週一寺社めぐり

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週一菜園  矢田坐久志玉比古神社へゆく

2013-09-14 17:25:10 | インポート
本日の作業 

・人参,大根、コカブ---播種 ・白菜、キャベツ---液肥

<o:p>大根ハクサイ下仁田ネギ</o:p>

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<o:p>矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)大和郡山市矢田町965   PK-なし 路肩に停める
祭神は物部氏の祖神、櫛玉饒速日(くしたまにぎはやひ)命とその妃、御炊屋姫(みかしきやひめ)命、俗に矢落(やおち)明神と云われる「飛行の神」で、重文の本殿は、室町時代の建立とみられ、一間社春日造、檜皮葺。なお、楼門の西に櫛玉饒速日命の2本目の矢が落ちた「二の矢塚」があり、彼が天つ国から乗って来た「天の磐船(いわふね)」の破片(磐座)もあり、また、楼門には、奉納された大きなプロペラが掲げられている
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<o:p>   楼門プロペラ・源田実大佐二の矢塚拝殿 本殿</o:p>

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<o:p>発志禅院  大和郡山市外川町128 0743-53-5701.  PK-15
黄檗宗、恵日山「発志禅院」。1709年の4月17日郡山城主本多忠常が49歳で没し、嫡子の本多忠直が永代供養のため、菩提寺として、奈良二名町「王竜寺」の住職古篆(こてん)に創建を依頼し、古篆が方丈、庫裡、北門を建て、後に本堂、山門を建立した
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<o:p>    本堂古篆の墓歴代住職の墓 扁額     以下パンフより本尊・釈迦如来内陣開山・古篆</o:p>

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<o:p>歌ヶ崎廟                                                                         外川町「発志禅院」の直ぐ北西にある面積約770㎡、高さ約10m程の丘の上に建つ墓で、郡山第2次本多藩主本多忠常が葬られている。碑の右隣には忠常の実姉で、松平右京亮忠倫に嫁ぎ、後に郡山城内に寄居して、弟の忠常よりも1年早く、1708年(宝永5年)51歳で亡くなった禄姫の墓もある</o:p>

<o:p>    禄姫の墓     </o:p>

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