しめじっこ純情

不定期更新の日記です~ (・ω<)

加藤文太郎記念図書館に行く男

2011-08-13 22:10:06 | 山に登る!


そんなこんなで
登山暦も 2 年目に突入という事で・・・

行って来ました!
加藤文太郎記念図書館。

加藤文太郎 とは・・・

1905 年 ( 明治 38 年 ) 3 月 11 日 - 1936 年 ( 昭和 11 年 ) 1 月 5 日 )
日本の登山家。
大正から昭和にかけて活躍した。
兵庫県美方郡新温泉町出身。
兵庫県立工業学校夜間部卒業。

複数の同行者が協力し、
パーティーを作って登るのが常識とされる山岳界の常識を覆し、
単独行によって数々の登攀記録を残した。
登山に対する精神と劇的な生涯から、
小説 ( 新田次郎著 『 孤高の人 』 、
谷甲州著 『 単独行者 アラインゲンガー 新・加藤文太郎伝 』 ) や
ドラマのモデルとなった。              

現在ではポピュラーとなった
六甲全山縦走を始めたのが、
加藤文太郎である。
非常に歩くスピードが速かった文太郎は、
早朝に須磨を出て六甲全山を縦走し、
宝塚に下山した後、
その日のうちに、
また歩いて須磨まで帰って来たという。
距離は約100kmに及ぶ。

単独行であることと、
地下足袋を履いて山に登ることが、
彼のトレードマーク。

1928 年 ( 昭和 3 年 ) ごろから
専ら単独行で日本アルプスの数々の峰に積雪期の単独登頂を果たし、
なかでも槍ヶ岳冬季単独登頂や、
富山県から長野県への北アルプスの単独での縦走によって、
「 単独登擧の加藤 」 、 「 不死身の加藤 」 として一躍有名となる。

1935 年 ( 昭和 10 年 ) 、同じ浜坂出身の下雅意花子と結婚。

1936 年 ( 昭和 11 年 ) 1 月、
数年来のパートナーであった
吉田富久と共に槍ヶ岳北鎌尾根に挑むが
猛吹雪に遭い天上沢で30歳の生涯を閉じる。
当時の新聞は彼の死を 「 国宝的山の猛者、槍ヶ岳で遭難 」 と報じた。

Wikipedia より



早速館内へ・・・

1 階は普通の図書館なので、
職員さんに撮影許可を頂き
2 階へと。

壁面や階段など、
至る所に山を思わせる装飾が施されています。



伝説のクライマー
加藤文太郎のレリーフ!



登山略歴。
チラっと読みましたが、
コレまたスゴい!!!

昭和 8 年 1 月 だけでも、
御殿場口富士山往復、帰途 黒沢口より
御岳 ( 六日 単独 )
伊吹山
妙見山 - 蘇武岳
って!!!

スゲー!!!
絶対にマネ出来ない~!!!



もう、
ひとつひとつに興奮気味!

植村直己も多大な影響を受けたらしい、
貴重な資料がたくさん展示されています!



本人直筆!



当時の新聞!

事の大きさを伝えています!



山道具!



飯盒!

コレで生を繋いでいたのですね!



登山靴!



カメラ!



加藤文太郎が撮った写真!



克明に綴られた登山手帳!

ここまで詳細に記録を残すとは・・・
世が世なら、
超人気ブロガーになっていたかも・・・!?



2 階資料質の横は
山関係の図書室になっています。

ふと手にした、
山と渓谷。

よく見ると
1974 年 2 月号でした!!!

古っ!!!
一体何年前???

こういうのが
何気に置いてあるのに
びっくりでした!!!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。