食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

どうして農耕は始まったか?-1・2人類は雑草を進化させて穀物を生み出した(2)

2019-11-26 21:24:28 | 第一章 先史時代の食の革命
どうして農耕は始まったのか
ところで、人類はなぜ農耕を始めたのだろうか。

本当の理由は分かっていないが、獲物となる動物の減少を原因とする説が有力だ。
人類の狩猟技術の進歩と人口の増加によって、狩りやすくて肉が大量に得られる大型動物が減少して行ったと考えられる。さらに、約1万年前に氷期が終了したことが、寒さに強い大型の動物の減少に拍車をかけた。また、その後に続いた気候変動によっても獲物となる動物が減少したと考えられている。以上の変化によって、エネルギー源になる肉以外の食べ物を見つける必要が出てきたのだろう。

もう一度、各食品のエネルギーを示した図表1を見て欲しい。肉と同じように高いエネルギーを持つものとして、種実類や穀類などがある。少なくなった肉類を補うものとして、これらの需要が高まったとすれば納得がいく。

また、種実類や穀類は保存がきく。野菜や果実はすぐに腐ってダメになってしまうが、種実類や穀類は長期間保存できるので、冬など食料が乏しい時期の食べ物として貴重だ。

ところで、クリやアーモンドなどの種実類は「木」の種子だ。一方、ムギやコメなどの穀類は、「草」の種子だ。草の寿命は数年以内と短く、一年以内の寿命のものを一年草と呼ぶ。栽培することを考えると、木よりも草の方が効率的に種子を収穫できる。その中でも一年草は毎年収穫できるので、農耕を行う上で最も適していると言える。このような理由から、農耕が始まってから現在まで、一年草が主に栽培されて来た。「世界三大穀物」のムギ、コメ、トウモロコシはすべて一年草だ。

また、ムギ・イネ・トウモロコシの先祖はすべて雑草だった。さらに、ダイズ・ジャガイモ・サツマイモなども元は雑草だった。

雑草と聞くと、何か嫌な存在に聞こえる。実際に雑草の定義は、おおよそ「人間の生活を妨害する植物」とされている。つまり人類は、邪魔者だった雑草を、自分たちの命を支える植物に作り変えたのだ。これを「栽培化」と呼ぶ。もし、我々の祖先が、ムギ・イネ・トウモロコシなどを栽培化できなかったら、現在のような人類の繁栄はなかったと思われる。つまり、栽培化した植物を育てて食料とする「農耕」を始めることによって、人類社会は狩猟・採集の「獲得経済」から「生産経済」に移るという大きな変革を成し遂げたのだ。

そこで、この栽培化について少し詳しく見てみよう。まずは、雑草が持っている驚くべき能力についてだ。雑草の能力を知ると、栽培化がきわめて大きな食の革命であったことがわかるはずだ。


1・2 人類は雑草を進化させて穀物を生み出した(1)

2019-11-26 17:51:53 | 第一章 先史時代の食の革命
約20万年前から約1万年前まで、人類は狩猟・採集生活を営んでいた。このような生活を一変させたのが農耕の開始だ。これは人類史上きわめて大きな革命と言える。農耕の開始は、採集に頼ってきた食料の調達を自らが生産することになったことを意味する。つまり、獲得経済から生産経済への大きな転換点が農耕の開始なのだ。

先史時代の人口変化
狩猟・採集生活の間、人口はゆっくりとしか増えなかったと考えられている(図表3)。ところが、約1万年前に人類が農耕生活を始めると急速に人口が増え始めた。なぜだろうか。


一つ目の理由が、農耕生活への移行による死亡率の低下だ。

狩猟・採集生活では食料が安定して手に入るわけではない。時には、満足に食べ物にありつけない日が何日も続くときがあったと考えられる。その結果、餓死した人や、栄養失調で病気になり死亡した人も少なくなかったはずだ。

現代の狩猟・採集民族では、狩猟・採集中に事故により死亡したり、仲間同士の争いで死亡したりすることがたびたび見られるそうだ。食料となる動物や植物が安全な場所で見つかる保証はない。また、獲物の逆襲に会うこともあるだろう。さらに、獲物を狩るための毒矢や槍などで命を落とすこともあったと考えられる。同じように、狩猟・採集生活では死亡率が高かったと考えられる。

一方、農耕生活では、保存がきくコムギやコメなどの穀物が栽培されており、食べ物が安定して存在していた。このため、十分量の作物を収穫できていれば、一年を通して飢えに苦しむことはなかったはずだ。

また、農耕は安全な農地で営まれるため、狩猟・採集生活で見られる事故は少ない。さらに、たとえ喧嘩が起こっても、手に持っている道具は人を殺せるほどのものではなかった。このような理由から、狩猟・採集生活から農耕生活への移行にともなって死亡率は減少したと考えられる。

農耕生活で人口が増加した二つ目の理由が、農耕生活にともなって出生率が上昇したことだ。移動生活が中心だった狩猟・採集生活では、子供は移動の足かせになりかねない。このため、避妊などによって子供の出産数をコントロールしていたと考えられている。また、栄養状態の悪化によって、女性の排卵が抑制されることもあっただろう。さらに、男は獲物を追いかけるためにパートナーと離れている時間も長かったはずだ。こうして、狩猟生活では妊娠する確率は低かったと考えられる。

一方、農耕生活では、狩猟・採集生活で妊娠を妨げていた要因がすべて無くなった。安定した生活で愛するパートナーがそばにいたらどうなるか、想像に難くない。さらに、農耕のための労働力を増やすために子作りが奨励されたと考えられる。この結果、出生率が増加したのだ。

ただし、農耕生活の開始初期で安定した食料生産ができなかった地域では、死亡率の上昇が見られたようだ。新しい農耕生活に適応できた人たちだけが生き延び、子孫を残すことができたのかもしれない。

1・1肉食と火の革命(2)

2019-11-26 12:33:07 | 第一章 先史時代の食の革命
肉食が頭脳を発達させた
人類の祖先は遅くとも200万年前には肉食を本格的に開始することで、脳が拡大する栄養上の条件が整った。その結果、より高度な知性を進化させることが可能になったと考えられるのだ。その進化の道筋を見て行こう。

ホモ・ハビリスよりも大きな脳を持ち、手斧などのより機能的な石器を使うようになったのが原人の「ホモ・エレクトス」だ。彼らは約200万年前にアフリカに出現し、その後アフリカを出て新天地に飛び出した。ジャワ島で見つかったジャワ原人や中国で発掘された北京原人は、ホモ・エレクトスの地域集団である。しかし、アフリカを出たホモ・エレクトスは約30万年前に滅んでしまう。

一方、アフリカに残ったホモ・エレクトスからいくたびかの進化を経て、約20万年前に「人類(ホモ・サピエンス)」がアフリカに誕生したと考えられている。そして、その一部が約6万年前にアフリカを出て、世界中に分布するようになった(図表2)。この中には、今は海に沈んでいるベーリング陸橋を渡って、アメリカ大陸まで進出した大冒険家たちもいた。


このような人類への進化の過程で肉への依存が高まって行ったと考えられている。そして、この肉食の増加は脳を大きくするのに必要だった。
どういうことだろうか。

脳を維持するには大量のエネルギーが必要だ。例えば、人の脳は体重のわずか2%の重さだが、安静時の必要エネルギーの25%を消費している。脳が大きくなるためには、増えた分に必要なエネルギーを新たに獲得しなければならない。このエネルギーをまかなうために、肉への依存度が高まったと考えられている。

また、肉食が増えると植物性の食べ物の摂取量が減る。この結果、植物繊維の消化に必要な長い腸がいらなくなったと考えられている。腸も脳と同じようにエネルギー消費が激しいため、腸を短くして余ったエネルギーを脳にまわすことができたのだ。

火の利用がさらに脳を大きくした
さらに脳の拡大をおし進めたのが、火の利用だ。

火で調理すると、食べ物は消化・吸収されやすい形に変化する。例えば、肉を加熱するとタンパク質が変性することによってかみ切りやすくなり、さらに、消化酵素で分解されやすくなる。また、穀類やイモ類などのデンプンを多く含む食品はそのままではとても食べられたものではないが、煮たり蒸したりすると柔らかくなり美味しく食べられる。また、デンプンも消化されやすい構造に変化する(これをα化と呼ぶ)。ちなみに、非常食用のα化米は、火を使わなくても水を加えるだけでα化したコメを食べられるように加工した食品だ。

火は食べ物の消化・吸収を良くするだけではなく、食べ物の風味を良くする。デンプンは熱せられると一部分解して甘くなる。また、火で調理すると「メイラード反応」と呼ばれる化学反応が起こるが、この反応によって、たくさんの美味しそうなにおいが発生するのだ。例えば、肉を焼いた時の香ばしいにおいや、うなぎのかば焼きの食欲をそそるにおいは、どちらもメイラード反応によって生まれたものだ。

このように様々な食材を火で調理すると、消化・吸収が良くなるとともに風味も増すことで、以前よりも多くのエネルギーを摂取しやすくなった。このことも脳の拡大を促進したと考えられている。

人類の祖先が火を使い始めるようになった時期についてははっきり分かっていないが、少なくとも100万年前には火が使用されていたと推察されている。最初は、山火事や落雷、火山活動などで発火した木の枝などを火種にしていたのだろう。やがて人類は、火打ち石を使うことや木同士をこすり合わせることで火をつける方法を編み出した。日本の縄文時代の遺跡からは、木の摩擦熱を利用した発火装置が見つかっている。

火を用いた調理法も次第に工夫されるようになった。最初は単にたき火で食材をあぶるだけだったが、火で熱くした石の板の上で食べ物を焼いたり、熱くなった灰の中に食材を入れて熱したりするようになった。

第一章 先史時代の食の革命 1・1 肉食と火の革命

2019-11-26 09:52:19 | 第一章 先史時代の食の革命
第一章 先史時代の食の革命
約1700万年前に、ヒト・チンパンジー・ゴリラの共通の祖先が地球上に現れた。そして約600万年前に、ヒトとチンパンジーの祖先は分かれたと考えられている。人類の祖先はその後、猿人・原人・旧人・新人の各段階を経て、約20万年前に人類(ホモ・サピエンス)へと進化した。

約20万年間の人類の歴史の中で、文字で記された記録が残っているのは約5000年前になってからのことだ。人類の歴史のうち、記録のない時代を先史時代と呼ぶ。本章では、この先史時代の食の革命について見て行こう。

1・1 肉食と火の革命
 人類の祖先が最初に経験した食の革命が「肉食」だ。肉食とは必要な栄養を取り込むために動物の肉体を食べることだ。肉は栄養が豊富なため、肉食によって効率的にエネルギー補給ができる。この肉食が猿人・原人から人類への進化において大きな役割を果たしたと考えられている。

 また、肉や穀物、イモなどを火で調理することによって、消化と吸収が格段に良くなる。このような火の利用も人類へと進化する上で重要だった。

なぜ肉を食べるのか
久しぶりに集まった大学時代の友人たち数人と焼肉を食べに行った時のことだ。積もる話も多く、待ち合わせの駅前からずっとお互いの仕事や家族の話などで盛り上がっていた。店に入ってもおしゃべりは止まらない。

ところが、肉が焼け始めた途端に雰囲気が一変する。皆の口数が急に少なくなった。肉の焼け具合が気になるようだ。そして、一人がふいと少し生焼けの肩ロースを口に入れた。「おっ」と言う隣の男の小さな声とともに残りの者も無言で肉を頬張りだした。

少し意地汚い光景だが、肉をとても美味しいと感じてしまうのは、人の体がそのようにできているので仕方ないことだ。つまり、進化の過程で肉を美味しいと感じる仕組みが作られたのだ。だから、肉をがっつく自分自身に気づいても罪悪感を持つ必要はない。自然の摂理だと納得しよう。

このように肉を美味しいと感じる仕組みができたのは、肉が高エネルギー食品だからだ。動物は十分なエネルギーを摂取しないと生きていけない。肉はこのための格好の食品なのだ。つまり、動物は生存に有利なものを美味しいと感じるようにプログラムされていると言える。

ここで、いくつかの食品について100グラム当たりのエネルギー(カロリー)を比較してみよう(図表1)。


野菜類や果実類に比べて、肉や魚のカロリーが高いのが分かる。甘い果実類のカロリーが低いのは大量に含まれる水分のせいだ。植物性の食品でカロリーが高いものは、種実類や穀類、豆類などの、いわゆる「種子」の部分を食べるものだ。種子には発芽するために必要な栄養が濃縮されているため、栄養価が高いのだ。しかし、種子ができる季節は限られており、常に手に入るものではなかった。一方、動物の肉は、獲物をしとめることができれば常時手に入る。このため、肉はエネルギーを得るための格好の食べ物と言える。

約250万年前に氷期に移行して地球上の気温が低下した結果、植物性の食べ物が減少した。これを契機に人類の祖先は肉食の度合いを強めたと考えられている。
気温が低くなると地表からの水分の蒸発量が減少し、降水量が少なくなる。その結果、大きな樹木は育たなくなり草原が広がる。そこに草食動物が増えたが、人類はそれらを食糧にしたのだ。


はじめに

2019-11-26 08:39:31 | はじめに
私が「一度太るとなぜ痩せにくい?」という本を出版した少し後に、ある出版社から食に関する新書を書いてほしいと依頼がありました。そこで「生物学者から見た食の歴史」について書くことにしたのですが、自分が書きたいことを全部書いてしまうと新書のスペースにとても収まりきらないことがだんだんと分かってきました。また、新書で好まれるような内容にならないことも予想がつきました。そこで、私の方から食の歴史について書くのは取りやめる提案をしたのです。

でも、ある程度書き進んでいた原稿をそのまま闇に葬るのも少し嫌だったし、とりあえず最後まで書きたいというのもあったので、ブログという形でひっそりと世に出すことにしたのが本ブログになります。時間がある時の執筆になるので、不定期のアップとなりますが、一人でも多くの方に読んでもらえたら嬉しいです。

尚、次の文は新書の「はじめに」用にとりあえず書いたもので、実際に出版されていた場合は書き直していたはずのものです。

人類は地球を食いつぶすのか?
18世紀末に約9億人だった人類は、それから200年あまりの間に爆発的に増加し、1960年に30億人、そして2018年には76億人になった。どうして人類はこんなにも増えたのか。医療技術の進歩や生活環境の改善により死亡率が低下したことも影響しているが、最も大きな要因は食料の生産量が増えたことだ。

食は生きる基本だ。生きるためには食が何よりも大事だ。そして食料が十分だと人を含めて動物はどんどん増える。この200年の間にさまざまな食料生産の技術革新が起こり、食料の生産量が急激に増えたため、人口が爆発的に増加しているのだ。
例えば、1960年から現在まで世界の耕地面積は緩やかにしか増加していないにもかかわらず、穀物の生産量は3倍以上になっている。つまり、単位収穫量が約3倍になったのだ。このように単位収穫量が増加した理由は、高収量品種の開発や化学肥料の大量使用、農業機械の導入などの農業の近代化が世界的に進んだことにある。

現在でも食料生産の技術革新が続いている。その一つがゲノム編集技術を利用した農産物の新品種の開発だ。ゲノム編集技術が遺伝子操作の効率を飛躍的に向上させたことから、これまでよりもずっと短期間で望みの品種を生み出すことができるようになったのだ。日本では2019年にも、ゲノム編集技術で作られた新しい農作物が市場に出回ると予想されている。

さらに、近年になって急速に進歩している人工知能(AI)を食料生産に利用することにより、単位収穫量のさらなる増大が見込まれている。AIは人類が蓄積した知識を自動学習することで、農作物の生育を最適化することができると期待されているのだ。

一方で、世界各地の既存の農地では土壌の流失や塩害により砂漠化が進行するなど、食料生産の場が失われつつある。現在は新しい農地を開発することで農地面積は増えているが、開発可能な土地には限りがあるため、いずれは減少に転じると予想されている。

言うまでもなく、人類は地球で生きて行く以外に選択肢はない。そして、食料を生産するためには地球の資源しか利用できない。現在の農業生産で消費される石油量は全石油消費量の約3割になるという。もし地球資源が枯渇してしまうと食料生産が滞り、現在の人口を養うことは不可能になる。そのような事態が近い将来訪れるのではないかと危惧する研究者は多い。まさしく、人類が地球を食いつぶしてしまうかもしれないのだ。

ところで、食のシステムには食べ物を作るという側面と食べるという側面の2つがある。そして、当然のことながらこの2つは切っても切れない関係にある。つまり、食べるために作るのであり、作ったものがあってはじめて食べることができる。

食べるという行為(食事)は一生にわたって続く基本的な営みだ。そして食事には栄養補給という役割以外に、美味しさによって人を幸せにするという役割がある。誰しも大好きな料理を食べて幸せを感じたことがあるのではないだろうか。

歴史を振り返ってみても、また、現代社会を見回してみても、人類の美食を追い求める情熱はとても大きいものだと痛感させられる。この美食への情熱が人類社会の形成に大きな影響力を発揮してきたのだ。つまり、旺盛な食欲が人類のアイデンティティの一つと言っても過言ではない。

そして、この食への情熱は食料生産にも大きな影響力を発揮してきた。例えば、人類はとても肉好きだが、近年になって世界中で多くの人々がより多くの肉を求めた結果、現在の一人当たりの食肉消費量は1960年頃の約2倍になっている。そして、この消費量の増加をまかなうために家畜の飼育数は増え続けているのだ。

さらに歴史を振り返ってみると、砂糖やコーヒーなどの大量消費をまかなうために、多くの人々が過酷な労働を強いられてきたという暗い事実にも突き当たる。つまり、食のシステムは人々を幸せにするという光の側面に加えて、不幸にするという影の側面も持ち合わせている。

本ブログでは、食に関わる歴史上の大きな変革、すなわち「食の革命」と呼べる出来事について見て行く。この中には食料の生産や消費だけでなく、保存や流通、そして食によって変化した人々の生活も含まれる。このような観察を通して、人類が歩んできた道を食の観点から考察することが本書のねらいだ。そして、現在進行中の食の革命について分析することによって、世界が今後どのように変化していくかについて考えたいと思う。