

兄さん、この野菜を如何されるのですか?」
和久の考えが理解出来ずに聞く昌孝。
「昌、お前なら如何する?」
逆に聞かれた昌孝は、暫く考へ込んでいた。
「野菜サラダか、ジュースですか?」
自信なさそうに答えた昌孝。
「そうや! 昌、この野菜は宝の山や! 三種類のドレッシングを作って、女性客の心を掴むのや! それから、厨房に入ったらワシの側に居って、補佐をするのや! ええなぁ!」
「はい! 兄さん……」
厨房に入った和久は、持ち帰った野菜でサラダを作らせ、昌孝の目の前で和洋中華三種類のドレッシングを作って見せた。
また、サラダに使えない野菜は、蜂蜜を使ったジュースとして使った。
「昌! 此れを女将さんに試食して頂け……」
昌孝が持って来たサラダとジュースを試食した千恵子。
「美味しい! 其々に違った味が楽しめて女性が喜ぶ味ですねっ……それにジュースも野菜の味がして美味しい……」
「はい! 此れを大きめの器に入れて、食事に付けるそうです……お代わりは自由で……」
話を聞いた千恵子は、改めて昌孝を託した事を喜んだ。
厨房に戻って来た昌孝に、千恵子の意見を聞いた和久。
「昌、此処にワシが作ったドレッシングの材料が有る! 同じ物を、お前も作ってみい……」
手始めに、ドレッシング作りを命じた和久。
仕事が終り、誰も居ない厨房で黙々とドレッシング作りをする昌孝の姿! 何回も作っては遣り直す昌孝……五ヶ月と言う限られた時間の中で、和久の調理を会得しようと、明け方まで精進する昌孝……それを陰で見守る和久が居た。
千恵子は和久の姿に、涙を流して手を合わせた。
和久が厨房に入り三カ月が過ぎた……その頃から、笹の家は満室の状態が続き、宴会に至っては三カ月待ちの状態が続き出している。
昌孝の精進も並みの事ではなく、太閤楼の料理長である小竹 正晴に匹敵する位の腕になっていた。
和久は最後の試みに、昌孝を誘って朱美の店に行く……店は相変わらずの満席だったが、朱美が席を作ってくれた。
閉店が近付き誰も居なくなった頃、前で飲んでいた女将を見る和久。
「小母さん、済みませんが煮込みの持ち帰りは良いですか?」
帰り間際に、持ち帰りが出来ない事を知っていて頼む和久。
和久の心情を察した女将は快く承諾して、朱美に持ち帰りの用意をさせる。
「昌! 此の煮込みと同じ物を作ってみい……味に対して謙虚に成らんと出来んぞ!」
「はい! 兄さん……」
和久の意図が分からないままに返事をした昌孝。
再び味に対する挑戦を始めた昌孝……試行錯誤を繰り返しながら、寝る間も惜しんでの挑戦である。
一週間が過ぎようとした夜も、厨房に昌孝の姿が有った! 昌孝は出来ない苛立ちの中で(味に対して謙虚に成れ!)と言った和久の言葉を思い出して噛み締めた。
次の日、千恵子と献立の打ち合わせをしている所へ、昌孝がドアをノックして入って来た。
和久の前で正座をした昌孝。
「兄さん! 申し訳有りません……私には出来ません!」
昌孝を見て、少し笑みを浮かべた和久。
「昌! 何で出来んのやっ!」
「はい! 似た様な味には出来ますが、あの煮込みは注ぎ足しては煮込みを繰り返して出来た味だと思います。 兄さん、申し訳有りませんが力不足です! すみません……」
土下座をしたまま詫びる昌孝。
会話をする二人を心配そうに見ている千恵子。
「昌、よう言うた! その通りや……あの味は誰にも作れんのや! ああして出来た味も有ると言う事を忘れるなよ! 味に対する謙虚な気持ちを忘れるなよ!」
我が事のように喜び、手を差し伸べて昌孝を立たせる和久。
立ち上がった昌孝は、一礼をして和久を見詰めた。
「はい、兄さん! ありがとうございます……生涯、肝に銘じておきます」
昌孝の決意を聞き、嬉しそうに微笑む和久。
「女将さん、もう私が教える事は何もありません……後は昌の精進だけです! 今の昌は太閤楼の料理長にも匹敵する力を付けて居ります! 最後の仕事が終ったら料理長にしてやって下さい」
「最後の仕事?」