蒸し暑さから涼しさに変わりましたね。
体が付いて行かず、風邪です。
ので、結構簡素になってしまう訃報なのですが残念です。
テレビやネットでは大々的にニュースとなっている
大相撲元横綱、輪島大士が咽頭癌で亡くなりました。
享年 70。
やはり昭和の大横綱としての知名度の方が圧倒的に高いですが
私は親方辞め、借金返済で全日本プロレス入り、
こちらの方が私のリアルタイムでした。
大相撲時代の後輩、石川孝志に相談し、そして馬場・全日本入り。
パットオコーナー、ネルソンロイヤル、ザ、ファンクス等、
プロレス界の巨大レジェンド達の英才教育を受けアメリカでデビュー。
当時、オコーナーの所で指導受けている輪島の姿をプロレス誌で読みました。
で、故郷、石川県七尾市体育館での日本デビュー戦は
当時スペシャル番組でゴールデンタイムで放送されました。
相手はタイガージェットシン。
私は「シンなんて極悪人ぶつけて大丈夫なんだろうか?」という不安が。
試合はシンのライフファイトでやられっぱなしの輪島が
反撃した所から日本中大盛り上がり(???ウソです)
少なくとも、当時の私はそうでした。
シンも投げたジュラルミンケースが馬場の頭に当たる等、有りましたが
輪島デビューにしっかりした仕事をしました。
輪島大士VSタイガー・ジェット・シン 88'Jun Hiroshi Wajima vs Tiger Jeet Singh
で、連日連夜、輪島をメインイベントにTVを放送し、最初は盛り上がっていたものの
やはり38歳の大横綱がプロレスの奥深さを表現するのには硬すぎる。
段々プロレス放送への批判が強まり、新聞のTV書き込み欄では
「輪島ばかりのプロレス中継がつまらない」という声が大多数となりました。
力道山時代のプロレスを生で観て(鳥取市)「つまらん!」と酷評して
試合中に帰ってしまった祖父と祖母と一緒に輪島の試合をTVで観たのですが
シングルマッチでアブドーラザブッチャーと対戦した輪島はボコボコにされてしまいました。
それを観て大喜びした祖母・・・・。コレも現実なんでしょうね。
あの時はブッチャーが物凄く強く、輪島が弱弱しく見えました。
リックフレアーに挑戦したNWA戦とか高待遇は続きましたが
当然体にガタは出てくる訳で。
横綱を悪く言う人間と輪島に対してのイラつき(こんなモンじゃない)という
怒りと全日本プロレスの体質に不満を抱いていた大相撲出の
天龍が天龍革命を起こし、輪島をレスリングシューズで蹴りまくる、
それを堪える輪島の姿に脅威を感じた前田日明。
ソレが後、新日本内での前田暴走へと繋がったかもなんですが、
輪島も相当悔しかったそうですね。
横綱の強さを引き出そうと天龍はリンチ状態。
そこで、大反撃した試合が有ったそうですね。
徹底したリンチの後、硬い輪島が天龍に張り手を見舞いまくって反撃した試合。
酷評が出た馬場から絶賛のコメントが出たと。
怪我も含め、後輩石川孝志と一緒に、たった2年で引退してしまった輪島。
一緒に石川まで引退したのは驚きましたが、
たった2年とは云え、私には内容の濃かった2年ですね。
国技である大相撲の横綱まだ張った男への酷評より
長州やカブキを始め、間近でプロレスに真剣に取り組む輪島を見て
評価している人は少なくありません。
私が最後に観た輪島の姿は、とんねるずの番組で観た
アメフトのコーチをしている会社帰りの輪島の姿でしたな。
以下、他の方が詳しくブログに書かれていた部分を引用されて頂きますが
プロレスと人生が似ている、と言われる横綱輪島の言葉が
とても深いですな。
ご冥福をお祈りします。
「結局、輪島=横綱なんですよ。相撲から始まって、そこからプロレス
。馬場さんの哲学を学んで、そして第三の人生として一般社会でいろんな勉強をして、
今現在がある。
(中略)
生きていく中でいろんな出会いがあって、僕は幸運な男なんです。面白い人生ですよ。
輪島の人生は波乱万丈なんです。
他の人の人生の何倍かを生きてきたっていう感じがするね。
まぁ、それには感謝ですよ。疲れたけど(苦笑)。
僕の人生の1ページ目はもちろん相撲、2ページ目がプロレス、
一般社会の中で社会人としてやっているのが今の3ページ目ね。
(中略)
プロレスにしても期間は2年間かもしれないけど。
相撲とはまた違った意味で思い出深いんですよ」
【Gスピリッツ Vol.10 (タツミムック)/辰巳出版】
だけど、プロレスに対する悔いだってある。
「やっぱりプロレスに入った以上、1回はチャンピオンになりたかった。それだけ。
それが馬場さんへの恩返しだと思ってたけど、
身体が付いていかなかったのが残念だったなぁ…っていうのが本心。
(中略)
リック・フレアーにも勝ちたかった、スタン・ハンセンにも勝ちたかった、
ロード・ウォリアーズにも勝ちたかった。でも、みんな負けてる。
僕は相撲のグランドチャンピオンだけど、
プロレスでもチャンピオンになりたいっていう夢があったよ。
それが叶わないで辞めたってことは、凄く残念だなあと。
(中略)
相撲のグランドチャンピオンだからって、
プロレスのグランドチャンピオンになれるほど甘くないって、人生は。
後は何もない。悔いはないね」
体が付いて行かず、風邪です。
ので、結構簡素になってしまう訃報なのですが残念です。
テレビやネットでは大々的にニュースとなっている
大相撲元横綱、輪島大士が咽頭癌で亡くなりました。
享年 70。
やはり昭和の大横綱としての知名度の方が圧倒的に高いですが
私は親方辞め、借金返済で全日本プロレス入り、
こちらの方が私のリアルタイムでした。
大相撲時代の後輩、石川孝志に相談し、そして馬場・全日本入り。
パットオコーナー、ネルソンロイヤル、ザ、ファンクス等、
プロレス界の巨大レジェンド達の英才教育を受けアメリカでデビュー。
当時、オコーナーの所で指導受けている輪島の姿をプロレス誌で読みました。
で、故郷、石川県七尾市体育館での日本デビュー戦は
当時スペシャル番組でゴールデンタイムで放送されました。
相手はタイガージェットシン。
私は「シンなんて極悪人ぶつけて大丈夫なんだろうか?」という不安が。
試合はシンのライフファイトでやられっぱなしの輪島が
反撃した所から日本中大盛り上がり(???ウソです)
少なくとも、当時の私はそうでした。
シンも投げたジュラルミンケースが馬場の頭に当たる等、有りましたが
輪島デビューにしっかりした仕事をしました。
輪島大士VSタイガー・ジェット・シン 88'Jun Hiroshi Wajima vs Tiger Jeet Singh
で、連日連夜、輪島をメインイベントにTVを放送し、最初は盛り上がっていたものの
やはり38歳の大横綱がプロレスの奥深さを表現するのには硬すぎる。
段々プロレス放送への批判が強まり、新聞のTV書き込み欄では
「輪島ばかりのプロレス中継がつまらない」という声が大多数となりました。
力道山時代のプロレスを生で観て(鳥取市)「つまらん!」と酷評して
試合中に帰ってしまった祖父と祖母と一緒に輪島の試合をTVで観たのですが
シングルマッチでアブドーラザブッチャーと対戦した輪島はボコボコにされてしまいました。
それを観て大喜びした祖母・・・・。コレも現実なんでしょうね。
あの時はブッチャーが物凄く強く、輪島が弱弱しく見えました。
リックフレアーに挑戦したNWA戦とか高待遇は続きましたが
当然体にガタは出てくる訳で。
横綱を悪く言う人間と輪島に対してのイラつき(こんなモンじゃない)という
怒りと全日本プロレスの体質に不満を抱いていた大相撲出の
天龍が天龍革命を起こし、輪島をレスリングシューズで蹴りまくる、
それを堪える輪島の姿に脅威を感じた前田日明。
ソレが後、新日本内での前田暴走へと繋がったかもなんですが、
輪島も相当悔しかったそうですね。
横綱の強さを引き出そうと天龍はリンチ状態。
そこで、大反撃した試合が有ったそうですね。
徹底したリンチの後、硬い輪島が天龍に張り手を見舞いまくって反撃した試合。
酷評が出た馬場から絶賛のコメントが出たと。
怪我も含め、後輩石川孝志と一緒に、たった2年で引退してしまった輪島。
一緒に石川まで引退したのは驚きましたが、
たった2年とは云え、私には内容の濃かった2年ですね。
国技である大相撲の横綱まだ張った男への酷評より
長州やカブキを始め、間近でプロレスに真剣に取り組む輪島を見て
評価している人は少なくありません。
私が最後に観た輪島の姿は、とんねるずの番組で観た
アメフトのコーチをしている会社帰りの輪島の姿でしたな。
以下、他の方が詳しくブログに書かれていた部分を引用されて頂きますが
プロレスと人生が似ている、と言われる横綱輪島の言葉が
とても深いですな。
ご冥福をお祈りします。
「結局、輪島=横綱なんですよ。相撲から始まって、そこからプロレス
。馬場さんの哲学を学んで、そして第三の人生として一般社会でいろんな勉強をして、
今現在がある。
(中略)
生きていく中でいろんな出会いがあって、僕は幸運な男なんです。面白い人生ですよ。
輪島の人生は波乱万丈なんです。
他の人の人生の何倍かを生きてきたっていう感じがするね。
まぁ、それには感謝ですよ。疲れたけど(苦笑)。
僕の人生の1ページ目はもちろん相撲、2ページ目がプロレス、
一般社会の中で社会人としてやっているのが今の3ページ目ね。
(中略)
プロレスにしても期間は2年間かもしれないけど。
相撲とはまた違った意味で思い出深いんですよ」
【Gスピリッツ Vol.10 (タツミムック)/辰巳出版】
だけど、プロレスに対する悔いだってある。
「やっぱりプロレスに入った以上、1回はチャンピオンになりたかった。それだけ。
それが馬場さんへの恩返しだと思ってたけど、
身体が付いていかなかったのが残念だったなぁ…っていうのが本心。
(中略)
リック・フレアーにも勝ちたかった、スタン・ハンセンにも勝ちたかった、
ロード・ウォリアーズにも勝ちたかった。でも、みんな負けてる。
僕は相撲のグランドチャンピオンだけど、
プロレスでもチャンピオンになりたいっていう夢があったよ。
それが叶わないで辞めたってことは、凄く残念だなあと。
(中略)
相撲のグランドチャンピオンだからって、
プロレスのグランドチャンピオンになれるほど甘くないって、人生は。
後は何もない。悔いはないね」
グリーンボーイでTVでは毎回メインイベント扱いでかなりしんどかったでしょう。
その辺り昔の中邑と被りますね。
北尾は新日本でもSWSでもトラブル起こし、カブキなんかは
「どうしようも無い奴だった」との述べてましたね。
WARに上がる頃にある程度成長したのでしょうか。
天龍vs北尾、第二戦観に行きましたTが。
今の所、日本で他の競技でTOP取った人がプロレスで成功している選手
あまり浮かびませんよね。貴闘力が大仁田と闘ったりしましたが
二足のわらじでしたしね。
バックアップが有ったもののその中で相撲の横綱という
周りが何でもしてくれる立場から一レスラーとしてやり直し
短い期間でしたが、私には濃い輪島の2年でした。
黄金の左、ゴールデンアームボンバーですね。
大相撲入りは天龍の方が6年早いんですよね。
天龍は前頭筆頭でした。
天龍らしい輪島の引き出しでしたね。
相撲取りの額は硬い、とガンガンレスリングシューズで蹴る。
四天王プロレスは毎週見てました。
秋山には若い頃成田空港でガン飛ばされた事あります。
四天王プロレスしてたら引退が早まると
いち早く方向転換したのも秋山でしたね。
最初、棚橋vs中邑ばかりで不満でしたが
棚橋が引っ張ったのか?良い試合の度にどんどんクオリティ上がり
名物カードになりましたね。
ブレットハートはまだ若いけど才能豊かな頃
初代タイガーマスクにもの凄いドロップキックでぶっ飛んだのが
一番印象深かったです。WWFの退団は残念でしたね。ガチでしょうね。
プロレスであまり活躍できなかったですね。金沢の繁華街に「相撲茶屋 輪島(ちょっと記憶おぼろげです)」というお店を妹さんにさせて、そのときの借金で年寄株を担保にしたとかで、角界を引退したのだと思います。
亡くなった後のローカルニュースでは、出身地の七尾で同級生にインタビューし、慕われていました。
ちなみに私が選ぶ郷土の誇りは、めんたんぴん、マザーグース、松井、遠藤です。遠藤は三役がかかったときに力を発揮できず、幕内を上がったり、下がったりで残念です。馳は出身が富山なので、はずしました。時々、職場へ来られますが、その時は挨拶ぐらいはします。「先生!」と声をかけます。
一大センセーショナルな輪島プロレス転向でしたが
2年は私には長く感じました。
商売の失敗ってそういう過程だったのですかぁ。
私、相撲時代をほぼ見ていないのですが、私の頭の中の輪島は
やはりプロレスでした。
めんたんぴん、送ってくださりましたよね。
松井は存じていましたが、遠藤もなのですか。
そういえば、遠藤の話題ってほぼ聞かなくなってしまいました。
馳は富山だったのですか。星陵高校だったので石川だと思いました。
と、馳先生、職場にいらっしゃるのですか。
運動もレスリングもプロレスも勉学も
グッドワーカーですよね。羨ましすぎる才能というか、
多才ですよね。
元々ジュニア戦士でしたしね、コチラで街でプロレスラーや
格闘家と遭遇する事ありましたが、皆ゴツいですよね。
(Uインターは想像範囲でした)
輪島は、強運の持ち主でしたね。
タイガージェットシンという宿敵の存在。
ゴールデンタイムでの放送。
前田日明は、生スネで輪島に蹴りを喰らわせている天龍に、しっかりと反応していましたよね。
フランケンシュタイナーって、凄い名前の技だな…という前田のコメントも、今回の記事を読んで思い出しました。
輪島は元横綱という経歴とプロレスで二度大きな注目を浴び
短い華でしたが、大きく咲きましたね。
シンとの取り組みは当時驚きでした。
実際はシンやハンセンが輪島に合わせて試合する事で
内部選手には不満が有ったそうなんですが
輪島は横綱という事に驕りを持たず真剣に取り組んでいましたね。
まさか後の前田解雇に行くのは天龍と輪島とは当時思いもしませんでした。