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イライラと

2008-07-27 18:30:00 | 日記
イライラするほど暑い


    今日は何の日


    7月27日


   *(クローバー)*政治を考える日*(クローバー)*


1976(昭和51)年、ロッキード事件で田中角栄前首相(当時)が逮捕されました。ロッキード事件とは、アメリカのロッキード社が航空機の売込みの際に、日本の政界に多額の賄賂を贈ったとされる疑獄事件で、その年のアメリカ上院外交委員会で発覚し、田中角栄前首相らが逮捕されました。

スイカの日は他に載ってるからネ。 *(ニヤ)*


福娘童話集より


   *(レター)* 母親にばけたネコ*(レター)*


 ネコは年を取りすぎると、人間をかみ殺し、その人間に化けることがあるといいます。


 むかしむかし、あるところに、すっかり年をとった母親と、その一人息子がいました。

 とても親孝行な息子で、めずらしいものがあると、自分は食べないで母親に食べさせます。ところが、その母親が病気になりました。


 心配した息子は、なけなしの金をはたいて、高い薬を飲ませるやら、医者をよんでくるやら、それこそ夜も寝ないで看病にあたりました。

 おかげで、母親は元どおりに元気なからだになりましたが、ふしぎなことに、その時から母親の性格がガラリと変わってしまったのです。

 あれほどやさしかった母親が、子どものようにわがままを言いだし、せっかくの食事を投げつけたり、少しでも気にいらないことがあると、くるったようにおこり出します。

 そればかりか、生きものをつかまえてきて、水につけたり火にあぶったり、残酷なことも平気でします。


「おっかさん、なぜ、そんなことをする」

 息子がいくら注意をしても、こわい顔でにらむばかりで、ついには近所の人もこわがって、この母親には近づかなくなりました。

(はて、どうしたものか?)

 考えこんでいるうち、息子はふと気がつきました。

(もしかして、あのおっかさんは、ネコが化けたものでは)

 そういえば、思いあたるふしがたくさんあります。母親が寝ている時、知らないネコがやってきて、ジッとのぞいていました。


 それに、以前は大好きだったイヌをこわがります。

 そもそも、医者から助からないと言われたのに、どうして、あれほど元気になったのか。

 ほんとうは、ネコに食い殺されたのではないのか。


 そこで息子は、母親のようすをくわしく見ることにしました。

 ある晩のこと、母親は酒によいつぶれ、眠りこんでしまいました。

(おらのおっかさんは、酒なんか一滴(いってき)も飲まなかったのに)

 ふしぎに思いながら、母親の部屋をのぞいてみるとどうでしょう。


 母親の着物を着た一匹の古ネコが、行灯(あんどん)をつけたまま、いびきをかいて寝ているではありませんか。

(あっ! やっぱりそうだったのか。この、よくもおらをだましたな!)

 息子は刀を持ってくると、いきなり部屋の戸を開け、中へとびこむなり古ネコの胸へつきさしました。
                 *(ニヤ)*

「ギャオオオーッ!!」

 古ネコは鋭い悲鳴をあげ、そのまま動かなくなりました。

 ところが、よくよく見てみたら、古ネコではなく、母親が胸から血を出して死んでいたのです。

「し、しまった」

 息子の顔はまっ青です。
      *(青ざめ)*

 いくらひどい母親でも、殺すなんてとんでもない。

「どっ、どうしよう?」

 息子はしかたなく、近所の人をよんできて、わけを話しました。

「親を殺すとは、おら、もう世の中に顔むけができない。役人につかまる前に、腹を切って死ぬから、あとのことをよろしく頼みます」

 すると、その中の一人が言いました。

「まて、早まってはいかん。ネコは一度人間に化けると、死んでもなかなか正体を現さないと言うじゃないか。それを確かめてからでも、おそくないはずだ」

「そうとも。あんなおっかさんなら、わるいが、だれだって殺したくなるさ。わたしも、そうしていたかもしれない。それに、おまえさんの言うとおり、古ネコがおっかさんを殺して化けていたかもしれないよ」

 しかし、死んでいるのはまちがいなく母親です。

 息子は、もうすっかり死ぬ覚悟ができました。

 それでもみんなの言うとおり、夜明けまで待つことにしました。

 息子も近所の人も、まんじりともせず死骸(しがい)を見守りました。

 よくやく、東の空が白みはじめたころ、死骸の顔が、だんだんとネコの顔に変わりはじめました。

「おう、ネコの顔になったぞ!」

 顔ばかりか、着物から出ている手足もネコの足になりました。

「よかった。よかった」

 近所の人も息子もホッとして、思わず手をにぎりあいます。

「それにしても、この化けネコをどうしよう?」

 母親を殺したにくいネコです。

 やつざきにしても気のすまないところですが、どんなたたりをされるかもしれないので、てあつくほうむることにして、寺へ運んでいきました。

 その後、母親が寝ていた部屋の床下をさがすと、ネコに食われた人間の骨が出てきました。

 息子はその骨も寺へ持っていき、あらためて母親の弔いをしてあげたそうです。


         *(びっくり2)* おしまい*(びっくり2)*








今晩は。

2008-07-26 19:22:00 | 日記
今晩は、暑いですネ。   *(退屈)*

今朝は梅干しでした、美味しそうな色具合や柔らかい大きな実に汗をカキながらの炎天下でひっくり返す作業を3時間置きにしてました。

甘酸っぱい香りの作業ですから苦になるどころか皮が破れない様にクルクル、と返すのが楽しく

気持ちは誰それさんにプレゼントを考えてたら数が少ないのに気づき、来年はもう少し多くの梅を漬ける計画中です。

明日もまた朝から梅酢に戻した梅の天日干しです。

可愛い梅干し入れの容器をパートーナーが買ってきました、*(ジロ)*  珍しい事ですから、明日は雨かも

       *(コーヒー)**(コーヒー)*



    今日は何の日
  
    7月26日   *(クローバー)*幽霊の日*(クローバー)*



1825(文政8)年、江戸の中村座で「東海道四谷怪談」が初演されました。東海道四谷怪談(通称「四谷怪談」)は、浪人民谷伊右衛門に毒殺された妻お岩の復讐話です。

 不義密通をはたらいた男女が殺され、戸板に縛られ神田川に流されたという実在の事件をヒントに四世・鶴屋南北が作った話です。



        *(レター)* 昼間の幽霊 *(レター)*

福娘童話集より

女房に死なれてから、ずっとひとりぐらしの男がいました。

 ある日、昼めしを食べていると、おぜんのむこうに、白い着物を着た青白い顔の女の人が、

「ヒューッ、ドロドロドロー」と、あらわれました。

「ひゃー! 出たー! お助けー・・・あれっ?」


 よくよくみますと、それは、ずっと前に死んだ、男の女房ではありませんか。

「かかあ・・・。おめえか? おめえだな。これ、なんで今ごろになって、ばけてきたんだ」と、ききますと。


「おまえさん。・・・長いこと、長いこと、おまえさんにあわないので、・・・あいたくて、あいたくて、つい、でてきました」

「そうか、そいつはうれしいねえ。しかし、それにしたって、おまえもせっかちな女だな。ゆうれいなんだから、夜まで待てばいいじゃないか」

と、いいますと、女房のゆうれいは、こわそうにみぶるいして。


「よっ、夜にだって。・・・おお、おそろしい。おまえさん、あたしがこわがりなのを知っているだろ。もし、夜に来て、ゆうれいにでも出会ったらどうするんだい」


   *(びっくり2)* おしまい *(びっくり2)*







今晩は。

2008-07-25 21:23:00 | 日記
今晩は、 暑いですネ。   *(ニヤ)*

夏は暑いものですから、壱に辛抱、2にオジェジェです。   *(ニヤ)*

ですから、私は一の辛抱ですよ、  *(泣く)*

今朝のラジオからのオヤジギャグを聞いて笑ってたら、   アホくさ、と言われた。    *(ジロ)*


「 日用品を今日の金曜日に買いに行く 」


         *(チョキ)*


      今日は何の日

      7月25日 *(クローバー)*かき氷の日*(クローバー)*



日本かき氷協会が制定しました。夏氷(かき氷のこと)の日とも呼ばれています。

 「な(7)つ(2)ご(5)おり」の語呂合わせに加え、1933(昭和8)年のこの日、フェーン現象によって、山形市で日本最高気温の40.8度が記録されたことにちなんでいます。

         *(コーヒー)**(コーヒー)*


福娘童話集より



 *(レター)* 山の中のネコの家 *(レター)*

むかしむかし、あるネコ好きのおばあさんが、一匹の三毛ネコを手に入れました。

 ネコは年を取って、しっぽの先が分かれるようになると、化けるというので、おばあさんは三年ごとに区切って飼うことにしました。

 初めの三年間がアッというまに過ぎ、三毛ネコはすっかりおばあさんになつきました。

 そこで、また三年間飼うことにして、自分の子どものようにかわいがりました。六年たっても、まだしっぽの先が分かれていないので、もう三年間飼うことにしました。

 九年も過ぎると、さすがにネコも元気がなくなり、しっぽの先が分かれはじめます。


 そこで、おばあさんもやっとあきらめ、ネコを手ばなすことにしました。

「ようがんばった。困ったことがあれば、いつでももどっておいで」

 おばあさんは、ネコのために赤飯をたいて食べさせ、にぼしのつつみを首にかけてやりました。

 家を出たネコは、名ごりおしそうに何度もふり返っていましたが、やがて姿を消しました。

 それからというもの、おばあさんは、さみしくてしかたがありません。別れたネコのことを思うと、新しいネコを飼う気がおきません。

 何年か過ぎたころ、おばあさんは一人で、お遍路(おへんろ→空海という、有名なお坊さんが修行した、四国の八十八箇所を巡る旅)の旅に出ました。

 ところがある日、山でまよってしまい、帰り道がわからなくなったのです。

 行けども行けども、深い森で、ついに道もなくなりました。


 そのうちに、あたりがだんだん暗くなり、動くこともできません。(こまったことになった)

 おばあさんは、どっとつかれが出て、おなかがすいてきました。

 でも、食べるものはありません。

(このまま、ここでのたれ死にするのか)
 そう思うと、くやしいやら、なさけないやら。

 だからといって、いまさらジタバタしても始まりません。

 おばあさんはあきらめ、ドカッと腰をおろしました。

 するとその時、向こうに小さな明かりが見えたのです。

(こんな山の中に、どうして家が)

 ふしぎに思いましたが、とにかく明かりの方へ行くことにしました。

 近づいて行くと、一人の女の人が、風呂場のかまどにまきをくべています。

 おばあさんは、その女のそばへ行き、
「道にまよって困っている。今夜ひと晩泊めてもらえぬか」と、いいました。

 女は顔をあげたとたん、うれしそうにさけびます。

「あら、まあ! これは、なつかしい。おばあさん。わたしは、おばあさんの家にいた三毛ネコです」

「なに、おまえが、あの三毛ネコだって」


 おばあさんが、よくよく女の顔を見たら、なんと、自分のかわいがっていたネコではありませんか。

「ほんとだ。どこへ行ったのかと心配していたが、無事でなによりじゃ。ところで、この家にはだれが住んでいる?」
 おばあさんがたずねたら、ネコは急にまじめな顔になり、

「ここは、恐ろしいネコの家で、年をとってしっぽの先が分かれるようになると、みんなここへやってくるのです。どのネコも化けることができ、人間を見つけると、すぐに食い殺してしまいます。

せっかく会えたのにざんねんですが、みんながもどらないうちに、早く逃げてください」

と、言いました。

「なんと・・・」


 おばあさんは、青くなってふるえだしました。

「でも、おばあさんはわたしをとてもかわいがってくれました。だから、なんとか助けたいのです。わたしが案内しますから、ついてきてください」

 そう言っているうちにも、

「ニャーオン、ニャーオン」

と、ぶきみなネコの鳴き声が近づいてきました。

「ささっ、急いで!」

 ネコはおばあさんの手をとると、鳴き声とは反対の方へかけだします。しばらく行くと、大きな竹やぶの前に出ました。

 すると、ネコが立ちどまって言いました。

「この竹やぶをくぐると、すぐ向こうに道があります。その道をおりて行けば、下の村へ出られます」

「ありがとう」

 おばあさんはお礼を言って、竹やぶにとびこみました。竹やぶの向こうに道があって、おばあさんは無事に下の村までたどりつくことができたそうです。


  *(びっくり2)* おしまい*(びっくり2)*







       

梅干の時期が

2008-07-24 22:41:00 | 日記
梅干の時期がきました、 土用の丑の日です。    *(笑顔)*

3時間程干したらクルクル、と回して均等にする様ですから明後日の土曜日です、朝陽が当る様に願うのみです。

大きな梅ですから、手の平に乗せたら *(驚き)* 

いい仕事してますネー、と言われる様に頑張らなくちや。   


       *(チョキ)*


     今日は何の日


     7月24日 *(クローバー)*劇画の日*(クローバー)*



1964(昭和39)年、青林堂が劇画雑誌「ガロ」を創刊したのがこの日です。白土三平の「カムイ伝」をはじめ、水木しげる、つげ義春などが登場し、大人向けの劇画ブームの火付け役になりました。



       *(コーヒー)*



    *(レター)*こぼし石*(レター)*

三重県の民話

むかしむかし、普門寺(ふもんじ)という寺に、カッパが住んでいました。

このカッパはお寺の小坊主よりもずっと小さかったので、「こぼし」という名前が付けられていました。

 このこぼしは髪を長くのばし、頭の上の部分だけはげになっているので、誰が見ても一目でわかります。

 カッパは頭のはげの部分がぬれていて、もしこの頭の水がなくなってしまうと死んでしまうので、いつも海や川に行って泳いでいました。

 さて、この村にはウマを飼っている家が一軒しかありません。村の人たちはこの一頭のウマをめずらしがって、たくさんの人が見に来ていました。


 ある日の事、こぼしもウマを見に行きましたが、ウマはこぼしのほうに尻をむけて知らぬ顔をしています。

 そこで、こぼしは、

「なんだ、おれが来たのに知らん顔をするとは、けしからんではないか!」と、いって怒ると、ウマは、「なんだ、普門寺に住むカッパか」と、尻をむけたままいいました。


「そうだ、おれはこぼしだ。少しはこちらをむいたらどうだ」

と、いうなり、ウマのしっぽをつかんで
「このウマのやつめ!」

と、引っぱったので、おこったウマは後ろ足でこぼしをけりつけたのです。

 けられたこぼしは転んだひょうしに、たいせつな頭を地面にぶつけてしまいました。


 するとたちまち、水がポタポタと流れおちます。

 こぼしはあわててお寺へ帰りましたが、頭のくぼみはすっかりこわれてしまい、自分ではなおすことができません。

 こぼしはどうしたらよいだろうと考えているうちに、海岸の遊び場にある、二つの石の事を思いだしました。

 こぼしはこの石をお寺の前まで運んで来て、この石をこわれたくぼみの上に重ねておきますと、たちまち傷はなおって、すっかりもとの頭になっていました。

 これを見ていた、お寺のお坊さんが、「なんともけっこうな石じゃなあ。これはきっと万病(まんびょう)にきくから、ぜひ一つ残していってくれ」
と、いいました。

 そこでこぼしは、一つはお寺に、もう一つはもとの海岸にかえしました。

 さて、お寺に残された石は、水がなくなりそうになると不思議な事に、
「水がほしい、水がほしい」と、いうのです。

 この石に頭から水をかけてやると、喜んでお礼をいいました。

 お寺に一つ、海岸に一つあるこの石を、いつの頃からか「こぼし石」と呼ぶようになり、水難よけの守り神として、人々は毎年お礼をいただくようになりました。

 それは、このカッパが石となって、いつまでも生きているからだという事です。


   *(びっくり2)*おしまい*(びっくり2)*








今晩は。

2008-07-23 21:24:00 | 日記
今晩は、 *(笑顔)*

今年の暑さに老体はムチ打ってもギブアップ寸前です。

釣行に行く場所が今日の日本一の酷暑でした、なんと、38、5℃でした、体温より高いから大変ですネ、

私の方も連日の猛暑です夜の方も連日の熱帯夜ですからバテバテのバテ気味です。

小さい秋を一緒に見つけに行く人を募集したい位ですネ *(ハート目)*


        今日は何の日


        7月23日 *(クローバー)*米騒動の日*(クローバー)*



1918(大正7)年のこの日、富山県魚津町の港で起こった米騒動は全国に波及し、ついには軍が出動するほどの騒ぎになりました。

当時、米の買い占めで米の値段が高騰していたという背景がありますが、ことの発端は漁師の妻たちの井戸端会議だった
といいます。

               *(爆弾)*



*(レター)*ウマのしりにおふだ

むかし、ある、いなかの村に、せけんしらずの、むこさんがいました。

 ある日、嫁さんの家から、「ざしきをつくりかえたので、みにきてくれ」
と、つかいがきました。

 むこさんが出かけようとすると、嫁さんが、

「ざしきのできばえを、いろいろほめてから、もし、柱にふしあなでもあったら、そこに、おふだをはるようにいいなさいよ」と、かしこいことをおしえました。

 むこさんが、嫁さんのうちのざしきのできばえをほめてから、ふしあなをさがすと、柱の目立つところに、大きなふしあながありました。

そこで、

「あのふしあなには、おふだをはるといいでしょう」と、いいました。

 すると、嫁さんのうちのひとたちは、
(ひょうばんより、かしこいむこさんだわい)と、よろこびました。

 それからいく日かして、

「今度は、ウマをかったので、みにきてくれ」嫁さんのうちから、つかいがきました。


 むこさんは、嫁さんから何もおしえられずに、飛び出していきましたから、このあいだと同じことをいうつもりです。

 むこさんが、ひととおりウマをほめてから、よくみまわすと、しりにあながあいています。

 むこさんは「しめた!」とおもって、
「おや、ここにも、大きなふしあながある。おふだをはるといいでしょう」と、いったものだから、かしこくないことが、いっぺんにばれてしまいました。


*(椰子)*おしまい*(椰子)*