週一寺社めぐり

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六県神社 富貴寺

2012-08-25 18:40:12 | インポート

六県神社 むつがたじんじゃ 富貴寺 ふきじ 磯城郡川西町保田33 P-なし 神社とお寺がつながってある  六県神社-- 祭神は六県神、神殿に六面の鏡が懸かっていたので六縣神社とし、それが六県神社となった。 鏡には暦応(1338~42)の年号があったと伝わる。度会延経の『神名帳考証』には延喜式内社の穂雷命神社にあてている。 

富貴寺---(無住の寺)六県神社の官寺といわれ、創立は平安朝・貞観年代に道詮律師の草創といわれ、現在は壷阪寺の末寺となっている。
風格のある本堂は、本尊の木造釈迦如来坐像や木像地蔵菩薩立像と共に重要文化財に指定されている。平安朝貞観年代に法隆寺の東院伽藍を再興した道詮律師の草創といわれています                                          拝殿本殿 摂社

富貴寺

 地蔵堂本堂・重文 境内 

 



比売久波神社

2012-08-25 18:16:10 | インポート

比売久波神社 ひめくわじんじゃ 磯城郡川西町唐院73 P-あり                                           大和国古墳取調書では「恐らく皇后の御陵ならん」と記し、また、蘇我入鹿の墓と伝える「島の山古墳」西側の周濠に沿って北へ辿ると、濠に接して「比売久波神社」が鎮座している。島の山古墳の西側に接し、久波御魂神とアマハチチ姫を祭神とする神社(式内社)である。県指定文化財の本殿の右に大国主神社と子守神社の境内社があり、左に蛭子神社と春日神社の社殿が並ぶ。

   拝殿本殿島の山古墳後円部石室の天井石蛭子神社・春日神社大国主神社 絵馬手水舎島の山古墳  可愛い狛犬


浮見堂 奈良町天神社 瑜伽神社  2012.08.18

2012-08-19 16:48:30 | インポート

浮見堂 奈良市高畑町山ノ上  PK-なし                                               暑さを避ける鹿 

奈良町天神社  奈良県奈良市高畑町1049 PK-なし 浮見堂の南南西                                           境内地を含むこの丘陵一帯は平城京が日本の首都で有った8世紀、平城(なら)の飛鳥と呼ばれた聖地で、始めにここへ祀られたのは少彦名命で「手間天神」と呼ばれ、その後に平安時代白河天皇の頃、菅原道真の霊を祀る天満宮が各地に奉祭され、この神域にも相殿が建てられ、御霊信仰の主神で有り、学問勉学の神である菅原道真の霊(天満天神)が併せ祀られて、また後に当社は、元興寺禅定院や興福寺大乗院の鎮守でも有りました。

   拝殿うし 摂社摂社拝殿内

瑜伽神社 ゆうがじんじゃ 奈良市高畑町1059   PK-なし 平素は閉まっているらしいが今日は開いていた    (元は、大己貴命の娘の賀夜奈留美命を祭神としてまつっていたようです)摂社:飛鳥神並社(瑜伽大神の和魂を祀る)、一言稲荷社 石段の中ほどに飛鳥神並社と藤原良林の歌碑が有ります 本殿右側にある「飛鳥乃御井」は高い所に在るのに枯れた事が無いとか・・・ 大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)(大伴旅人の妹)が733年に詠んだ万葉歌碑も建っています 中世には、西側の奈良ホテルがある鬼薗山と瑜伽山は繋がっていて(現在は間を国道が通っています)城が築かれていたそうです   奈良の寺社より                                                        飛鳥神並社 拝殿  一言稲荷社と飛鳥の御井


庚申堂  小塔院跡  2012.08.18

2012-08-19 16:14:37 | インポート

庚申堂 奈良市西新屋町  PK-なし  軒にたくさん身代わり猿をぶら下げた小さなお堂 「吉祥堂」とも呼ばれ、木造吉祥天立像と地蔵菩薩もまつられています 吉祥天は元あった、服部寺服部堂の本尊だったそうです 本尊;厨子入りの彩色木造青面金剛立像(庚申) 奈良町に息づく庚申信仰の中心です 庚申信仰は道教に由来し、庚申の日には寝ている間に体内から 三戸の虫が抜け出して天帝にその人の悪行を報告するという 身代わり猿は天帝に悪行が知られた時に身代わりになってくれるお守りです 奈良の寺社より

    奈良町資料館

元興寺小塔院跡  奈良市西新屋町  PK-なし 非常に愛想のない爺さんがおり観光客が来るのを迷惑しているような口ぶり  元興寺は今は元興寺(極楽房)、元興寺(塔跡)、小塔院(元興寺小塔院跡)に別れてしまいました  平安時代、康平七年(1064)の「巡礼記」の逸文によると、元興寺の小塔院は正式な名称は吉祥堂で、光明皇后の御願で建立され、称徳天皇が造立した百万塔のうち、八万四千基が安置されたので小塔院と号され、中には護命僧正坐像も安置されていたと述べられています。 宝徳三年(1451)の一揆の時に焼失し、江戸時代になって、ようやく再興され、現存する本堂も、宝永四年(1707)に建立されたものだそうです。 かっての小塔院の跡を忍ばせる物としては、本堂近くの鎌倉時代の宝篋印塔と、その横の護命僧正と書かれた石碑のみです 奈良の寺社より

     護命僧正

ブラブラしていると元興寺小塔院跡の祠に出くわした  

 内部  

もう一か所あるらしいがわからなかった奈良市西新屋町に一軒の豆腐料理の店があり、その横に崩れかけた古い門が扉を開いている。その前に「元興寺小塔院跡」と書かれた碑が立っているため、かろうじて小塔院の東門であることが分かる


徳融寺 誕生寺      2012.08.18

2012-08-19 15:47:50 | インポート
徳融寺 奈良市鳴川町25 PK-なし 本堂の仏像も拝観させてもらった。 中将姫伝説ゆかりのお寺が4ヶ寺(誕生寺、高林寺、徳融寺、安養寺)の中で一番大きい 

藤原豊成公の邸宅があったところです (融通念仏宗) 豊成山 高林院「徳融寺」です 元は元興寺の塔頭だった寺院で、(真言宗) 高林院と言ったそうです 天文13年(1544)に興善法師が再興  本尊;阿弥陀如来立像・十一尊天得如来画像  奈良の寺社より

<o:p>         百日紅</o:p>

<o:p></o:p> 

<o:p>誕生寺  </o:p><o:p> 奈良県奈良市三棟町2</o:p> PK-なし 要予約のため入れず   中将姫の産まれた所 父・藤原豊成の邸宅跡に建てられた尼寺 (浄土宗)異香山 法如院「誕生寺」 創建年代など不詳  本尊;中将法如尼坐像(厨子入り)  奈良に寺社より

  庚申堂内部本堂山門