食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

ポルトガルとジェノヴァと大航海時代前夜-中世後期のヨーロッパの食(6)

2020-12-30 23:24:03 | 第三章 中世の食の革命
ポルトガルとジェノヴァと大航海時代前夜-中世後期のヨーロッパの食(6)
日本人にとってポルトガルはなじみの深い国です。1543年にポルトガル人が鉄砲を伝えた話や、1549年にポルトガル宣教師「フランシスコ・ザビエル」が来日した話はとても印象深いため、ずっと記憶に残るようです。また、コンペイトウ(金平糖)やカステラなどポルトガルから伝わったとされるお菓子もよく知られています。

このように遠く離れた日本に人や物品を送ることができた海洋大国のポルトガルですが、もともとはカスティーリャ(スペイン)から何とか独立できた小さな国でした。それでは、この西の果ての小国はどのようにして海洋大国に成長して行ったのでしょうか。

今回は海洋大国への道を歩み始めたポルトガルのお話です。

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レコンキスタを進めていたカスティーリャ=レオン国王のアルフォンソ6世は1096年に、現在のポルトガルの北半分を娘婿のアンリ・ド・ブルゴーニュに治めさせた。1112年にアンリが没すると、アンリの妻アリサ陣営と息子のアフォンソ・エンリケス陣営の間で領地争いが勃発したが、アフォンソが勝利をおさめた。

その後アフォンソはレコンキスタを進めるとともにカスティーリャ=レオン国王のアルフォンソ7世と交渉を行い、1143年にアルフォンソへの臣従を条件としてポルトガル王国の建国が認められた。そして1147年に十字軍の助けを借りてリスボンを征服する。

初代国王の遺志を受け継いだアフォンソ3世は1249年にイスラム勢力を駆逐し、ポルトガル内のレコンキスタを完了させた。そして1255年、リスボンがポルトガル王国の新しい首都となった。

リスボン(ポルトガル語:Lisboa)は大西洋からテージョ川を13㎞ほどさかのぼったところに位置しており、15世紀以降海外進出の拠点となった良港を有している。また、ポルトガル北部の都市ポルトの港も大航海時代に貿易の一大拠点として活躍した。


リスボンの街並みとテージョ川

ポルトの港もリスボンの港と同じようにドウロ川の河口近くに作られた港だ。このように河口近くの港が木造船にとっては良い港とされていた。と言うのも、真水では船を破壊するフナクイムシや船を重くするフジツボなどが付かないために船を泊めておくのに最適だからだ。また、しけや外敵からも船や積み荷を守りやすいのである。

イスラム勢力を追い払ったことで地中海西部の自由な航行が可能になると、イタリアの湾口都市の商人がポルトガルにやって来るようになった。特にジェノヴァの商人はポルトガルの海外進出に大きな役割を果たすことになる。

実はこれにはジェノヴァなりの理由があった。ジェノヴァは西に進出する必要があったのだ。少し長くなるが、これについてお話ししておこう。

ジェノヴァはヴェネツィアやピサなどの他のイタリアの湾口都市とともに、東方世界から入って来る香辛料などの貿易で栄えていた。また、北アフリカのムスリム商人と金や奴隷の貿易も行っていた(中世の西ヨーロッパではローマ・カトリック以外の人間は奴隷として売買されていた)。

さらに、西ヨーロッパの商業が発達してくると、ジェノヴァはその交易にも参入するようになった。1277年にはジブラルタル海峡を越えて大西洋沿岸を進み、現在のベルギーのブルージュに船を送っている。こうしてハンザ同盟と交易を行うようになった。

ポルトガルのリスボンやポルトの商人もジェノヴァの商人たちと同じようにハンザ同盟との交易を行った。実は、これらの都市にはジェノヴァの商人たちが移住してきており、彼らの助けを借りて船を造り交易を行ったのである。

さらに14世紀半ば以降になると、オスマン・トルコが東地中海に進入を始めたことや、地中海での覇権をかけたヴェネツィアとの戦いに敗れたこと、そしてジェノヴァでの内紛などによって、ジェノヴァの資本や商人たちの多くが主にポルトガルに(そしてスペインにも)逃げてくるようになった。こうしてポルトガルは、ジェノヴァの資本と技術支援を受けて海外進出を本格的に行うようになったのだ。

1415年にポルトガル王ジョアン1世はジブラルタル海峡をはさんだ対岸のセウタを征服した。そして1419年からはセウタ征服に参加した「エンリケ航海王子(1394~1460年)」の下で西アフリカ方面の探検が始まった。そして、まずマデイラ諸島とアソーレス諸島を発見する。続いて1450年過ぎにカーボ・ヴェルデ諸島が見つかった。


リスボンの発見のモニュメント(右側先頭がエンリケ航海王子)

マデイラとカーボ・ヴェルデではサトウキビが栽培され、生産された砂糖がヨーロッパに運ばれて莫大な富を生み出した。また、アソーレスはブドウとコムギの一大産地になった。この成功によってジェノヴァ人も大きく潤ったということだ。



さらにエンリケの部下たちはアフリカ沿岸部の探検を進めて、西アフリカ地域と金や奴隷の交易を始めた。このアフリカ沿岸部と島々の探検はエンリケが没した後も続けられ、主に奴隷貿易が熱心に進められた。そして、この奴隷を用いて砂糖のプランテーション(欧米人が奴隷などの安価な労働力を利用して砂糖などの単一栽培を行う農業経営)が行われる。やがてこの経営形態が「新大陸」に持ち込まれるのである。

(これでヨーロッパの中世時代のお話は終わりになります。次回からは東の果ての「日本」の中世の食が始まります。)


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