上賀茂神社・下鴨神社の例祭である葵祭(正しくは賀茂祭)は、その歴史も古く、今から約1400年前、欽明天皇が飢餓・疫病を鎮めるために行なったのが始まりです。
皐月の京都を彩る葵祭は上賀茂・下鴨両神社の例祭で、祇園祭・時代祭とともに京都三大祭に数えられています。
葵祭りは平安時代から盛大に行われており、その盛況ぶりは「源氏物語」をはじめ、多くの古典に伺うことができます。
6世紀の中頃、欽明天皇の頃に凶作が続いたので、賀茂神の祟りを鎮めるため、4月吉日に鈴をつけた馬を走らせて、五穀豊穣を祈ったのが始まりと伝えられています。
現在の祭は、三日に下鴨神社で前儀として行われる流鏑馬神事に始まり、五日の歩射神事、5月4日の斎王代御禊の儀、12日に神霊を迎える御蔭祭、同日深夜の御阿礼神事と続き、15日の葵祭となります。
15日の早朝、御所に参集して御祭文・御幣物を拝受する宮中の儀が行われ、そのあと午前10時半頃、参加者約511名、牛馬約40頭、先頭から最後尾まで約1キロに及ぶ行列が御所建礼門前を出発します。
行列は、警護の武官や白丁・勅使などの文官・武官や女官など、平安時代の装束をつけ、王朝風俗をしのばせる優雅なもので、第1列(検非違使・山城使)、第2列(御幣櫃・馬寮使・牛車)、第3列(舞人・近衛使)、第4列(陪従・内蔵使)、斎王代列(斎王代・女人)からなる。
正午前に下鴨神社に到着すると社頭の儀があり、東遊や走馬などが行われたあと、午後には再び祭列をととのえて上賀茂神社へ向かい、午後3時半頃に到着します。
今でも参加者は葵をかざし、また家々にも葵を掛ける風習があります。
祭の起源
古墳時代後期の欽明天皇(540 ~571年)のとき、凶作に見舞われ飢餓疫病が流行したため、天皇が勅使をつかわし「鴨の神」の祭礼を行ったのが起源とされている。
上賀茂、下鴨両神社の例祭で、祇園祭、時代祭とともに京都の三大祭に数えられている。
名前の由来
牛馬にも葵の葉
祭の当日(5月15日)、内裏神殿の御簾(みす)をはじめ、御所車(牛車)、勅使・供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉と桂の小枝で飾ったことからきている。
祭の特徴
かつては「勅祭」
装束の着付け、調度など平安期の文物風俗を忠実に保っている。
本来、勅使が下鴨、上賀茂両神社で天皇の祝詞を読み上げ、お供えを届けるのが目的の祭りで、天皇が京都にいたときは、行列の飾り馬と出立の舞を見学したりしていた。
行列は路頭の儀といい、長さ約1kmにも及ぶ。行列が上鴨神社、下鴨神社に到着すると、勅使の御祭文の奉納、東遊舞の奉納など社頭の儀が神前で行われる。
歴史
中世には衰微
平安時代中期には、「祭り」といえば葵祭をさすほど隆盛を極めたが、鎌倉、室町時代には衰え、戦乱期に入ると行列は姿を消してしまった。
江戸・元禄期に再興されたが、明治2年の東京遷都で行列は中止となった。
政府の京都活性化策として明治17年に復活したが、第2次大戦で中止され社頭での神事だけが続けられていた。
戦後、行列が巡行するようになったのは昭和28年からで、斎王代の登場は同31年から。
知識
・保存きかないアオイ
平安遷都後の大同2年(807年)、飾り草として使ったのが最初。
正式名はフタバアオイで、淡紅紫色のかわいらしい花をつける。
山の清流のほとりや深い杉木立のなかに自生しており、水の汚れを極端にきらう。
長く保存ができないため、祭に必要な約1万本のアオイを納入期限の4、5日前のうちに一気に採取しなければならない。
・牛車にも高級車
牛車にもいろいろあって、最高級車は唐車。
葵祭では勅使用の牛車がそれにあたる。
斎王代用は八葉車と呼ばれる少し位の下のもの。
昔は牛車で社参していたが、今は乗っていない。
外見の優雅さとは裏腹に乗り心地は、はなはだ悪く、車酔いも起こしかねないそうだ。
・女の闘い、車争い
「源氏物語」の「葵の巻」に、斎王列見物にでかけた葵の上と六条御息所の車争いがある。
いまをときめく光源氏の正妻、葵の上と、源氏の愛がさめた御息所の衝突。
御息所の車は見物の列からハジキ飛ばされる。
気のすまない御息所のうらみは生霊となって、やがて葵の上にとりつく。
・豪傑もグウグウ
葵祭の翌日、斎王列が帰るというので、頼光四天王で名高い坂田公時ら3人が見物に。
でも、馬では野暮だし徒歩では人目がある。
「牛車で見物としゃれ込んでは…」。
1人の提案に全員が同意。
早速に出かけたが、慣れない車にゆられて強者も車酔い。
車の中でグウグウ、スウスウ。
目を覚ましたときは、行列は過ぎたあとで、文字どおり、あとの祭り。
■期 間:5/15(※毎年同じ日程です)
■有料観覧席
一般席:4500円(最前列)、(2列目以降):3500円
まなび席(下鴨神社のみイヤホン解説付):9500円(最前列)、8500円(2列目以降)
(全席指定・パンフレット付。4月初旬より京都市観光協会から販売)
・上賀茂神社の有料観覧席は1,000円、5000円(※過去の例。場所により値段が異なります。当日の11:30から販売)。
・両神社で行われる「社頭の儀」の拝観は、それぞれ初穂料5,000円(※過去の例。当日の10:00から販売)
■詳しくは:http://www.e-kyoto.net/special2/565
■葵祭有料観覧席のお問合せは京都市観光協会「観光情報センター」へ
TEL 075-752-7070
■上賀茂神社の有料観覧席は1,000円、5000円(場所により値段が異なります。当日の11:30から販売)。
両神社で行われる「社頭の儀」の拝観は、それぞれ初穂料5,000円(当日の10:00から販売)
■詳しくは:http://www.e-kyoto.net/
※写真は全て過去のものです。
皐月の京都を彩る葵祭は上賀茂・下鴨両神社の例祭で、祇園祭・時代祭とともに京都三大祭に数えられています。
葵祭りは平安時代から盛大に行われており、その盛況ぶりは「源氏物語」をはじめ、多くの古典に伺うことができます。
6世紀の中頃、欽明天皇の頃に凶作が続いたので、賀茂神の祟りを鎮めるため、4月吉日に鈴をつけた馬を走らせて、五穀豊穣を祈ったのが始まりと伝えられています。
現在の祭は、三日に下鴨神社で前儀として行われる流鏑馬神事に始まり、五日の歩射神事、5月4日の斎王代御禊の儀、12日に神霊を迎える御蔭祭、同日深夜の御阿礼神事と続き、15日の葵祭となります。
15日の早朝、御所に参集して御祭文・御幣物を拝受する宮中の儀が行われ、そのあと午前10時半頃、参加者約511名、牛馬約40頭、先頭から最後尾まで約1キロに及ぶ行列が御所建礼門前を出発します。
行列は、警護の武官や白丁・勅使などの文官・武官や女官など、平安時代の装束をつけ、王朝風俗をしのばせる優雅なもので、第1列(検非違使・山城使)、第2列(御幣櫃・馬寮使・牛車)、第3列(舞人・近衛使)、第4列(陪従・内蔵使)、斎王代列(斎王代・女人)からなる。
正午前に下鴨神社に到着すると社頭の儀があり、東遊や走馬などが行われたあと、午後には再び祭列をととのえて上賀茂神社へ向かい、午後3時半頃に到着します。
今でも参加者は葵をかざし、また家々にも葵を掛ける風習があります。
祭の起源
古墳時代後期の欽明天皇(540 ~571年)のとき、凶作に見舞われ飢餓疫病が流行したため、天皇が勅使をつかわし「鴨の神」の祭礼を行ったのが起源とされている。
上賀茂、下鴨両神社の例祭で、祇園祭、時代祭とともに京都の三大祭に数えられている。
名前の由来
牛馬にも葵の葉
祭の当日(5月15日)、内裏神殿の御簾(みす)をはじめ、御所車(牛車)、勅使・供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉と桂の小枝で飾ったことからきている。
祭の特徴
かつては「勅祭」
装束の着付け、調度など平安期の文物風俗を忠実に保っている。
本来、勅使が下鴨、上賀茂両神社で天皇の祝詞を読み上げ、お供えを届けるのが目的の祭りで、天皇が京都にいたときは、行列の飾り馬と出立の舞を見学したりしていた。
行列は路頭の儀といい、長さ約1kmにも及ぶ。行列が上鴨神社、下鴨神社に到着すると、勅使の御祭文の奉納、東遊舞の奉納など社頭の儀が神前で行われる。
歴史
中世には衰微
平安時代中期には、「祭り」といえば葵祭をさすほど隆盛を極めたが、鎌倉、室町時代には衰え、戦乱期に入ると行列は姿を消してしまった。
江戸・元禄期に再興されたが、明治2年の東京遷都で行列は中止となった。
政府の京都活性化策として明治17年に復活したが、第2次大戦で中止され社頭での神事だけが続けられていた。
戦後、行列が巡行するようになったのは昭和28年からで、斎王代の登場は同31年から。
知識
・保存きかないアオイ
平安遷都後の大同2年(807年)、飾り草として使ったのが最初。
正式名はフタバアオイで、淡紅紫色のかわいらしい花をつける。
山の清流のほとりや深い杉木立のなかに自生しており、水の汚れを極端にきらう。
長く保存ができないため、祭に必要な約1万本のアオイを納入期限の4、5日前のうちに一気に採取しなければならない。
・牛車にも高級車
牛車にもいろいろあって、最高級車は唐車。
葵祭では勅使用の牛車がそれにあたる。
斎王代用は八葉車と呼ばれる少し位の下のもの。
昔は牛車で社参していたが、今は乗っていない。
外見の優雅さとは裏腹に乗り心地は、はなはだ悪く、車酔いも起こしかねないそうだ。
・女の闘い、車争い
「源氏物語」の「葵の巻」に、斎王列見物にでかけた葵の上と六条御息所の車争いがある。
いまをときめく光源氏の正妻、葵の上と、源氏の愛がさめた御息所の衝突。
御息所の車は見物の列からハジキ飛ばされる。
気のすまない御息所のうらみは生霊となって、やがて葵の上にとりつく。
・豪傑もグウグウ
葵祭の翌日、斎王列が帰るというので、頼光四天王で名高い坂田公時ら3人が見物に。
でも、馬では野暮だし徒歩では人目がある。
「牛車で見物としゃれ込んでは…」。
1人の提案に全員が同意。
早速に出かけたが、慣れない車にゆられて強者も車酔い。
車の中でグウグウ、スウスウ。
目を覚ましたときは、行列は過ぎたあとで、文字どおり、あとの祭り。
■期 間:5/15(※毎年同じ日程です)
■有料観覧席
一般席:4500円(最前列)、(2列目以降):3500円
まなび席(下鴨神社のみイヤホン解説付):9500円(最前列)、8500円(2列目以降)
(全席指定・パンフレット付。4月初旬より京都市観光協会から販売)
・上賀茂神社の有料観覧席は1,000円、5000円(※過去の例。場所により値段が異なります。当日の11:30から販売)。
・両神社で行われる「社頭の儀」の拝観は、それぞれ初穂料5,000円(※過去の例。当日の10:00から販売)
■詳しくは:http://www.e-kyoto.net/special2/565
■葵祭有料観覧席のお問合せは京都市観光協会「観光情報センター」へ
TEL 075-752-7070
■上賀茂神社の有料観覧席は1,000円、5000円(場所により値段が異なります。当日の11:30から販売)。
両神社で行われる「社頭の儀」の拝観は、それぞれ初穂料5,000円(当日の10:00から販売)
■詳しくは:http://www.e-kyoto.net/
※写真は全て過去のものです。