食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

サツマイモとカボチャ-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(6)

2021-05-05 20:15:50 | 第四章 近世の食の革命
サツマイモとカボチャ-ヨーロッパ人到来以前の中南米の食(6)
「芋栗南瓜(いもくりなんきん)」という言葉があるように、昔から日本人の女性の多くはサツマイモとクリとカボチャ(南瓜)が大好きと言われています。

例えばある調査では、85%の女性がサツマイモを好きと答えており、男性の65%を大きく引き離しています。また、好きな野菜を尋ねると、10~30代女性ではサツマイモとカボチャが上位2位を占めます。

今回は女性に大人気のサツマイモとカボチャについて見て行きます。すでにお話ししたように、どちらもアメリカ大陸が原産地となっており、ヨーロッパ人が新大陸に到達したのちに世界中に広まりました。

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・サツマイモ


サツマイモはヒルガオ科サツマイモ属の植物で、私たちは「塊根(かいこん)」と呼ばれる肥大化した根を食べている。この塊根には大量のデンプンに加えて、ビタミンCやビタミンEなどのビタミン類やカルシウムやカリウムなどのミネラル分が豊富に含まれているため栄養価が高い。また、食物繊維も多く、これは整腸作用や血中コレステロール値の降下作用などの健康効果を発揮する。

サツマイモには他の作物に比べてやせた土地でもよく育つという利点もある。この理由の一つが、空気中の窒素を栄養素に変換する窒素固定細菌がサツマイモの茎に共生していため肥料が少なくてすむからだ(逆に肥料をやり過ぎると葉っぱばかり茂ってしまう)。なお、窒素固定細菌の共生は、イネ、ムギ、サトウキビ、バナナ、パイナップルなどでも見つかっている。

サツマイモはやせた土地で育つことから、日本をはじめとして多くの国々で「救荒作物」として人々の命を救って来た。江戸時代には、サツマイモが栽培されていた南九州地方が飢饉の際に餓死者が少なかったことから、八代将軍吉宗(在職:1716~1745年)が関東での栽培を推奨した結果、天明の大飢饉(1782~1788年)で多くの人々の命を救ったと言われている。

サツマイモはメキシコからペルーにかけて紀元前3000年頃に栽培化されたと推測されている。サツマイモの祖先と考えられている野生種が「トリフィダ (I. trifida)」と呼ばれる植物だ。トリフィダは鉛筆くらいの細い根しか持っていないが、栽培化によって根にたくさんの栄養分が蓄積されるようになり、現在のようなサツマイモが生まれたと考えられている。

植物が栽培化される際によく見られるのが、染色体の数が数倍に増える「倍数化」という現象だ。ほとんどの動物や野生の植物の多くは同じ染色体を2本ずつ持っている「2倍体」と呼ばれる状態になっている。ちなみに人間も23の染色体を2本ずつ持っている2倍体の生物だ。倍数化とは染色体を2本よりも多く持つようになることを言い、植物ではよく見られる現象だ。

例えば、ジャガイモやコーヒー(アラビカ種)は染色体を4本ずつ持つ4倍体だ。そして、サツマイモは15の染色体を6本ずつ持つ6倍体である。一方、野生種のトリフィダは2倍体なので、サツマイモは栽培化によって3倍の染色体をもつようになったのだ。一般的に倍数化が起きると植物の大きさが大きくなるが、倍数化によってサツマイモの根の部分が大きくなったと推測される。

さて、中南米で誕生したサツマイモは紀元前1000年頃にポリネシア、ニューギニア、ニュージーランド、そしてインドネシア東部に伝わった。その経緯についてはよく分かっていないが、根などが海流で流されたか、鳥によって運ばれたか、あるいはアメリカの原住民が紀元前1000年以降に太平洋の島々に移住した時に運ばれたかのいずれかであろうと考えられている。

ヨーロッパへは15世紀の終わりにコロンブスがアメリカから持ちかえったと言われている。日本には1600年頃に中国から琉球に伝わったものが薩摩に導入されたというのが定説だ。

・カボチャ


カボチャはウリ科カボチャ属に属している。ウリ科の作物にはカボチャのほかにキュウリやメロン、スイカなどがある。ちなみに「Pumpkinパンプキン」という名前は、ギリシア語で「大きなメロン」を意味する「Peponペポン」に由来していると言われる。

なお、アメリカやカナダでパンプキンと呼ばれるのはハロウィーンで使われる皮がオレンジ色のものだけだ。日本で一般的な皮が緑色のカボチャは「Squashスクウォッシュ」と呼ばれる。

カボチャは紀元前8000~前6000年にメソアメリカで栽培化されたと推定されている。カボチャの栽培化はトウモロコシの栽培化よりも早く、メソアメリカでもっとも古くに栽培化された作物だと言われている。

カボチャの祖先と考えられる野生種は、小さくて硬く、苦味があるらしい。カボチャの栽培化は狩猟採集時代から始まったと考えられており、人類が時間をかけて美味しくて栄養価の高い品種を作り上げたのだろう。

メソアメリカで栽培化されたカボチャはその後アメリカ大陸に広く普及し、紀元前4000年のミズーリ川流域の遺跡や西暦前1400年頃のミシシッピ川流域の遺跡でも見つかっている。

アメリカ大陸では長い間、カボチャはトウモロコシとインゲンマメと一緒に同じ畑で栽培されていた。これは「三姉妹農法」と呼ばれ、こうすると三姉妹がお互いに助け合って収量が増えるのだという。

この農法では、トウモロコシを最初に育てて、ある程度生育したところで近くにカボチャとインゲンマメを栽培するのだ。すると、カボチャはトウモロコシの浅い根を保護するとともに、地面を覆うことで雑草を防ぎ、土が乾燥するのを防ぐ。また、インゲンマメの根には窒素固定細菌の根瘤細菌が共生しているため、空気中の窒素を栄養素として土の中に放出してくれる。一方、トウモロコシの丈夫な茎はインゲンマメのツルがからまる支柱となる。

アメリカ大陸の人々はカボチャを食料とする以外に、樹液を火傷の治療に使ったり、種子を利尿剤として利用したりしていたらしい。また、皮の部分を乾燥させ、穀物やマメなどを保管する容器としたり、乾燥させたカボチャの細片を織り込んでマットを作ったりした。

カボチャはコロンブスによってヨーロッパにもたらされた。日本へはポルトガル人が16世紀にカンボジアで育てたものを持ち込んだと言われている。このカンボジアから「カボチャ」の名がついたとされている。