称名寺にあった桜を松寿園に寄贈した。庫裏の改築の時に植えたのだけれども、土地の問題もあってなかなか成長できないので、
この際、別の桜にすることにして、いままでの桜を松寿園に寄贈したわけです。
昨日植え替えられた桜を観てきたら、日当たりのよい場所に植えられて勢いづいてきたようで、まずは何よりでした。
やはり植樹は環境を考えなくてはなりませんが、自然を参考にするのが一番のようです。
そう思っていたら、震災後の東北では防潮林の植樹に新しい方法が検討されているようでした。
称名寺にあった桜を松寿園に寄贈した。庫裏の改築の時に植えたのだけれども、土地の問題もあってなかなか成長できないので、
この際、別の桜にすることにして、いままでの桜を松寿園に寄贈したわけです。
昨日植え替えられた桜を観てきたら、日当たりのよい場所に植えられて勢いづいてきたようで、まずは何よりでした。
やはり植樹は環境を考えなくてはなりませんが、自然を参考にするのが一番のようです。
そう思っていたら、震災後の東北では防潮林の植樹に新しい方法が検討されているようでした。
京都で先日「ミレニアム ドラゴンタトゥの女」を観てから、あらためて小説三部作を読み直し中。
映画でカットされたところを探しながら、「そうか、ここをカットかぁ」とつぶやきながらの読書。
しかし悪い癖で、あちこちに手を出しながらの読書、誘惑にひきづられながらの読書で、こういうときに限っていいものが見つかる。
コミックは「となりの関くん」 エッセイは川本三郎さんの「いまも君を想う」「君のいない食卓」 小説は「晴天の迷いクジラ」
読書三昧です。
息子は毎日クラブの帰りに、友達を引き連れてテレビ前を占領してゲ-ムやら、何と「かくれんぼ」をして遊んでおります。
でかい図体をして「かくれんぼ」ですから、本を読みながら、笑っています。
全国の教区会正副議長会が京都の御本山で開催され、一泊二日で行ってきました。今回の主な議題は先の御遠忌総括ということでしたので、
教区改編とか割当(かっとう)については声高に言われなかったので、少々肩すかしされたような気持ちで意見拝聴に徹していました。
終了後に久しぶりに河原町のジュンク堂に立ち寄り物色。ぶらぶらと京都駅まで来て、こんどは駅の三省堂で物色していたら、
川本三郎さんの「時には漫画の話を」という本を発見。そのほかに金井美恵子さんの新刊などを見つけて購入。
帰りのサンダ-バ-ドの車中で読書。
初っぱなに紹介されていたのが吉田秋生さんの「海街diary」。 いままで書店で見ていて買い控えていたんだけれども
これでは買わないわけにはいけませんということで、昨日早速金沢の書店で購入。
科白が生きてます。何でこんなに琴線に触れる言葉が紡がれるのかと、思わず目頭が熱くなります。
書店で立ち読みしているところを娘に写真に撮られて、爆笑されました。
そりゃそうでしょうね。いい年したおっさんがめがねを外して(老眼で近眼ですから)背中を丸めて読みふけっておるんですから。
すてきな科白。
私の勤務している病院の小児病棟には いわゆる難病といわれている子が大ぜいいます。そういう子は例外なくいい子でしっかりしてます。
なぜだかわかりますか? 厳しい闘病が 彼らが子どもでいることを許さないからです。子どもであることを奪われた子どもほど悲しいものはありません。
この科白に到るまでのものがたりが何ともいえず胸が熱くなります。
是非一読を、おすすめです。
先日、大阪のご法事にお参りした帰りに映画を観てきた。書店を覗く時間を見ていたんだけれども、大阪駅に出来た映画館というので、ここはやっぱり行くべきだろうと
自分で注釈をつけて11階まで。
ミレニアム・ドラゴンタトゥの女 という映画。原作の本は以前に I さんに見せてもらっていたし、スウェ-デン映画の方はTSUTAYAで借りた。
158分の映画のなかに2冊文の内容を入れるんだから、結構省略しなければならない部分が多く、いま一度小説を読み直している。
議長会の資料は読まなくてはならんし、18日の法話の下調べを整理しなくてはならんという、こういうときに誘惑が頭をもたげてくる。
老眼をぬぐいながら読んでます。
きょうは門徒総会。任期満了で辞任する総代さんと新たに就任していただく総代さんの顔合わせの総代会を直前に開催して、いざ総会へ。
新任の総代さんの挨拶がたいへんすばらしくて、これからの総代会の義論が楽しみです。
十一人の総代さんが出揃うまでまだまだ時間が必要ですが、楽しみですね。
それと加えて確定申告もやっとこさ仕上げて、きょう提出。
昨日は総代会の資料もそこそこに、CPを前に領収書を確認しながら整理して印刷したのが、もう今日の日付でした。
さすがにきょうは眠い。
3.11が近づいてきていろんな番組が組まれているけれども、地震と洪水に加えての原発事故の状況がわからないのがもどかしい。
久しぶりで岡崎に帰ってきました。父親の法事でした。ぎりぎりの時間で到着するはずが、JRで人の接触事故(こういう表現の場合はどういう事故なんでしょうかね)で
ダイヤが混乱していて、とにかく来た列車に乗って下さいと言われて乗車したのが各駅停車の普通岡崎行き。
岡崎に着いたときにはもう法事もほぼ終わり頃でした。
しかし車窓から見る景色の変わりように、一抹の寂しさを感じましたね。しようがないけどね。
まぁしらさぎの車中ではウォ-クマンで藤元先生の講義をじっくり聞くことが出来て、結構でした。
明日からは頼まれていたいくつかを仕上げて、確定申告も仕上げしなくてはなりません。