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オッハー

2008-07-11 00:23:00 | 日記
オッハー、今日もガンバ!!

      今日は何の日


       7月11日                                                 世界人口デー



国連人口基金(UNFPA)が1990(平成2)年に制定しました。

1987(昭和62)年のこの日、地球の人口が50億人を超えたため、世界の人口問題への関心を深めてもらうことを意図したものです。

国連は、この日ユーゴスラビアで生まれた男の子を50億人目と認定しています

         *(コーヒー)*


 福娘童話集





        *(レター)*カッパのきず薬

むかし、武田信玄(たけだしんげん)の家来に、主水頭守清(もんどのかみもりきよ)という医者がいました。

 あるとき、ウマに乗って川を渡っていたら、ウマが途中で動きません。

「はて?」

守清(もりきよ)が下を見ると、川の中から黄色の長い腕がニューッとのびていて、ウマの足をしっかりとにぎっているのです。

「その手をはなせ!」
守清がどなりました。

それでもはなそうとしないので、腰の刀をぬき、その腕を切りおとしました。

動けるようになったウマは、いきおいよく川を渡り、むこう岸につきました。

ところが、ウマの足にはまだ腕がくっついたままです。

ウマからおりてよく見てみたら、どうやらカッパの腕のようです。

守清はビックリするどころか、ひどく喜んで、
「これはめずらしいものを手に入れたぞ」
と、その腕をウマの足からはずして、家へ持ちかえりました。


 さて、その晩のこと。

守清が寝ようとしていたら、こっそり部屋にやってきた者がいます。

なに者だ。名を名のれ!」
 守清は枕もとの刀をつかむと。

「カッパです」  「なに、カッパだと」

守清が明かりをつけると、なるほど、一方の腕をなくしたカッパがすわっています。


「なに用だ!」
「はい、じつは、わたしの腕を返してもらいに来ました。もう二度とウマの足を引っぱったりしませんから、どうか腕をお返しください」

「とんでもない。なんなら、その残った腕も切りおとしてやろうか?」

「そればかりはおゆるしください。もし腕を返してくださるのなら、日本一よくきくきず薬のつくり方を教えましょう。これがわたしのつくった薬です」

カッパは、貝がらに入った薬を見せました。

「ならば、この場で腕をくっつけて見せろ。できるか?」

「おやすいこと」

守清が切りおとしたカッパの腕を手渡すと、カッパはその切り口に貝がらの薬をたっぷりとつけ、もとのようにくっつけてしまい、腕をグルグルとまわしてみせました。

きずぐちを見てみると、もはやきずあともありません。

「なるほど、よくきくものじゃ。ひとつ、そのつくり方を教えてもらおうか」

「はい」

カッパは、薬のつくり方をこまかく話しました。

守清は、それを忘れまいとしっかり頭にたたきこみました。

すっかりうれしくなった守清が、
「ところでカッパ、いっしょに酒でも飲まんか」と、いって、酒をとりに行こうとしたとたん、ハッと目がさめました。

「なんだ、いまのは夢だったのか?」*(困る)*
 あわてて床の間を見たら、そこへおいておいたはずのカッパの腕がありません。

「そんなばかな」*(驚き)* 守清はビックリしてとび起き、縁側(えんがわ)へ出ました。
 すると、そこには水がこぼれていて、もみじの形をしたカッパの足跡が、テンテンとついています。

 次の日、守清はカッパに教わったとおりの薬をつくって、信玄のいる館へ行きました。

 そして、けがをしているさむらいたちに、この薬をつけてみるとどうでしょう。

 何日も苦しんでいた痛みがうそのようにとれ、きず口もたちまちふさがりました。

「なるほど、こいつはよくきくわい」*(キョロ)*

そこで守清は、信玄の家来をやめて薬屋になり、この薬に『カッパのきず薬』という名前をつけて売りだしたのです。

よくきく『カッパのきず薬』の評判はたちまち広まり、けがをした人が、全国から買いに来るようになりました。

おかけで店はどんどん大きくなり、守清がなくなったあとも、書き残された薬のつくり方によって、店は何代にもわたってはんじょうしたそうです。


   おわり


    *(チョキ)**(チョキ)*