老人の寝言

頭の体操

入梅

2012-06-11 10:35:29 | 日記・エッセイ・コラム

入梅になったか 空がどんよりして時々雨が来る、 この前も書いたが 昔の入梅はいやだった やたら其処ら辺がじめじめして気色が悪い、 当時はエアコンなど無い 乾燥が悪い そこらじゅう黴が生える、 

食べ物は腐りが早い 終戦後のサツマイモの入ったご飯などお昼には もう匂いがでる、 こんな時代もあったのだ 今の方には想像も出来ないだろうが本当の話だ、 それだからこの時期は特に食べ物に注意する、 食べ物がねがるという言葉は方言だろうか 食べ物が腐敗することをいう、 完全に腐ってしまった状態でなく すこし傷んできた時にこの言葉を使ったような気がする。

勿論冷蔵庫など普通の家にはない、料理屋さん魚屋さん位しか無かっただろう 高級住宅には有ったかも知れないが私は知らない、 従って生ものは随分気を付けたものだ、 腹を壊しても正露丸での手当てが精一杯の処置だ、 後は村に一軒だけある医師の往診だけだった。

子供が夜中に熱を出した 氷がない(あたりまえ)、隣町の製氷所まで雨の夜中に自転車で買いに行ったのを覚えている、 傘は差してもうまくは走れないから 最初から傘なしだ、 片道一里余の砂利道を夢中で走ったのを思い出す、 

それを思うと今は極楽だ 何処の家にも冷蔵庫がある 手を延ばせばすぐに間に合う、 エアコンの乾燥が効いているから 黴の発生は余程不衛生にしない限りまず大丈夫だ。

飲み水さえ小川の水で賄っていた時代があった、 家は幸い井戸があったが 井戸の無い所は朝早く起きて川の水が綺麗なうちに汲み置きをしておく、 これが朝一番の作業であった、 従って疫病が流行ればその辺一帯に発生する 生活用水だから洗濯やその他の洗い物は全部ここの川でする、 今ではマーケットで水を買って飲む 考えてもいなかった時代が来た。

今思えばよくも病魔に逃げおおせたと思う、 私が小学校入学前に妹が赤痢で亡くなった、 子供心にも悲しかった 三才であった、 今なら死なずに済んだものを 小さな子供だ 何か口に運んだのであろう、

今では衛生観念が進んでいる、 100% 滅菌して 使用日まで記入してある、 放射能被害から一段と喧しくなった、 少し遣りすぎではないかと思うぐらいだ、 少々のことでは罹病しないのは昔の話になってしまっている、 今は滅菌装置の中で生活しているのだ、これでは体が微弱になってしまっていないか、 ちょっと心配である。


コメントを投稿