションのバスでした。
結局その1匹で終了でした。
マイクはマジモードだったので、会話などはあまりできませんでしたが、やはり優勝を狙うといった姿勢は雰囲気で伝わりますね。

ウエイインの時は、マイクのアシスタントっぽく、魚を持ち、ウエイイン会場へ。会場で待ち構えていた菅原さんも「What's happen!!」と。けど、つり方がビックフィッシュ狙いの釣りだったので、結果はともかくしょうがないですよね。
マイクはグットフィッシャーマンだとはいってくれましたが、やはり釣って、貢献してそういわれたかったです。




3日目の結果です。トータル11ポンド35

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