うとき 鳥兎記

うとうと、うろうろの日暮らしを落ち着かない住職の日記

どうもどうもいやどうも

2011-12-26 23:46:20 | Weblog

高田渡さんのファ-ストアルバムのしょっぱなは「ごあいさつ」という谷川俊太郎さんの詩をうたったものだけど、

日本語のすばらしさを歌った詩と、後々のタナダユキ監督の「高田渡的」という映画のなかでしゃべっている。

どんな詩かというと、

 どうもどうもいやどうも いつぞやいろいろこのたびはまた まあまぁひとつまあひとつ そんなわけでなにぶんよろしく なにほうはいずれなにして そのせつゆっくりいやどうも

という詩。

鉱夫の祈りという詩は高田渡さん自身の詩。

 子供らは 泣きじゃくる 腹をすかし 泣きじゃくる 私に出来るのはただ 泣きつかれ 寝るのをまつだけ

 お願いだ 聞いておくれ 街に住むお偉い方 この子らが 泣かないように 鉱夫の祈りを聞いておくれ

 凍りつく土の下で 鉱夫の汗は流され 凍りつく鉱夫の下に 石炭は 眠りつづける

 家族らは 今日もまつ 深く頭をたれて

 子供らは 帰りをまつ 今日の日の終わりを

いま高田渡さんが生きていたら被爆のいまをどんな風に歌うのかと思う。

平川先生からのメ-ルを掲載します。  被爆についての番組の予告です。

(震災・原発震災関連のNHKの番組と、インターネットテレビで放映されている動画をご案内します。)

 

---------------(以下、転送)---------------------------------------------------------------------------------------

 

☆ 追跡!真相ファイル「低線量被ばく 揺らぐ国際基準」

NHK総合 12/28(水)22:55~  

 

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2011-12-28&ch=21&eid=17194

レポーター:室井祐月 

詳細は、ここをご覧ください。
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☆ ETV特集再放送
NHK-ETV特集では震災・原発事故後
「ネットワークでつくる放射能汚染地図」シリーズはじめ
関連番組を取材・制作・放送してきましたが
年末(12月28日)から年始(1月4日)にかけて
4月以降に放送した16番組を一挙に再放送します。
深夜の枠で恐縮なのですが
お見逃しになった番組は録画されるなどして
ぜひこの機会にご覧いただけたら幸いです。


詳しくはETV特集のHP
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/2011sp.html
をご覧ください。

七沢潔
TVディレクター
NHK放送文化研究所・主任研究員


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(以下、インターネットテレビから)
☆ 12/15 特集「被ばく労働で死にたくない!」 ゲスト=元原発下請け労組委員長
・斉藤征二さん。

 http://www.labornetjp.org/tv
 

☆ NPO「APAST」設立シンポ
「APAST」は、後藤政志さん、田中三彦さんたちを中心に立ち上げられたNPOです。
詳しいことは、ここをご覧ください→http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/59d7527e8afdf70e28b7395ed4a0b0f5
☆ 国会事故調の第1回委員会の録画中継
☆ 2011年1月1日~10月15日に日本周辺で発生したM3.0以上の
地震の発生状況を動画にしたもの。目と音で感覚的にとらえられ

ようやく

2011-12-24 22:47:21 | Weblog

京都まで出向いて御本山の中央改編委員会に出席。会議後は懇親をかねた忘年会。

このごろの京都は次々に新しいお店ができて、今回も開店間もないようなお店。

会が終わって、永年京都へ出た折には通ってきたカウンタ-だけのお店が閉店するというので立ち寄ると、さすが永年の常連でいっぱい。

翌日は御本山をあとにして鳩居堂に立ち寄り便せんやらはがきを購入して、さらにまたヨドバシカメラのビレッジバンガ-ドというお店で本探し。ここはおもしろい本があります。

こんどはタワ-デパ-トのふたばや書店で物色。

小松に戻ってからは数人の忘年会。さすがにここで風邪をひいたようで、翌日の桂町の報恩講勤めの途中で声が出んようになってしまった。気を許した罰が当たったよう 

気分直しはいつもの高田渡さんの歌。

何と言っても詩がいいんです。

でも、高田渡さんの声だからいいということもありまして、詩の紹介はあした。

 

 


窮状

2011-12-18 21:55:37 | Weblog

窮状-辞書によれば困り果てている状態ということ。

沢田研二 「我が窮状」  麗しの国 日本に生まれて 誇りも感じているが 忌まわしい 時代に遡るのは賢明じゃない

                  英霊の涙に変えて 授かった宝だ  この窮状 救うために 声なき声よ集え 我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ

                  麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ 老いたる無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ

                  諦めは取り返せない 過ちを招くだけ この窮状 救いたいよ 声に集め歌おう

                  我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない

                  この窮状 救えるのは静かに通る言葉 我が窮状 守りきりたい 許し合い 信じよう

季刊誌「SIGHT」 特集 原発報道を終わらせようとしているのは誰だ    

編集後記に「原発報道を終わらせようとしているのは誰だ」という疑問に対する答えは、「私たち」である。  と渋谷陽一氏が書いているように 私たちがどこかでしんどくなってきているのだろう。

このしんどさに堪えていくのが「宗教」であり、「信心」と教えてもらってきた。

日曜でお参りに走り回りながら、車中では沢田研二さんの「我が窮状」と高田渡さんを聞いていると、いろんなことが思われてくる。

高田渡さんの詩はまた後日に紹介します。

 


ひさびさに

2011-12-13 22:58:17 | Weblog

ひさびさに休養日。朝寝をすることも考えたけれども、

天気もよいので、たまの天気の良さをしみじみと感じるのが北陸の良さです。

冬に布団を干すことができる岡崎にいたときには、まったくなかった感覚ですね。

で、家人と富山まで遠出。

合間に、これも久々に本屋へ。

このごろはアマゾンで注文して、ハイ到着というパタ-ンになっていたので、時間をかけて書店を巡るということがなくなっていた。

で、しょっぱなに手に取ったダ・ヴィンチ(本とコミックの情報誌です。)に先日以来興奮していた平松洋子さんの「野蛮な読書」が

「今月の絶対はずさないプラチナ本」として紹介されていた。紹介する編集部の人のコメントが、これまたおもしろい。

本屋で見かけたら、どちらも購入 おすすめです。

平川先生からメ-ルがきました。ご一読を。

(フリージャーナリストの東条さんのブログ「スナメリチャンネル」に、12月3日に福井県敦賀市で行われた「もんじゅを廃炉へ!全国集会」における佐藤栄佐久・元福島県知事、海渡雄一弁護士、小林圭二・元京大原子炉実験所講師の講演の動画が収録されています。また、12月11日に名古屋で開かれた石橋克彦神戸大学名誉教授(地震学)の講演「『若狭湾原発震災』前夜の私たち」の動画もUPされています。サイトにアクセスしてタイトル文字をクリックすれば、動画が出てきます。なお、このサイトには、若狭湾原発に福島原発震災による土壌汚染地域を重ね合わせた地図も掲載されているほか、重要な動画が多数ありますので、ご覧になることをお勧めします。)
ブログ「スナメリチャンネル」のサイトはここ → http://sunamerichannel.jimdo.com/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/

盃を傾けながら

2011-12-09 22:13:42 | Weblog

昨日は午前は総報恩講で、公民館で勤行とお座(おはなしです)。午後は戸別で数軒回って、午後7時からは総報恩講。

なんだけれども、このお在所は10軒の門徒さんが一年ごとにお宿を引き受けて、夫婦単位で集まってお勤めとお座をする。

だから非常に賑やかなお参りになる。

手作りの料理・煮物や寿し、漬け物が出てきて、男衆はお酒を傾けながら、女性陣もお酒を飲む人もいるし、お茶を飲む人もいるが

門徒という縁故で一堂に会するのはこの報恩講ならこそといわれる

少々お酒が入ることで、平素固い話も、ここでは軟らかくしゃべることができる。

平日ということもあって、早めに切り上げてきたんだけれども、ちょっとピッチが速かったようで、朝になっても酒臭い状態でした。

でもおかげさんで、そこでの話題を元に、きょうのお在所のお座を勤めることができました。


専門家

2011-12-07 22:44:19 | Weblog

今日は一戸残らずぜんぶが御門徒という村の報恩講勤め。お世話方のおうちで着替えて、一軒一軒、お隣からお隣へと

お世話方もみな一緒に回ってお勤めをします。ぜんぶのお宅を終えたのが五時すぎ。70過ぎのおばばの味付けは口に合うかねぇと、出して下さるのが煮物。

こういうのが楽しみであります。

七時半からお座を勤めて、明日は朝八時半からおあさじです。

こういう習慣が大事なんだと、つくづく思う。

こうしたなかで、ちゃんと原発のことも話して通じていくから、お座は大事です。

特に粉ミルクにセシウムが混じっているのに、専門家は「当面影響の出る数値ではない」と言ったという記事があった。

私たちも、きちんと知識をもって自分で考えないといけない時代になりました。

で、平川先生から放射能に関する情報が回ってきたので、掲載します。

ドイツ在住の方のブログ「Eisbergの日記」に、ドイツ放射線防護協会会長の福島原発事故に関する報道発表が掲載されています〔原文:http://d.hatena.ne.jp/eisberg/20111130/1322642242、ドイツ語原文:http://d.hatena.ne.jp/eisberg/20111201/1322719204 〕。重要な内容のものと思われるので、転載します。なお、このブログには、ドイツの原子力教育のための教科書を紹介する記事も掲載されています(http://d.hatena.ne.jp/eisberg/20111108/1320769945)。原子力教育に限らず、日本の教育の問題点を考えさせられます。)

-------(以下、転載)----------------------------------------------------------

先日のベルリンの講演会会場には主催団体および参加団体のパンフレットやチラシなどが置いてあった。その中にはドイツ放射線防護協会の会長によるフクシマ事故に関しての新しい報道発表もあったので貰って来た。

重要な内容と思われるので翻訳して日本へ紹介したいと考えたが、この両日は他の用事がいろいろあって私には余裕がなく、在独の親しい友人(翻訳業に従事)に相談したところ、快く翻訳を引き受けてくれた。ありがたく訳文を受け取り、ここに転載させて頂く。

(以下、報道発表文)

放射線防護協会 20111127日 ベルリンにて 

Dr. セバスティアン・プフルークバイル 

報道発表

放射線防護協会:

放射線防護の原則は福島の原子炉災害の後も軽んじられてはならない。 

放射線防護協会は問う:

住民は、核エネルギー利用の結果として出る死者や病人を何人容認するつもりだろうか? 

放射線防護においては、特定の措置を取らないで済ませたいが為に、あらゆる種類の汚染された食品やゴミを汚染されていないものと混ぜて「安全である」として通用させることを禁止する国際的な合意があります。日本の官庁は現時点において、食品の範囲、また地震と津波の被災地から出た瓦礫の範囲で、この希釈禁止に抵触しています。ドイツ放射線防護協会は、この「希釈政策」を停止するよう、緊急に勧告するものであります。さもなければ、日本の全国民が、忍び足で迫ってくる汚染という形で、第二のフクシマに晒されることになるでしょう。空間的に明確な境界を定め、きちんと作られ監視された廃棄物置き場を作らないと、防護は難しくなります。「混ぜて薄めた」食品についてもそれは同じことが言えます。現在のまま汚染された物や食品を取り扱っていくと、国民の健康に害を及ぼすことになるでしょう。 

焼却や灰の海岸の埋め立てなどへの利用により、汚染物は日本の全県へ流通され始めていますが、放射線防護の観点からすれば、これは惨禍であります。そうすることにより、ごみ焼却施設の煙突から、あるいは海に廃棄された汚染灰から、材料に含まれている放射性核種は順当に環境へと運び出されてしまいます。放射線防護協会は、この点に関する計画を中止することを、早急に勧告します。 

チェルノブイリ以降、ドイツでは数々の調査によって、胎児や幼児が放射線に対し、これまで考えられていた以上に大変感受性が強い、という事が示されています。チェルノブイリ以降のヨーロッパでは、乳児死亡率、先天的奇形、女児の死産の領域で大変重要な変化が起こっています。つまり、低~中程度の線量で何十万人もの幼児が影響を受けているのです。ドイツの原子力発電所周辺に住む幼児たちの癌・白血病の検査も、ほんの少しの線量増加でさえ、子供たちの健康にダメージを与えることを強く示しています。放射線防護協会は、少なくとも汚染地の妊婦や子供の居る家庭を、これまでの場合よりももっと遠くへ移住できるよう支援することを、早急に勧告します。協会としては、子供たちに20ミリシーベルト(年間)までの線量を認めることを、悲劇的で間違った決定だと見ています。 

日本で現在通用している食物中の放射線核種の暫定規制値は、商業や農業の損失を保護するものですが、しかし国民の放射線被害については保護してくれないのです。この閾値は、著しい数の死に至る癌疾患、あるいは死には至らない癌疾患が増え、その他にも多種多様な健康被害が起こるのを日本政府が受容していることを示している、と放射線防護協会は声を大にして指摘したい。いかなる政府もこのようなやり方で、国民の健康を踏みにじってはならないのです。 

放射線防護協会は、核エネルギー使用の利点と引き換えに、社会がどれほどの数の死者や病人を許容するつもりがあるのかと言うことについて、全国民の間で公の議論が不可欠と考えています。この論議は、日本だけに必要なものではありません。それ以外の原子力ロビーと政治の世界でも、その議論はこれまで阻止されてきたのです。 

放射線防護協会は、日本の市民の皆さんに懇望します。できる限りの専門知識を早急に身につけてください。皆さん、どうか食品の暫定規制値を大幅に下げるよう、そして食品検査を徹底させるように要求してください。既に日本の多くの都市に組織されている独立した検査機関を支援してください。

放射線防護協会は、日本の科学者たちに懇望します。どうか日本の市民の側に立ってください。そして、放射線とは何か、それがどんなダメージ引き起こすかを、市民の皆さんに説明してください。

放射線防護協会

会長 Dr. セバスティアン・プフルークバイル


御和讃

2011-12-06 21:53:16 | Weblog

聖徳太子の十七条憲法の五に基づいて作られた親鸞聖人の御和讃は

とめるもののうたえは いしをみづにいるるがごとくなり ともしきもののあらそいは みずをいしにいるるににたりけり ( 皇太子聖徳奉讃 )

力のあるものが起こす訴えは 石を水に投げ込むようにス-ッととおり、 貧しい人の訟は 水を石に打つようにことごとく撥ね返される と読めばいいかな。

訴は うったえる 裁きを求める 不平を言う という使い方であって、

訟は 是非をあらそう という使い方と 辞書に載っている。

力のあるものが起こす訴えは、地裁で負けたとしても、最高裁までいけば ほぼ主張が認められ、

人民が 是非の判断を もとめても、......といういまの現状と かわるところがない というところか。

流罪にされた親鸞聖人の やりきれない怒りを この御和讃に読むことができる。

ここから立ち上がっていくのが親鸞聖人であって、 やりきれないで終わっていたら 真宗はなかったんでしょうね。

そう思って、きのうの金沢の尼お講、 波佐谷町の報恩講、 きょうの北市町門徒の報恩講のお座で しゃべってみた。

十七条憲法の五を、親鸞聖人が御和讃にしていることに みなさんは驚いて 感動して そしてメモしてくれた。 

しゃべっている間に また展開ができそうです。


皇太子聖徳奉賛

2011-12-04 22:33:48 | Weblog

親鸞聖人の御和讃に聖徳太子を歌ったものが多くあって、「太子の御とし三十三 なつ四月にはじめてぞ 憲法制して十七條 御てにて書して奏せしむ」と十七条憲法にこと寄せて

書かれた御和讃のおわりに 「 とめるもののうたえは いしをみずにいるるがごとくなり ともしきもののあらそひは みずをいしにいるににたりけり 」

と十七条憲法をほぼそのままうたわれたものがある。

聖徳太子を思慕された親鸞聖人の心はここにあるように思う。

これをどんな風に今の時代に表現できるのかと思う。

やっとこさ平松洋子さんの「野蛮な読書」を読了。後半のゾクッとくるような文章の表現に引きこまれて、昨日は睡眠時間を削ってしまった。きょうはのどが痛い。風邪気です。

でもこういう表現する人の文章に出会えることが読書のたのしみで、触発されたいきおいで聖徳太子を思慕された親鸞聖人のこころを表現できないかなと思う。

まぁ無理かなと思うけれども

 

 


十七条憲法

2011-12-02 22:20:17 | Weblog

12月になりました。きょうも朝から報恩講のおまいりです。お寺さんとしては小松教区最後になるのかな、迎厳寺さんの報恩講にもお参りです。

午後は草深の御門徒のお参り。一軒一軒お参りして、なかにはお経を読んで下さいといわれるおうちもあって、終わったのは午後6時過ぎ。

それぞれのお手次の寺院が一年ずつお座(お参りと法話)の当番を務めることになっているけれども、

昨年うちがしたので、ことしは別のお寺。

お参りしながら聖徳太子の「十七条憲法」が頭に浮かんできた。

力のあるものの訴えは水の中に石を投げ込んだように通るのに、貧しいものの訴えは石に水をかけるようにことごとく跳ね返される、そういう一条がある。

親鸞聖人が聖徳太子を大切にされるのは、こういう姿勢で政治を行った人だからだろう。

和を以て貴しとなす、とあちこちで書いている政治家は、この一条を知っているのだろうか。