「無限と選択公理:前編」で、以下のような問題を出題しました。
命題AC
【無限個の(空でない)集合の中から要素を1つずつ取り出して、新しい集合を作る事が出来る】
は正しいか、間違いか
まずは答え合わせから入りましょう。
正解は・・・
わかりません!!!!
…いや、本当にわからないんです。アライの頭が悪いからわからないとか、そういうことでは無くいんです。
アライの頭がおかしくなったのかと思う人もたくさんいると思います。でも、アライの頭がおかしくなったわけでも、皆さんの頭がおかしくなったわけでもありません。
順を追って説明して行きます。
この命題ACには選択公理(axiom of choice)という立派な名前がついています。故に、その頭文字をとってACと書く事が多いです。
数学の記号を使ってそれっぽく書いてみますと となります。これは無視して構いません。
選択公理で大切な事は、無限個の集合から、何らかの選択の順序や方法を決める事無く一斉に要素を取り出す事は可能であるか、ということです。
それではこの選択公理が成り立つか成り立たないか、という話に移りましょう。
昔の数学者にとって選択公理(このときはまだ公理ではありませんが)は至極当たり前の事でした。皆さんが思っているように、選択公理は成り立つという考えのもと、集合論という土台から数学を組み立てて行きました。
ここで、この選択公理に注目する数学者が現れます。「本当に選択公理は正しいのか?」という疑問が数学界を走り抜けます。
しかし困った事に、既に現代数学(特に、公理的集合論)は選択公理が成り立つと仮定されたもとで組み立てられてきました。故に、選択公理が成り立たないとなると、今までの研究は全て間違っている事になってしまうのです。
つまり数学者は、知らないうちに選択公理という不確かな地盤の上に、現代数学という超高層ビルを建てていたのです。地盤である選択公理が崩れれば、何十年もかけて作ってきた現代数学も崩れ落ちるのです。
これは大変!ということで、数学者たちは選択公理の真偽を確かめる研究を始める訳です。
研究を続けた結果、選択公理との戦いに決着を付ける結論を得ました。
驚くべき事に「選択公理は、正しいとも、間違ってるとも示すことが出来ない」ということが証明されたのです。
言い換えれば、選択公理はその時点の数学では"証明も反証もできない"ことが証明された訳です。
この結論こそが、選択公理が公理たる所以、とでも言いましょうか。(細かい話は今回は抜きにして、公理についての話をした後にしようと思います)
「 これは排中律に反するんじゃないのか」と思う方もいるかもしれません。「排中律では『全ての命題は真か偽のどちらか』なので、選択公理はそのどちらにも当てはまらないのではないのか」と。
しかしその心配は無用です。選択公理はあくまでも、「正しいか間違いかが証明できない」だけであって、「正しいでも間違いでもない」というわけではありません。
”証明できないこと事が証明されている例として、連続体仮説というものもありますが、これは予備知識がもう少し必要なので今回はパスします。
”証明できない”ことが証明されるとは、何とも不思議な感じですが、”証明できない”という事さえも証明してしまう数学の力強さも感じられます。
無限個という言葉を含んでいる選択公理は、"証明も反証もできない"という結論を突きつけてきました。上の連続体仮説も、無限個という言葉を含んでいます。
この結果が表すのは、我々人類がまだまだ無限という概念を完全に理解するにはほど遠い存在だという事だと、個人的に思ってます。
数学は人間が作り上げてきたと思うのが普通かもしれません。しかし数学を勉強すればするほど、数学は神様が創った物で、人類はそれをなぞっているに過ぎないと思うようになります。
選択公理や連続体仮説を証明する事が出来る土台(公理系)を作り上げたとき、人類は神様に近づくのかもしれません。