あの忠臣蔵の大石良雄も仇討ち成就の祈願を行ったという法住寺。
平安時代中期に藤原為光によって創設され、その後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれました。
法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇もなくなると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたります。
寺内の「身代不動明王(みがわりふどうみょうおう)」像は、平安期の作風とされています。
この不動像は寺伝では慈覚大師が造立したといわれ、後白河上皇の信仰も篤かったそうです。
法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇もなくなると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたります。
寺内の「身代不動明王(みがわりふどうみょうおう)」像は、平安期の作風とされています。
この不動像は寺伝では慈覚大師が造立したといわれ、後白河上皇の信仰も篤かったそうです。
義仲の放火のさいに、上皇の身代わりとなったと伝えられており、現在も毎年11月15日には不動会(ふどうえ)がいとなまれています。
稚児行列・鬼法楽と続き、天狗を先頭に赤、青、黒の鬼が拍子を合わせて、不動堂の前に作られた護摩壇の踊り歩きまわります。
この後、採燈大護摩供が奉修されます。
本尊は方除け厄除の不動で、三十三間堂の東に位置します。
天狗を先頭に赤・青・黒3匹の鬼が松明・剣・まさかりを持ち、護摩のまわりを踊り歩きます。
この後、採燈大護摩供が奉修されます。
本尊は方除け厄除の不動で、三十三間堂の東に位置します。
天狗を先頭に赤・青・黒3匹の鬼が松明・剣・まさかりを持ち、護摩のまわりを踊り歩きます。
山伏問答が行われ、大護摩供が炊きあげられます。
笹酒やうどんの接待は先着700名です。
雨天決行。
■場 所: 法住寺
■期 間: 11月15日(※毎年同じ日程です)
■時 間: 13時~
■料 金: 護摩木:1本200円
■アクセス: 市バス206・208「博物館・三十三間堂前」
■お問合せ: 075-561-4137
■詳細ページ:http://hojyuji.jp/
※主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。
※写真は全て過去のものです。