風に吹かれて、気の向くまま

人生折り返し地点を過ぎた下町男の思いつき。

15 日暮里諏訪の台

2007年01月27日 | 今昔 江戸名所百景 
15 日暮里諏訪の台

この絵は、諏訪神社境内に咲いた満開の桜の下で、花見をしながら眼下の景色を楽しんでいる様子を描いている。
崖下には日暮里村の屋根が見える。





諏訪明神社が鎮座していた辺りの台地を諏訪の台と呼んでいた。
この台地から当方の一帯に広がった低地を一望出来たので、
太田道灌がここに江戸城の出張りとしての砦を築き、諏訪神社を鎮守の神として祀っていた。

低地一面は田圃や畑で右手に浅草・三河島・尾久等の集落があり
遠方には荒川や利根川(現 江戸川)が流れ、地平線の果てには筑波山や日光の山々までが見えたという。

諏訪の台辺りは、桜の名所でもあり、近隣の寺院は競って庭に林を植えたので
四季折々の花が咲いていた。



現在は、畑や田圃だった所はコンクリートの建物が豊作。
浅草を望む事も荒川、隅田川を見る事は出来ない。
変わらないのは、神社とその境内だけか…?





『諏訪台』
諏訪台は、縄文・弥生時代から人々が生活を営んでいた場所であり、景勝地としても知られている。江戸時代、四季折々の景色を楽しむ客で大いに賑わった。
安藤広重の『名所江戸百景』の中にも諏訪台の春の景色が描かれている。
「土器(かわら)投げ」という遊びが流行し、「花の散るたびに土器それるなり」など川柳も詠まれた。

『諏訪神社』
信濃国上諏訪社と同じ建御名方命(たけみなかたのみこと)を祀る。
当社の縁起によると、元久2年(1205)豊島佐衛門尉経泰(としまさえもんのじょうつねやす)の造営。
江戸時代、3代将軍家光に社領5石を安堵され、日暮里・谷中総鎮守として広く信仰を集めた。 
旧暦7月27日の祭礼では、囃屋台・山車をひき、まわし神輿渡御が行われた。
神田芋洗橋まで担ぎ、そこから浅草・隅田川を経て、荒木田の郷までお神酒を供えて帰座した。
拝殿の脇には元禄12年(1699)銘・元禄14年(1701)銘の灯籠型の庚申塔が並んで建てられている。
荒川区教育委員会の看板より引用

 


このすぐ近くに、今でも富士山が見える富士見坂が有りました。
当日はあいにくの曇り空で、富士山を拝む事は出来なかった。
チャリで登ったら、結構足にきた…運動不足を実感。




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