老人の寝言

頭の体操

花見

2016-03-30 10:48:44 | 日記・エッセイ・コラム
このmansionの裏側は先年まで有料道路だった、それが無料になり途端に交通量が増えた、その前は暴走族の格好の専用道路だった。

この道路の両側は桜が綺麗に咲く、部屋から裏側に出ると満開の季節には、綺麗な染井吉野が暫くは見られる。 まだ今年はちらちらとしか見れない、気温が高かったり 低かったりと安定していない、

その所為か今年は未だ満開とはいっていない、ここで面白い事が起こっている、道路の南側と北側で咲き方に差があるのだ、北側の方が早く咲き、南側の方が遅いのだ、従って北側はもう満開である。

これはどうした事か、私には分からない、今朝もこれを書いている、ネタが見付からない、何かと探している内に桜がちょっと見えた、これを見ながらのblogである。 100才以上の人が6万人になったと出ていた、

私は未だ10年はある、だがこの内容だ、入院して介護に頼った人まで入れてこの数か、そこの所をはっきりして欲しい、健常者のみでしたら長寿国と言ってもいいが、入院患者までいれてなら、余り誇れない。

介護が進み公的資金での長寿だったら 話は別だ、曲がりなりにもご自分で歩きご自分で食事が採れれば万々歳である、そこら辺の統計の取り方も附記して頂きたい。 公的資金での長生きは私は好まない。

昨日も宅配弁当のことを書いたが、かなり大手でも配達区域になっていない地区がある、これは今後の問題として考えて欲しい、政令都市となっても田舎は田舎だ、配達区域には入れないのだ。 差別ではないか、

around hundredということ言う言葉が見付かった、どう解釈したらいいのだろう、100才前後とでも言えばいいのか、こんな言葉が簡単に言えるのは 最近まで考えていなかった、長生きになったもんだ。

世界一の長寿国となった、だが中身が問題だ、周りに世話にならないようならば ご立派だ、寝たきりでは長寿と祝ってあげれない、

厳しい見方だろうが、介護の資金を国に頼っているのでは、国家予算に穴が開く、ここを修正しないと膨大な国家予算を組まなければならない。 何もかも国に頼るのは も少し余裕が出来るまでは、遠慮したらどうだろう、国の金庫に余裕が出来るまでの辛抱だ。

自分が年食って 初めて分かるのだ、老人が年と共に増え医療費もがドンドン増えていく、国に余裕がある時ならばいいが、昨日のTVをみていても、かなり無理した予算を組んでいる、介護の費用は自分で賄おう。

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